「解説」から読む本

『日本 呪縛の構図 この国の過去、現在、そして未来』

訳者あとがき

早川書房2016年1月3日
日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来 上

作者:R. ターガート マーフィー 翻訳:仲 達志
出版社:早川書房
発売日:2015-12-18
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本書は久しぶりに登場したアメリカ人の手になる本格的な「日本論」である。(原書は2014年12月に英オックスフォード大学出版局よりJapan and the Shackles of the Past のタイトルで出版された。)その最大のテーマは、日本人の精神や行動にとって今も足枷となっている「歴史の呪縛」の本質を明らかにすることだ。その過程で、著者のR・ターガート・マーフィー氏は、日米関係の核心とも言える問題にも迫っていく。

同氏の主張はきわめて明快だ。日本は1945年の敗戦以来、いまだに安全保障や外交面でアメリカに寄りかかった「従属国」の地位に甘んじている。だが、日本がアメリカに依存し続けるのはあまりにも危険な行為だと著者は指摘する。なぜなら、アメリカは本来、“日本の利益など眼中にもない”からだ。特に警戒する必要があるのは、日米関係を「飯の種」にしているアメリカの対日政策の専門家たち(著者の言う「ニュー・ジャパン・ハンズ」)で、彼らは日本の国益よりも、自分たちの既得権益を守ることに汲々としている(それは翻って、アメリカの国益を損なうことにもなる)。

こうした手合いの思惑通りに事が進み、日本が望ましくない方向に流されることがないようにするには、日本をがんじがらめにしている「呪縛」の正体を国民が見抜き、この国の行く末を自ら決定するしかない。軍事官僚に牛耳られた現在のアメリカの外交政策はいずれ必ず破綻する。そのため、アメリカの「善意」を前提とした日米「同盟」は長期的には持続不可能であり、同国がアジアから手を引いた後、日本は今のままでは孤立を余儀なくされるだろう。

民主党の鳩山由紀夫首相が失脚 ”させられた”のは、こうした現状を変えようとする意思を明確にしたためだった。これは単なる陰謀論ではない。著者は淡々と状況証拠を積み重ねることで、鳩山を排除するために明らかに大きな力が働いていたことを示そうとする。そして、そこからあぶり出されるのは、知らず知らずのうちにそれに加担した日本の国民(有権者)の姿である。

このような見解を表明している著者のマーフィー氏が紛れもない日本の国立大学の教授であり、日米で幅広い交友関係を持つアメリカ人であるということは、それ自体が刮目すべき事実だろう。同氏はあらゆるリスクを承知の上で、こうした主張を展開している。

小沢一郎が半ば政治生命を絶たれてしまったのも、基本的には同様のメカニズムが働いたためだったと著者は主張する。その結果、戦前に回帰するかのような一連の非民主的な政策を強引に推し進める安倍政権が誕生した。一体、どうしてこんなことになってしまったのか。その歴史的背景を本書は丹念にひもといていく。(歴史的背景に関しては上巻、政治や日米関係に関しては特に下巻の第10章と第11章が圧巻だ。)

本書に書かれている内容には、私たちの多くが何となく気づいており、言われてみれば胸にストンと落ちる部分が少なくない。だが、へたに口にすれば批判されたり、誹謗中傷に遭ったりすることを恐れて、つい見て見ぬ振りをしてしまう。その結果、釈然としないまま放置された疑問は澱のように堆積し、いつしか閉塞感へと変わっていく。著者は私たちに代わって、そうした疑問に正面から向き合おうとする。

マーフィー氏は、筑波大学大学院ビジネス科学研究科(国際経営プロフェッショナル専攻)の教授を務めており、その博学ぶりはつとに定評がある。氏はまず、英語圏の読者向けに欧米的な比喩や故事などをふんだんに引用しながら、日本の歴史、文化、経済、社会を概観する。たとえば、長篠の合戦をアジャンクールの戦いに喩えることなどは序の口で、田中角栄とリンドン・ジョンソンの比較分析などは、それだけで一冊の本が書けるのではないかと思えるほど興味深い。読者は本書を読み進めるうちに、ごく自然に多文化的かつ客観的な視点で日本を語れるようになるはずだ。

