『冒険歌手 珍・世界最悪の旅』日本冒険界の奇書中の奇書解説 by 高野秀行

2015年11月21日 印刷向け表示
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しかし、この探検隊はすごい。やっていることは並外れた冒険なのに、実に杜撰でテキトーなのだ。そもそもこんな冒険に素人女性を連れて行くことが間違っているし、ヨットの燃料計が壊れていて残量がわからないとか、行ってみたらオセアニア最高峰が現地の諸事情で登れそうにないので、現地の人に「未踏峰がある」と聞いてそっちの山にひょいっと目標を変えてしまうが、それもやっぱり登れず、また別のトリコラという山にするとか……。

それでも峠さんという人はすごい。登山用具の名称すらわからず、登攀準備でぼうっとして隊長に激怒されたりしながら、根性だけで一週間もかけ、標高4000メートルの岩壁を登ってしまう。

ここでめでたく探検隊の目的は終了するはずだが、なぜか今度はニューギニアに棲む「幻の犬」を探すことになり、呆れた角幡は帰国してしまう。その他、現地のガイドやポーターたちに騙されること無数、パプアニューギニアとインドネシアへの密入国を繰り返したり、長い待ち時間は麻雀に明け暮れたり、もう、とりとめがない。でも、峠さんは常に一生懸命。幻の犬がいるという情報を聞きつけてはあちこちを奔走するが、当然見つかるわけがない。そのたびにショックのあまり、峠さんは村人の前で泣きじゃくったり、「これで私たちは信頼、自信、金、夢…、全てを失ってしまった」などと書く。

そもそも「幻の犬」探しなど、探検の予定に入ってないし、さっさと帰国すればいいものをどうしてこんなに追い詰められているのかまるでわけがわからない。

最終的に峠さんは日本のお父さんに電話か手紙かで「お前は、人ができないことをもう充分やったんだよ。(中略)帰っておいで」と言われて帰国を決意する。お父さんの言葉は読者全員の思いを代弁しているのだが、それに著者の峠さんが気づいているかどうかは不明だ。

こうして、なんと1年1カ月に及ぶ大冒険活劇は幕を閉じた。そして、藤原隊長は「幻の犬」探しが諦めきれず、ニューギニアに戻り、ネットカフェをオープンしたところ、元ユース日本代表の酒井選手が入り浸るようになったというわけだ。ネットカフェにはレストランもあり、酒井選手は中華丼やオムライスも食べていたという。本書では、食事作りはもっぱら峠さんに任せっぱなしで、文句だけは言い、「ハイエナのように」食べるばかりの藤原隊長が、客にちゃんと日本食を作って出していることにも妙な感銘を覚えてしまう。

本書と『越境フットボーラー』を合わせて読み、ノンフィクションの醍醐味をイヤというほど満喫した私だった。

……以上は約二年前、私が自分のブログに書いた感想を再構成したものである。

ところが今回、あらためて本書を読み直すと、少々ちがった印象を受けた。冒険旅行はやはりとりとめがないのだが、読んでいくと最初から最後まで一貫してぶれない部分がある。

それは「峠さんと藤原隊長の愛と葛藤の物語」である。

最初読んだときも思ったのだが、本書ではあまりに角幡の影が薄い。気力、体力、技術には何も問題なさそうだが、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ一緒にいるだけという感じ。たった三名しかいない隊の隊員なのに「ユースケ」と愛称だけしか記されていないのは、角幡に気を遣ったのかもしれないが、やはり変である。

でも、本書を藤原隊長と峠さんの愛憎劇として読めば、すごく腑に落ちる。峠さんにとって死活的に重要なのは常に隊長なのであって、角幡のことは別にどうでもいいのである。

冒険旅行の間、峠さんは8割か9割方、隊長に対し腹を立てており、ときには本気で憎んでいる。隊長は峠さんに辛く当たりつづける。ヨットやクライミングの技術がないという当然のことに怒りまくり、「飯がまずい」「指示したときに返事をしなかった」と難癖をつけ、大事な食料を一人で食べてしまったりする。峠さんは何度も何度も「もうこの人にはついていけない」と思うのだが、でも毎回踏みとどまる。自分が至らないせいだと思うせいだし、やっぱり隊長についていけば夢が見られるからだ。

わがままだけど魅力的な男についていく恋人のようでもあり、無茶な師匠ととんちんかんな弟子のようでもある。二人の関係は読んでいるこちらも「いつ破綻するのか」とハラハラさせられるが、ときおり、分厚く覆った雲の切れ目から明るい日の光がさっと差すように、美しい場面が照らし出される。

トリコラ登攀のあとがそうだ。隊長はマラリアかなにかで高熱を発しガタガタと震える。峠さんも寒さが限界だったにもかかわらず自分のセーターを隊長に着せた。隊長は「あったかい、あったかい」と独り言のようにつぶやいたなんて場面は夫婦愛のようにも見える。

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