『ネオ・チャイナ 富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』客員レビュー by ふるまいよしこ

2015年9月7日 印刷向け表示
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『ネオ・チャイナ 富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』は、現代中国の「今」を官と民のせめぎ合いという観点から描いたルポルタージュである。ジャーナリストのふるまいよしこさんは本書を「中国の今を知るための今年一番の良書」と評する。はたして著者のエヴァン・オズノス氏とは、どのような人物なのか? そして本書の読みどころはどのような点にあるのか? ふるまいさんに解説いただきました。(HONZ編集部)

ネオ・チャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望

作者:エヴァン・オズノス 翻訳:笠井 亮平
出版社:白水社
発売日:2015-07-28
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豊かになることは名誉なことなのか?

先日、香港で別れたきり約23年ぶりに会った香港編集者時代のイギリス人元上司に、最近の中国について話してくれと求められた。元上司は言った。「あの頃の中国人は、“To get rich is glorious”と言っていたらしい。今でも人々はそうなのかな?」

1990年代、当時英語話者の間では同じタイトルの本が中国を知るための本としてもてはやされていたという。“To Get Rich Is Glorious”――豊かになることは名誉なこと、そこには明らかに「rich」と「glorious」という2つの、英語世界(そして日本語でも)においてまったく違う価値観に属する言葉が等号で結ばれていることに対する違和感があったようだ。それがわたしの元上司のような人びとをして「特殊な中国」の符号になっていたのだろう。

わたしは彼にこう答えておいた。

「リッチになること、それがまだまだ多くの人たちの目標であることは間違いないですね。ですが、そのことを『名誉』と言い放つのはさすがにダサい、と人々は認識しています。ただ、以前とは違って、リッチになれば『権利』と『権力』がもれなくついてくる時代になった。それに人々はしらけつつも、自分と家族の身を守るためにリッチにならざるを得ない、そんな感じが今のムードでしょう」

決して金持ちというわけではないが、1990年代半ばにイギリスに帰国し、今では孫も生まれ、定年生活を妻とゆったり過ごしている彼にとって、「リッチを目指す」という言い方はやはり違和感があったのだろう。うーんとも、ふーんともつかない表情をした彼に、「ぜひ、読んでみてください」と新宿の英文書店で手にとって薦めたのが、今回ご紹介する『ネオチャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』(以下、『ネオチャイナ』)の原作「Age of Ambition: Chasing Fortune, Truth, and Faith in the New China」だった。

Age of Ambition

作者:Evan Osnos
出版社:BH Non Fiction
発売日:2014-06-26
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この本は、日頃まったく英文書を手に取る勇気のないわたしもとても気になっていた。まず、英語の原書をKindleで購入したが、やはり日頃から英語の本を読む習慣がないわたしは読み進めるのにとても苦労した。7月初めに滞在した香港では台湾で出版された中国語版『野心時代』を手に入れた。だが、この本の日本語出版権をどこかが手に入れていることをすでに耳にしていたので、クビをなが~くして待っていたところだったのだ。

著者エヴァン・オズノスへの高い評価

わたしがそこまでこの本に期待していたのは、一つは、筆者のエヴァン・オズノスが北京駐在時代に『The New Yorker』誌に連載していたコラム「Letter from China」が、現地で非常に高い評判を得ていたからだ。

記事はたびたびボランティアの翻訳者によって中国語化され、インターネットで出回っていた。友人の若き中国人ジャーナリストは、ほんのちょっとの間フリーランスとして彼の情報収集を手伝ったとき、顔を上気させてこう言った。「あれだけ素晴らしい記事を書く記者だもの、その一挙手一投足から勉強できるのはラッキー」

わたしも英語より中国語で目を通す事が多かった彼の記事だが、いつも平易で大げさでない言葉を使って、中国の人たちの生活ぶりを描いていた。

外国人メディア(日本人や香港人も含めて)は時に、中国の取材対象に向き合うときは無表情に、あるいは時にはしゃべらせようと相手に好意的な態度を取るが、いったんそれを記事にすると、自由主義社会を生きる自分の常識や価値観から相手を小馬鹿にしたような書き方をすることがある。だが、彼の筆致にはそういうところがまったくない。そこが中国人読者をも引きつけた理由だった。

