寂しくても死ねない。愛する者を殺し続ける。『兎が二匹』が描く無限遠点の孤独

兎来 栄寿2016年02月18日 印刷向け表示
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兎が二匹 1 (バンチコミックス)
作者:山うた
出版社:新潮社
発売日:2016-02-09
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「死んで楽になりたい」

多くの人は一度くらいそんな願望を抱いたことがあるかもしれない。ただ、もし死んでも苦しみから解放されないとしたらどうだろう。

この物語の主人公、稲葉すずも常にそう思っている人間だ。しかし、他の多くの人と違うのは彼女が「不老不死」であること。どんなに物理的損傷を負っても、最終的には復元してしまう。四歳の時に口減らしで実父に土に埋められてから実に約400年。自殺しても自殺しても蘇り続けた彼女の脳裏には辛い記憶のみがこびりついている。その苦しみから一瞬でも解放されるために、すずは毎日自殺をし続け、そして再生し続ける。それは、誰からも理解されない苦悩だ。

物語は、咲朗がすずの自殺を幇助する衝撃的な「日課」から始まる。毎日愛する人を殺し続けねばならない……それは400年苦しんできたすずにも解らないであろう、咲朗の重苦。

そんな彼女に寄り添おうとするのが、咲朗。辛い境遇で生まれ育ちながらも、底抜けにポジティブで常に周りに人が集まるような人気者だ。見知らぬ他人とまともに接することができないすずとは正反対。ただ、それ故に引かれ合い、影響を与え、少しずつ変化をもたらす部分も。繋がりを持つのが限りなく難しい存在が、必死に苦しみながらも繋がりを得ていくその姿には貴き美しさがあり、胸を打つ。

「今 辛いことしか思い出せなくても楽しい思い出足してけばいいんだよ!」

咲朗の言葉は、最初にすずに聞こえたように軽薄なものに聞こえるかもしれない。死にたくなるほど辛い状況の連続で疲弊した思考では、この先に良いことがあるかもという想像力すら奪われてしまっているので、尚更だ。けれど、それは確実に一つの真理を突いている。いかにか細い光であろうとも、それを志向しようと選択することが人にはできる。

ただ、結局のところ人は誰といようと、何人でいようと孤独であり続けることもまたできる……できてしまうのだ。そのことを、この物語を読んで再確認する。互いに惹かれ合う所もありながら、決して交わることのない哀切さがすずとサクの間には湛えられている。それは、何もすずの不老不死の苦悩が咲朗には真の意味で絶対的に理解できないから、ということばかりではない。世界で最も深い海溝よりもなお深い、誰にでも起きうる個と個の断絶。それは、悲痛だ。人の弱さとも相まって、あまりに悲痛な物語だ。

咲朗と過ごした時間を400年の中でも特別な愛しむべき時間であることを認めながら、それでも咲朗を突き放し死のうとするすず。この時の咲朗の無力感はいかばかりか。

しかし、この悲痛さは決して重く苦しいだけではない。あと少しだけ指を伸ばせば届いたかもしれない場所への叶わぬ憧憬。それは、ある程度の年齢を重ねた多くの人にとって自らの過去を引き出しうる感情だ。どうしようもない運命によって、あるいは自らの選択によって陥ってしまった状況への焦げ付くような想い。それは人生の味そのものである。そんな苦味に、愛しさすら覚える。

余談だが、「兎の数え方は一羽、二羽では?」と思ったら最近は「匹」も慣用となっているそうで。二匹でいながらもそれぞれに孤独な兎たちの辿る茨の道を、最後まで見届けたい。

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