著者は日本の地理的条件や古代史から書き起こし、平安、鎌倉、室町、戦国、江戸、明治から平成に至る歴史の流れの中で、何が日本を世界でもユニークな国にしているかという「日本論」に多くのページを割いている。たとえば、「日本土着のもの」と「外国由来のもの」の間に明確な線引きをしたり、日常生活において矛盾した状況をそのまま受け入れてしまったりする傾向(これはどんな逆境にも耐え抜く素晴らしい精神風土と同時に、為政者や資本家にとって世界で最も「搾取しやすい」国民を生み出した)や、日本における支配構造に「政治的な説明責任の中枢」が欠けている点(これはカレル・ヴァン・ウォルフレンの説に負うところが大きい)などに注目する。

この支配構造は天皇を政治的正統性の根拠として利用してきた伝統に由来し、明治政府や戦前の軍部官僚を経て、アメリカの暗黙の了解の下で戦後の55年体制にも引き継がれた。それに挑戦する「危険分子」は必ず何らかの不祥事に巻き込まれて排除される仕組みになっている。過去との継続性に焦点を当てたこうした分析は海外でも注目され、英エコノミスト誌などで高く評価された。

日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来 下

作者:R. ターガート マーフィー 翻訳:仲 達志
出版社:早川書房
発売日:2015-12-18
日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来 上

作者:R. ターガート マーフィー 翻訳:仲 達志
出版社:早川書房
発売日:2015-12-18
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挿入される逸話の数々は読者を知的興奮に誘い、凝縮された内容にもかかわらず、ウィットに富んだ力強い文体で一気に読ませる。著者は時には必ずしも正統派とは言えないアプローチで日本文化の神髄に迫ろうとする。たとえば、本書の「隠し味」の一つに、日本文化と日本人のセクシュアリティの関係についての考察が随所に盛り込まれていることがある。次のような描写は、一部の堅物の学者とは一線を画している。「歌舞伎はある意味で17世紀前半における性的娯楽の一種として始まったのだ。それは現代で言えばストリップ嬢が音楽に合わせて踊るポールダンスの類であった」。

歌舞伎や浮世絵などの起源は過去の日本人の社会や生活に深く根差しており、著者はそれを現実の生活(本音)と政治的な虚構(建前)の間で押しつぶされそうになっていた日本人の葛藤から生み出されたものと見る。特に浮世絵に関しては最新の研究成果を盛り込みながら、江戸時代の男女が望んでも得られなかった「真実の愛を共有する相手とのセックス」の代替物(つまり春画)として生まれたという説を紹介している。日本文化のユニークな創造性をこうした社会的な葛藤や過去との継続性の視点から分析する姿勢は本書を通じて一貫している。

また、著者は様々な問題に関して物議を醸しそうな見解(特に海外で)を表明することをいとわない。たとえば、第二次世界大戦で日本本土に対する無差別焼夷弾爆撃を指揮した米軍のカーチス・ルメイ将軍を、明らかな「戦争犯罪人」と名指ししたり、原爆投下にも疑問を呈したりしていることもその一部だ。

また、中国共産党には少なくとも大日本帝国と同等の血塗られた過去があると指摘し、慰安婦問題に関しても、いわゆる「キーセンハウス」の伝統などを例に挙げて、韓国も決して清廉潔白ではなかったという主張を展開している。さらに、日本は確かに朝鮮を併合したが、その手法は直前にアメリカがハワイ王朝をだましてハワイを乗っ取ったやり口より悪辣だったとは言えないとまで述べているのだ。だからこそ、日本が抱える「負の遺産」に対する著者の指摘は、なおさら説得力を帯びてくる。

