『〈お受験〉の歴史学 選択される私立小学校 選抜される親と子』 私立小学校を知れば日本の教育が見えてくる

村上 浩2015年10月22日 印刷向け表示
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 町内に信号機が1つもない地方で生まれ育ったわたしは、お受験(小学校受験)には縁がなかった。学力・経済面の問題以前に、近隣に私立小学校が存在しなかったのだ。母校の小学校も廃校になるほどの過疎地域だからかと思っていたのだが、著者も大学に入るまで私立小学校出身者に会ったことがなかったという。私立小学校が身近な存在ではない、というのはそれほど珍しい体験ではないようだ。それもそのはず、私立小学校は学校数・児童数ともに全小学校の約1%を占めるに過ぎず、その少ない数も関東・近畿に集中している。秋田、香川や熊本などのように私立小学校が1校も存在しない県は11にもなるのだ。

このように稀な存在である私立小学校に着目する意味を、著者は以下のように述べる。

日本の教育や社会の問題を考えるうえで、私立小学校こそ「教育のフロントランナー(先駆者)」あるいは、「現代日本社会を象徴する鏡」であり、ややお大げさに言えば、私立小学校を見ると、現代社会の諸相とこれまで、そしてこれからの初等教育(特に公立小学校)のあり方を同時に占うことができるのではないか

本書では、どのような親子がどのような価値を求めて私立小学校を選択しているのか、私立小学校はどのような試験でどのような親子を選抜しているのか、という選択と選抜の観点を軸としながら多角的に私立小学校を分析していく。私立小学校の発展の歴史、教育環境を取り巻く社会からの要請、イギリスのプレップ・スクールとの比較、という3つの視座からの分析は、著者のいうように社会の1%だけにとどまることのない、教育に対するより普遍的な示唆を与えてくれる。

私立小学校の起源は、明治時代にまで遡る。明治政府が1871年に文部省を設置し、翌年に学生を公布してから小学校は順調に普及し、1885年時点で公立小学校は27,762校、私立小学校は520校となっていた。ところが、地域によっては私立小学校の方が多かったところもあり、例えば東京では1893年になっても私立小学校の児童数の方が多かった。東京の富裕層がその子どもを熱心に私立小学校に送り込んだわけではない。首都機能の整備が急がれた東京の投資は、道路、橋、建物などのインフラに振り向けられ、公立小学校の設置が遅々として進まなかったからだ。その当時の私立小学校は、あくまでも公立の代用であり、公立よりも格下として位置づけられていたという。

1870年代から1900年代初頭にかけて徐々にではあるが、公立の代用ではない、慶應義塾幼稚舎やキリスト教ミッション系のような、独自の教育方針や価値観を持つ「自発的結社」としての私立小学校が誕生していく。その後、社会の大きなうねりが様々な形態の私立小学校を生み出していくこととなる。日露戦争によるナショナリズムの高まりは国家主義的な徳育を重視した学校を、大正デモクラシーによる国家主義への反動は子どもの自発性・個性を尊重した学校を、そしてデモクラシーの社会的潮流がキリスト教や女子教育へ力点を置いた学校をもたらした。

私立小学校が選択された事例として、本書では1923年に2人の子どもを私立小学校(成城小学校)に入学させた平塚らいてうが取り上げられる。厳しい家計をやりくりしてまで平塚が私立小学校を選んだのは、国家主義が強まっていく教育現場において、画一的な詰め込み教育を避けたいと願っていたから。1917年の創立より「個性尊重の教育」「自然と親しむ教育」「心情の教育」を掲げていた成城小学校は、高額の授業料を鑑みても最善の選択だったのだろう。それにしても、詰め込み教育への批判や、個性や自然との触れ合いを求める声が、100年近くも前から変わらずに叫ばれ続けていることに驚かされる。私立小学校は昔から、「既存の学校教育(おもに公立小学校)を批判的に乗り越えるために、各学校独自の教育理念を持ち、それに基づいた教育活動を実践・展開し」ようとしてきたという。

選択される立場である私立小学校は、もちろん十分な数の児童を集め続けなければ消滅するしかない。私立小学校の成否を分析すると、世界的には珍しいシステムの有無がその運命を大きく分けていることが明らかとなる。それは、私立小学校において一定条件をクリアすれば優先的に併設された中等・高等教育機関にテスト無しで進学できるという、いわゆる「エスカレーター式進学」の存在である。一流の就職先を保証する大学が多くの生徒を惹きつけ、その大学への道を早期に約束する小学校が多くの親と子を惹きつけてきた。ここにも、100年間変わることのない日本社会の教育機関への期待が透けて見える。教育内容そのものよりも、その先に約束される安定がより多くの人を駆り立ててきたようだ。

100年以上にわたる私立小学校の歴史を定量、定性様々なデータで分析してきた本書は、最後に私立小学校の行く末に思いを馳せる。少子化が加速する日本において、その未来はバラ色ではありえない。私立小学校という1%の世界に着目することで、教育に何を求めるか、教育に何ができるかという全体像を考えるヒントが得られるのかもしれない。

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