『原子力政策研究会100時間の極秘音源 メルトダウンへの道』 文庫解説 by 開沼 博

新潮文庫2016年03月05日 印刷向け表示
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原子力政策研究会100時間の極秘音源: メルトダウンへの道 (新潮文庫)
作者:NHK ETV特集取材班
出版社:新潮社
発売日:2016-02-27
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日本に暮らす人々は、日本における「原発の歴史」をほとんど知らなかった。

原発とは何で、いかに導入されて、いかなる社会的な位置づけをなされてきて、いかなる課題と可能性を抱えながらいまに至っているのか。

それは「不勉強のせい」だけではない。そもそも、福島第一原発事故以前、「原発の歴史」を一般向けかつ体系的、あるいは通史的に整理した人文社会科学系の研究・書物がほとんどなかったからだ。吉岡斉ひとし『原子力の社会史』や武田徹『「核」論』、あるいは反原発運動の記録など一部の予言的な学術研究を除き「原発の歴史」は明文化されることがほとんどなかった。あるのは、特筆すべきできごとに立ち会った関係者の残した文書や、頭の中に眠っている断片的な記録・記憶に過ぎなかった。

その記録・記憶を掘り起こし、歴史に変換する作業が、3・11後、一定程度進んだのは間違いないことだ。安全神話の陰で指摘されていた危険性や、不公正な政治の実態。それらは私たちが3・11によって感じた大きな不安・不満の原因を言い当ててくれるものでもあった。

その中で本書が重要な成果であるのは、いまとなっては集めようのない人々の言葉を蘇らせているからだ。本書は、偶然にも記録されていた、原発が導入された時期にその中心となって関わった人々の記憶にあらわれる重要な断片を、鮮やかに歴史へと転換している。音声データとして保存されていた「文書には残らない、残せない話」には、これまで描かれてきた「原発の歴史」が触れられなかったエピソード、あるいは触れてきたもののその詳細を明らかにできなかった事実が様々な形で存在した。

100時間を超える「島村原子力政策研究会」を録音したテープ。1985年から始まったこの研究会には原発導入に携わった官僚・電力関係者・研究者らが集まった。

「原発の歴史」にとって1985年という年は、転換点だったと言えるだろう。

1955年の原子力基本法制定以来、原子力技術は宇宙開発とならんで日本が政府をあげて開発すべき科学技術と位置づけられた。それは冷戦下の米ソの科学技術開発競争の最重要課題でもあった。その先に核兵器やミサイル・情報技術などが存在したが故だ。それは、「鉄腕アトム」にあらわれるような大衆的な夢とも結びついていた。しかし、1970年代になると、産業・科学技術の発展をただ無批判に褒めそやす時代の空気はなくなっていく。公害やオイルショック、ベトナム戦争が背景にあった。

1979年のスリーマイル島原発事故を受け、国内の原発立地予定地域での原発反対運動は以前より盛んになり、そこに起きた1986年のチェルノブイリ原発事故が世界的な反原発ムーブメントにつながる。それはグローバルに見ればソ連の崩壊と冷戦の終焉へとつながる時代であるし、国内的に見ればサブカルチャーが様々な形で「陰謀論」「終末論」を発信しオウム真理教事件にもつながっていく時代でもあった。

一方、原発不信の中でも70年代に急速に進んだ原発立地計画・建設工事の成果として新設の原発が全国各地で動き始めて、重要な電力源となりつつ、青森県六ヶ所村の核燃料サイクル関連施設が形になりはじめ、日本がグローバルな原子力技術開発競争において、先頭集団の中で頭角を現しはじめた時期でもあった。そこには、それまでにはなかった反省と誇りとがあっただろう。

そんな時代を背景として、本書に登場する証言者たちは率直に歴史的証言を述べていった。それはいまとなってはどこにも残っていない貴重な記憶の数々であり、ともすれば、彼らが「墓場までもっていく」ことも十分にあり得た記憶でもあった。その、本来表に出ないままに永遠に葬られることになったかもしれないリアリティのある話を当事者が語ったのは、彼らの多くが引退して利害関係から離れていたが故であり、また若い頃から多かれ少なかれ知った顔同士であるが故だったのだろう。