その彼が2013年に帰国し、中国に「残された」読者たちがまだ彼のことをぼんやりと折に触れ思い出していた頃、原作『Age of Ambition』が出た。英語メディアの中国ウォッチャーたちが怒涛のようにSNSでこの本を取り上げて話題にし、中国語しか読めない、彼の中国人ファンたちも浮き足立った。だが、しばらくおあずけを食らった形の彼のファン(わたしも含め)にとって嬉しかったのが、その評判が中国に関わる人間だけのものではなかったことだ。この本は『ニューヨーカー』誌の年間良書の一冊に選ばれ、さらには全米図書賞を受賞したのである。

その受賞を待たずに始められていたと思われる中国語版は今年2月に台湾の出版社から発売された。わたしが7月に香港で手に入れた本の後付を見ると、なんと2カ月後の4月に6刷に至っている。昨今の西洋書で中国人社会を描いたものとしては、かなりの売れ行きと言える。

中国本の翻訳書が、昨今読まれないワケ

だが、日本で出版されるのだろうか。わたしは少々不安だった。というのも、昨年多少話題作が出たとはいえ、翻訳本は昨今、「読まれない」と出版すら敬遠される傾向があったからだ。

出版社としても、原著者に高いロイヤリティ(それは多くの場合出版エージェントを通じているために、そこへのマージンも含めたものだ)を払い、自前で翻訳者を雇い、さらに翻訳をチェックし、原著と照らし合わせて注釈付をするのは、日本で日本人筆者の本を出すのとは作業もコストも全く違ってくる。時には日本語話者とは違う回りくどい書き方が読者に敬遠されることもあり、出版不況において日本の出版社は翻訳本に「売れない」と烙印を押していた。

もう一つの問題は、日本の出版界における所謂「中国本」の「狭さ」である。そのうち一つにもう言わずもがなの「嫌中本」ブームがあった。中身の真偽はともかく、中国に対して「嫌」の旗を振りかざした本でなければ売れない、そんなムードが出版界にあったこと。

さらにもう一つ、こうした本の最大の読者層であるはずの、日本の中国ウォッチャーの視野の狭さからくる、西洋書籍の「排斥」にも近い態度だ。

日本の研究者や中国周りの人たちは日本が同文文化であること、あるいは長年の中国との近隣としての付き合いから、「中国学研究」において日本はどこの国にも負けないという自負がある。確かに中国との深く長い付き合いにおいて、中国は日本において最も研究されてきた国の一つだろう。

だが、かつて一部の地域研究の対象として見られていた中国の研究とは違い、グローバルに影響を与えるようになった中国解析に求められているのは、漢字に慣れ親しみ、儒教の影響からくる似たような習慣を持つという「甘い」前提に立ったものばかりではない。

逆に、似ていること、理解しやすいことが日本人研究者が現代の中国を紐解く上での「盲点」になっている。ニュース分析などを読み比べてみると、実は西洋メディアの方が日本のそれよりずっと中国事情理解に役に立つことがある。一部の観察者が自明のこととしてスルーしたことが、実はそれほどその分野におけるプロではない者にとっては大事な緒(いとぐち)になることもあるからだ。

一方で、西洋社会の中国研究においては、1国では日本ほど多くの歴史的文献が揃っているところはないのかもしれない。この『ネオ・チャイナ』でも、引用される文書や書籍はアメリカのそれだけではなく、イギリス、ドイツ、フランスと広い。

だが、それだからこそ、彼らがそこで中国を理解するときに依拠しているのは、同文的な文化バックグラウンドではなく、それぞれ違う文化を持つ読み手たちにとって等質の分析、解釈となっている。つまり、一つの解釈がこうした引用元の文献の読者たちにも通用する必要が生まれる。そこから、西洋の学者たちは広く読者が散在する世界を睨み、手にしたエビデンス(証拠)をバラの花弁を1枚1枚むしりとるようにして中国分析を試みる。

