人とロボットが愛し合う時代はユートピアなのか? アンドロイドは『イヴの時間』の夢をみる 人とおなじ姿をして、思いやりの行為を示せるロボットを、人は愛せるのか。その愛を、世の中は認めるべきなのか。

東海林 真之2015年11月22日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

人工知能(AI)ロボットの技術分野が、いま注目を集めています。2045年にはAIが人を超えるとも言われており、世界の著名な学者間でもその可能性に対する是非がまっぷたつに分かれ、議論を呼んでいます。

ロボットの知能が人を超えず、人がロボットを隷属させる世界は比較的想像しやすいものでしょう。しかし、ロボットの知能が人と遜色なく、そして外見も人と変わらないような時代が来た場合、その存在が私たちにとって、どのような意味を持つことになるのでしょうか。このテーマをまっすぐに考えたことはありますか。

人の知能を超えたロボットが反乱を起こす、というような過激な話ではありません。人と同様の思考や行動ができるロボットができた場合、はたして人はそのロボットと共存できるのか? その意味を、具体的に想像してみたことはあるでしょうか。

例えば、ロボットを愛してもよいのかどうか 友人がロボットを愛したとき、そのことをどう捉えればいいのか。 ロボットがあなたを愛したとき、どう向き合うのか。 ロボットと人が愛しあったとき、社会的には認めるべきなのか。 どのように認めるべきなのか。

・・あり得るかもしれない今後の世界を具体的に想像してみるときに、『イヴの時間』は、そのきっかけとしておススメの作品です。

イヴの時間(1) (ヤングガンガンコミックス)
作者:吉浦 康裕
出版社:スクウェア・エニックス
発売日:2010-09-25
  • Amazon
  • ebookjapan
  • 漫画全巻.com

物語の舞台は、まさに前述のとおり。人と変わらない外見と動きをもつアンドロイドが人々の身近にいる近未来です。(あらすじの間だけは、作品世界に準じ、ロボット=アンドロイドと呼ぶことにします。)しかしアンドロイドの思考までが人と変わらなく見えると社会の混乱を呼ぶだろう・・という判断から、アンドロイドが社会に浸透するために、2つの工夫が施されています。工夫の1つめは、アンドロイドの頭の上に「リング」が浮かび、人と違うことが識別できるようになっていること。2つめは、まるで人のように思考できるAIを抑え込み、旧式のロボットのような応対をするようにプログラムされていることです。

このような世界において、アンドロイドは日常をサポートする「家電」のように扱われています。作品の主人公の家でもそう。ところがある時、主人公は、自らの所有するアンドロイドが命令していない場所へしばしば立ち寄っていることを知ります。アンドロイドがそんな(勝手な)行動をとることがあるのかと疑問に思い、その場所を突きとめ、訪れてみます。そこにあったのは「お店のなかでは、人とアンドロイドを区別しない」という不思議なルールが定められた、[イヴの時間]というカフェでした。

マンガ 『イヴの時間』 より

[イヴの時間] では、アンドロイドは自らの「リング」を消すことができます。そして人のように思考し、行動することもできる。つまり、一見しただけでは、人かアンドロイドかまったく区別がつきません。だからこそ、「人とアンドロイドを区別しない」ことが可能なのですが、そんな空間に主人公は、戸惑います。しかし次第に、アンドロイドに対する自分の態度を振り返ることで、考えも変わっていきます。この物語の一番の魅力は、主人公を含めた登場人物すべてが、アンドロイドに対する葛藤を持っていて、「人とアンドロイドとの関係性」を深く考えさせられる点にあります。

例えば、人の姿をしていない(旧バージョンの)アンドロイドに心を通わせるも裏切られた過去をもち、「所詮 アンドロイドは命令で人を簡単に裏切る」と頑なになるマサキ。

マンガ 『イヴの時間』 より

マンガ 『イヴの時間』 より


アンドロイドによって自らの役割(姉、あるいは父親、という関係性)を奪われるのではと恐怖するナオコとマサキ父。

マンガ 『イヴの時間』 より

マンガ 『イヴの時間』 より

 