冷戦下における米国との関係、商業炉導入の経緯、正力松太郎の強引なことの進め方、原発への様々な批判の受け止め方。「平和を望むからこそ進められた原発導入」、「それに最後まで尻込みしたのは他ならぬ電力会社だった」、といった「当時の文脈」。

もちろん、これまでだって史料の渉猟の中でこの歴史の大きな枠組をとらえることは可能だったが、その具体的な根拠や背景が口述情報の中から分かりやすく立ち上がってくる点に本書の新規性がある。

この歴史の掘り起こし作業から見えてくることは、2点ある。

一つは、1945年8月、戦争を終わらせ、戦後社会が始まる「点」に存在した原子力・核が、戦後社会を規定し続けてきたことだ。

日本では「原子力」と「核」として言葉が使い分けられることが多かったが、グローバルには両者とも「nuclear」と同一概念で捉えられる場合が多い。その平和的利用が「原子力」で軍事的利用が「核」であった。日本において、建前上、この両概念は区別されながら今日に至るが、大衆意識は両者を混同しつつ恐れ、忌避しながらきた。

核の傘のもとで経済成長を遂げ、国民がもつ広く強い反核意識の上で絶妙なバランスをとりながら外交を進める。資源小国の弱点を原子力エネルギーでまかない、貧しい地域の開発を原発や関連施設立地を通して行う。3・11が揺るがしたのは、そうやって無意識的に生きてきた私たちの戦後社会を根底から支えるいくつもの基盤だった。グローバル、ナショナル、ローカル、3つのレベルにおいて原子力・核は日本社会をいまのあり方にする上で重要な役割を果たしたのは間違いない。

本書はその根底に存在していた政官財学の調整の過程を明らかにした。本書に出てくるエピソードの結果が、現代社会にとっても「OS(オペレーションシステム)」のような役割を果たし、その「OS」は古くなりつつも様々な側面で生きながらえていることを感じるだろう。

もうひとつは、その重要なことの中心に空白がある「中空構造」だったということだ。
3・11後の原発に関する議論が象徴する通り、推進か反対か極論は聞こえるがそれ自体が噛みあうことはなく、その間にあるであろう前に進むための議論が見えてこない。それは、本来語られるべき議論の中心点、例えば立地地域の状況や、新興国・途上国における急速な原子力利用拡大の現実、廃棄物処理の落とし所などがいつまでたっても語られずに放置されていることと表裏をなしている。3・11以後、その問題の最も中心にあるはずの福島第一原発廃炉の現状について、あれだけ情報が飛び交っているかのように見えるのに、実は、私たちはほとんどそれを語る言葉も知識も、5年経った今になっても持っていないことと同様だ。原発を取り巻く議論は常に中心を欠いた、ドーナツのような「中空構造」をなしている。

重要なのは、そのドーナツ構造の穴を埋める作業だ。現実的にどのようなことが起こっていたのか、いるのか、今後どうなるのかということを直視しながら議論することが、失敗を避け、状況を改善することにつながる。本書はそのドーナツの穴を埋める貴重な作業の一つだった。

3・11から5年たち、原発をめぐる社会構造は様々な面でかつての状態を取り戻しつつある。高経年化した原発が稼動し、推進・反対の二項対立的な議論は膠着状態となり、漠然とした不安感と無関心が広がる。盛んな原発インフラ輸出の国際競争と北朝鮮の核実験など核をめぐる国際秩序の変化。もちろん、電力の自由化、再生可能エネルギーの普及、福島第一原発廃炉作業の進展など大きな変化もあるが、その根底にある原発の存在感はむしろ増しているように見える。

いま、重要なのは、大きな革新を夢想することではなく、歴史をふまえて広い視野を確保しながら、二度と原発、あるいは他のあらゆるエネルギーにまつわる「危機への道」を進まないための方策を具体的に考え、地道に実行していくことだ。それは、端的に言えば、かつてのように何かに依存したり、絶対安全神話を盲信したり、公正さを欠いた議論をし続けたりしない道を模索し続けるということに尽きる。

本書の明かした歴史の上に、新たな「原発の歴史」が築かれていくためには何が必要なのか、私たちは考え続けなければならない。

(平成28年1月、社会学者)

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