そこには時折、どんなに日本で出ている中国解説本を読んでも出ていないような解説が潜んでいる。西洋人にとって、東洋は、中国は、完全なる異文化だ。彼らがそれに向き合う時、「慣れ親しみやすさ」を期待することはない。逆に「親しみやすさ」に驚きすら感じる文化特性がある。だからこそ、相手が器用に使う箸の持ち方すら彼らにとって分析、研究の対象になる。

日本人研究者が見落としがちな大事なヒント

優れた翻訳書には、日本人研究者が見落としているような、大事なヒントが隠れている。実は今年は中国関連の翻訳本にはこの『ネオ・チャイナ』の他に、今年6月には、デイビッド・シャンボー・ジョージワシントン大学教授の『中国グローバル化の深層』も出版されている。

中国グローバル化の深層「未完の大国」が世界を変える (朝日選書)

作者:デイビッド・シャンボー 翻訳:加藤祐子
出版社:朝日新聞出版
発売日:2015-06-10
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だが、いわゆる日本の中国ウォッチャーたちがそれを取り上げて論じているのをまだほとんど見たことがない(※法政大学の菱田雅晴教授による日経書評)。

シャンボー教授は米国における中国政策提言者で米シンクタンクのブルッキング研究所の上級研究員も務めている。これまで中国の台頭に対して肯定的、前向き、つまりどちらかというと親中的な立場で、一度はオバマ政権下で中国大使候補として名前も上がっていた人物だった。

だが、その彼は今年3月に『ウォールストリート・ジャーナル』に「来るべき中国崩壊」という記事を発表し(日本語版は「終えんに向かい始めた中国共産党」)、中国関係者の間で大騒ぎとなった。中国政府系メディアはシャンポー教授の態度の変わりように「陰謀論」まで引き出して反論。中国の国際学者だけではない、英紙『フィナンシャル・タイムズ』の中国語版でも、同教授がなぜ態度を変化させたかといった分析が行われている。

現在の世界局面において最も重要な二カ国間関係の一つが、米中関係であることは疑いようがない。その政権中枢に影響を与えるシャンボー教授の変化の発端をこの『中国 グローバル化の深層』に見ることができるのである。そしてその中国分析は、その両国にさまざまな意味で翻弄される日本においても読まれるべき重要な文献のはずなのだ。

だが、この「中国 グローバル化の深層」もいまだにアマゾンの「中国」ランキングでは、嫌中本や「中国」をネタに書き手が自身の功名心を満足させるための本に遅れをとっている。このランキングに並ぶ本を見るだけで、日本で語られる中国ウォッチングが、いかに「狭い重箱の隅をつついて喜んでいる」状態なのかがよく分かる。

もし、他者への付和雷同型の中国評価ではなく、自分自身で中国を理解するすべを身につけたいなら、この『ネオ・チャイナ』と『中国 グローバル化の深層』には目を通すべきだろう。ここには、昨今の日本における中国本がすっかり置き去りにしてきた「現実の中国事情」が生々しく(前者はミクロの目から、後者はマクロの面から)描かれている。

中国の今を理解するための今年一番の良書

「ネオ・チャイナ」に話を戻そう。

この本は筆者が中国で取材したり、接触した多くの人たちの言葉と実体験とそして行動を元に、今の中国社会事情を描き出している。そこには、中国当局に拘束されたアーティストの艾未未、アジア人として初めて世界銀行のチーフエコノミストとなった林毅夫、かつて若者のオピニオンリーダーだった小説家の韓寒、盲目の農村人権活動家でアメリカに出国した陳光誠など超がつくほどの有名人から、カリスマ英語教師の影響を受けたマイケル、愛国主義サイトを運営する唐傑、隣の家の未亡人金さんまでさまざまな人物が登場する。

特筆すべきは筆者がそのすべての発言者に名前をつけていることだ。最初に明記されているが、中国での取材は往々にして発言者が発言を政府に咎められるために、書き手はその人物を特定できないよう名前を記さない場合が多い。が、筆者のオズノスはそんな彼らにも人間らしい偽名を課して、その人物の実在性を強調している。それがこの本で語られるエピソードを、まるで小説を読むようなスムーズさで読み進めていける理由だ。