人のように喜び微笑むアンドロイドを見て、生理的な嫌悪感・恐怖感を抱くカヨ。

マンガ 『イヴの時間』 より
 

マンガ 『イヴの時間』 より


アンドロイドと人の関係が"いつかきっと我々が夢見たものになる"と信じている潮月とナギ。そして、アンドロイドへの関心が高まる主人公リクオ。

マンガ 『イヴの時間』 より


さらには、感情を持つアンドロイドたち。その代表は、アンドロイドとしての受動的な役割にとどまらず、積極的にリクオを喜ばせたいと望むサミィ。

マンガ 『イヴの時間』 より

マンガ 『イヴの時間』 より

アンドロイドに対する恐怖や嫌悪アンドロイドへの好奇心と愛情。そして、アンドロイド"からの"思いやり。・・これらをもとに、アンドロイドと人とのあり方の理想形をどのように考えますか? どんな「社会」を私たちは描くべきなのでしょうか。


ここで急に話の舵を切りますが、ロボットと人との愛情をテーマにすえた社会設計・・を考えた場合、LGBT / セクシャル・マイノリティ(性的少数者)に対する社会設計の論点が、考察の一助になるように思います。

・子供を産むことができない関係性
・しかしそこには愛情がある関係性
・社会的にはマイノリティな存在

このようにLGBTとは共通点があり、また論点も、「社会的に認めることで(愛情を抱く本人たちが)生きやすくなることと、社会的なデメリットとのバランス」、「ヘテロセクシュアルが婚姻届を提出すれば一発で認められる権利(相続や入院時の面会、など)を同等に提供することの是非」など共通するものが考えられます。

しかし、大きく異なる点もあります。その最たるものは、ロボットが愛情をもつ未来はまだ来ていない、ということでしょう。

LGBTの方々が抱く感情は、それ自体はコントロール不可能なため(するべきでもない)、その感情が生じること"前提"でどのような社会設計を整えるかを考えるべきですし、現在もそのような議論が進んでいます。一方で、ロボットが人へ愛情を抱くこと、ロボットに人が愛情を抱きやすくなることについては、その未来がまだ現実になっていない今としては、そもそもそれ自体をコントロール可能だという視点も持ち得ます。

冒頭での問いかけを再び記します。
ロボットを愛してもよいのかどうか。友人がロボットを愛したとき、そのことをどう捉えればいいのか。ロボットがあなたを愛したとき、どう向き合うのか。ロボットと人が愛しあったとき、社会的には認めるべきなのか。どのように認めるべきなのか。

私個人としては、もし『イヴの時間』のような世界が来てしまったのなら(誰かが)ロボットを愛してもよいと思います。しかし、そもそもそのような世界が来るべきではないのでは、と考えるのです。人のそばで人を支えるロボットは、外見や振る舞いが人に近づきすぎない方が、社会的にプラスなのではないか。マンガの中では、主人公の姉 ナオコの抱く恐怖感に共感し、この感情が生じてしまう背景を(ロボットとの愛以上に)考えるべきなのではないでしょうか。

これが『イヴの時間』の読後に考えた、いまの私の考えです。(おそらく作者の考えとは異なるのでは。) さて、みなさんは「人とロボットとのあり方」について、どのように考えますか。あるいはその前提として「ロボットをどの程度、人に近づけるようコントロールすべきなのか(すべきでないのか)」について、どのように考えますか。『イヴの時間』を読んで、よければ考えてみてください。


※補足:今回紹介した『イヴの時間』はマンガ作品でしたが、元々は6話で制作されたアニメーション作品がはじまりでした。その後6話を編集しなおした映画が製作され、その後、アニメや映画、ボーナスブックなどを元に新たにつくられたのが、このマンガ作品です。以下に関連する作品もリスト化しておきます。

 

 

記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
作者:
出版社:中央公論新社
発売日:2014-10-24
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

電子版も発売!『ノンフィクションはこれを読め! 2014』

HONZ会員登録はこちら

人気記事