10代の一時期を日本で過ごしたマーフィー氏は、ハーバード大学で東洋学を専攻し、その後、同学の経営大学院でMBAを取得した(その間、エズラ・ヴォーゲル教授のゼミで教えを受けたこともあった)。そして、日本に戻るとチェース・マンハッタンやゴールドマン・サックスといった名だたる投資銀行で着々とキャリアを重ねていく。

ところが、40代に差し掛かる頃に突然人生を「リセット」し、フリーの経済ライターになることを決意する。1989年にハーバード・ビジネス・レビュー誌に発表した論文は、「リビジョニズム(日本見直し論)」という言葉をはやらせたビジネスウィーク誌の記者からも注目されたが、著者はたまたま不在で取材を受けることができなかった。そのため、当時「四人組」と呼ばれた高名なリビジョニストたちの一員になる機会を逸したのである。

つまり、著者は知る人ぞ知る「第五のリビジョニスト」、あるいは(失礼ながら)「忘れられたリビジョニスト」とも言うべき存在であり、その後も日本経済に関する優れた著作を多数発表し、筑波大学で教鞭をとるようになって現在に至っている。本書は、来日してから数十年にわたる考察の集大成であり、ある意味ではきわめて個人的な著作でもある。決して単なる「日本特殊論」に堕していないのはそのためで、日本や日本人を通じてアメリカやわが身を振り返ろうとする姿勢が随所にあふれており、それが本書の魅力をいやが上にも高めている。

本書は、1年前に邦訳出版されたデイヴィッド・ピリング著『日本‐喪失と再起の物語』(原題Bending Adversity、早川書房、全二巻、2014年)と一見テーマが酷似しているため、「日本論」としての比較は避けられないだろう。だが、たまたま両著を担当することになった訳者から見ても、両者のアプローチはほぼ正反対に近い。

英国人ジャーナリストのピリング氏は膨大な量の取材とインタビューに基づき、主に日本人自身の言葉を通じて日本について語らせるという手法をとった。その際、彼は多くの「日本論」に共通する安易な一般化を努めて避けるようにし、第一級の日本観察記をものした。

一方、それと対照的に、本書でマーフィー氏が展開しているのはまさに「ノーガード」の日本論である。著者の立場はきわめて明快で、ヴァン・ウォルフレンなどの先達の影響は認められるものの、マーフィー氏はほぼ100%自分の言葉で意見を表明することを選んだ。その考察は数十年に及ぶ在日体験を踏まえているだけでなく、膨大な読書量に裏付けられた豊かな学識に支えられている。

ピリング氏があくまで部外者(アウトサイダー)として鋭利な視点で日本を捉えたのに対し、マーフィー氏の分析には日本に生活の拠点を置き、長年この国に暮らし、日本人のパートナーを持つ「インサイダー」の視点が感じられる。ただし、アメリカ人のマーフィー氏には時折、鏡の「向こう側」に立って日本と日本人を観察できるという利点がある。また、ピリング氏の著書は「失われた20年」の間に広まった「日本衰退論」に対する「解毒剤」として作用したが、本書はあえて「劇薬」であろうとする点が最大の違いだろう。

本書を翻訳する過程で、マーフィー教授とはそれだけで新書本一冊になってしまうほど濃密なメールのやり取りをさせていただいた。英語版からの主要な変更点に関しては、著者もすべて了解済みである。ある意味では数カ月にわたって通信制大学で個人授業を受けていたようなもので、教授の寛容な対応と細やかな配慮には深い感謝を捧げたい。

今から思えばあまりにも厚顔無恥な質問ばかりで身の縮む思いだが、戻ってくる回答の的確さはもちろん、メールの文面からは常に謙虚で誠実なお人柄がうかがわれ、頭が下がりっぱなしであった。今後、本書が契機となって教授がメディアで発言される機会が増え、そのルネサンス人的な広範な知識を生かしてご活躍なさることを願ってやまない。

2015年11月吉日

日本‐呪縛の構図:この国の過去、現在、そして未来 下

作者:R. ターガート マーフィー 翻訳:仲 達志
出版社:早川書房
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