そして、それぞれの人物がどんな希望(野望)を持ち、どんな目標に向かおうとしているのか。悩みながら、迂回しながら、一生懸命に何かをつかもうと奮闘する人たちの姿を丁寧に追いつつ、どうして彼らがそんなふうに考え、それらを追い求めるのか、それがどんな意味を持つのかを、中国で起きた事件や話題を丁寧に紐解きながら、筆者の分析が進む。

実際のところ、わたしは艾未未についてどこまで書けばいいのかという問題と格闘していた。盲目の弁護士の陳光誠やノーベル平和賞受賞者の劉暁波についても同様だ。彼らが経た経験を通じて、中国のことをどこまで理解することができるだろうか? 平均的な頻度でニュースを接する西洋の人びとが週に1度しか中国についての記事を読む(あるいはテレビやラジオで耳にする)ことがないとすれば、伝えるべきは劇的な人生を送ってきた者か、典型的な人生を送ってきた者についてだろうか?

『環球時報』は艾未未の世界観は「中国社会における主流の見方ではない」と論じた。ある意味、この指摘は正しかった。艾未未のライフスタイルは、たしかに一般的なそれとは異なっていたからである。しかし彼の思想となると、かつてと同じように、主流ではないとは言い難くなってきている。四川大地震での校舎倒壊は、都市のエリート層だけではなく、一般の中国人の関心を引いたし、中国でもっとも弱い立場に置かれた子どもたちの死を追悼しようとする艾未未の取り組みには、多くの人々が賛同した。

なぜ艾未未は拘束されたのか、あるいはなぜ高智晟が拷問を受けたのか、なぜ劉暁波が投獄されているのか。これらを理解することは中国を理解するのに不可欠である。艾未未のような人物をどこまで受け入れることができるかは、中国が現代的で開放的な社会になったか――あるいは、そうなっていないか――を測る物差しなのである。

筆者はそこで目にしたもの、聞いたものに対して、すぐに評価を下すことはしない。語り部たちの言葉を反芻しながら、それがある場面や出来事に結びつき、立体的な意味合いをもたらし、理解につながる瞬間を待つ。長い長い伏線を経て気がつく事象もある。

筆者のオズノスがそこで求めているものは、正しいか正しくないかではなく、彼らの試みにどんな答えが待っているかなのだ。一つの出来事や事件、あるいは事情を、具体的なドラマによって理解する。そしてそんなドラマが連続して一つの「チャイナ」が出来上がっている。それが「新しい中国」――ネオチャイナなのだ。

惜しむべくは、多少固有名詞の漢字に間違いがあることだ。台湾の「大陸反抗」(正しくは「反攻大陸」)など、中国事情に詳しい人が読めばすぐにいくつかの間違いに気づくだろう。巻末の訳者あとがきによると、固有名詞は作者のオズノスの協力を得たとあるから、もしかしたらオズノス側の資料が間違っていたのかもしれないが。増刷の際にはぜひとも修正をお願いしたい。

ともあれ、ソフトカバーでありながら2段組の分厚い本にそんな新しい中国の話題がぎっしり詰まっている。2600円という定価は今の出版事情においては、ある種の冒険だろう。が、読み終えて分かるその中身の濃さと比べれば、それが決して高いものではないと納得できるはずだ。少なくとも、同じことばかり繰り返す嫌中本3冊を買うよりも、ずっとずっとコストパフォーマンスは良いし、あなたにとっても有意義なはずだ。

中国の今を理解するための今年一番の良書として、超おすすめの1冊である。
 

※本稿は、ふるまいよしこさんのメルマガ《§ 中 国 万 華 鏡 § 之 ぶんぶくちゃいな》に掲載されたものを、一部修正のうえ掲載しております。
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ふるまいよしこ フリーランスライター ●北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学び、雑誌編集者を経て独立 ●現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説 ●東京新聞の土曜日朝刊「本音のコラム」担当 ●「Newsweek Japan ウェブ」にコラム「中国 風見鶏便り」を連載 ●著書『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)●共著『艾未未読本』(集広舎)、『中国超入門』(阪急コミュニケーションズ)  
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