絶景×ご馳走=至福! 単独行女子の登山グルメ漫画『山と食欲と私』

マンガサロン『トリガー』2016年04月29日 印刷向け表示
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山と食欲と私 1 (BUNCH COMICS)
作者:信濃川 日出雄
出版社:新潮社
発売日:2016-04-09
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「なぜ山に登るのか?」
そこに山があるから」

というジョージ・マロリーのシンプルで美しい答は、実は度重なる取材に嫌気が差して適当に答えたものだという話もありますが……。もし私がそう問われたなら真剣に
そこに空に近い場所があるから
とでも答えるでしょうか。

そう、こういう景色を見に行きたいのです。
言葉を超えて脳を、魂を一撃でノックアウトしてくれるような絶景を。
あらゆる俗世の羈絆から解き放たれ、壮大なる世界の中の点となり、自己を空っぽにし、心と魂をデトックスする。そして、澄み切った所で絶景を眺めながら美味しいものを口にする。そんな贅沢が他にあるでしょうか。

安全な家の中で食べるよりも、苦労して登った山の頂上で食べる食事の方が快感の度合いが高まるということは、脳科学的にも証明されています。辛い思いをすればする程、苦労すればする程に脳の報酬系はより多くの快感を与えてくれるそうです。大変な仕事から解放された後のビールが格段に美味しく感じられたり、あるいはキャンプで不便な飯盒を使って炊いたカレーライスが美味しく感じられたりする経験は、多くの人が味わったことがあるのではないでしょうか。

そんな快感を疑似体験できてしまうのが、『山と食欲と私』。いえ、疑似では満足できず、読んだら実際に山に行きたくなる人も続出するであろう登山グルメマンガです。

主人公は東京郊外に住む27歳のOL・日々野鮎美。休日には日々山に登り、「山ガール」と呼ばれると少し機嫌が悪くなる、生粋の「単独登山女子」です。そんな鮎美が様々な山に登り、行った先々で美味しいアウトドア料理を満喫する姿が1話10ページほどでテンポよく描かれていきます。

山の上で食べる上等のウインナー入りカップ麺、水戻しホワイトシチューパスタ、メスティンで炊いたオイルサーディン丼、グリューワインetc……
ああ、どれも美味しそう! 空腹時に読むのは絶対に避けたい漫画です。山の上でなくても再現して美味しそうな料理も沢山出て来るのですが、やはり山で食べるからこそというのがあるでしょう。1巻には収録されていませんが、19話の「大人ココア」はうちのお店の裏メニューに加えたいなと思いました。

グルメマンガとして素晴らしい一方で、登山マンガとしても楽しめるものになっています。

エベレストやK2に挑むようなことはありませんが、装備を整えて八ヶ岳に登ったり、テントで山小屋で夜を明かしたりと、様々な山での行動が描かれます。時には命を落とす危険性もあるからこそ、その先に待つ景色はより美しく感じられ、ご飯はより美味しく感じられる。そのことがマンガとしてしっかりと描写されています。

山の上でよく私が思うのは、こんな感動して涙が出るような美しい景色でさえも、広大な宇宙の中の塵一つにも満たないような極小の星の薄皮一枚の上の、取るに足らないような玉響のものに過ぎない。そう考えると、眼前の雄大さとあいまって日常のちぽけな悩みなどは極めて些細なことだと思えるようになります。物語を耽溺することも、山に登ることも、本質的には同じ動機なのかもしれません。要は、非日常を求めているのだと。非日常に浄化されたり、あるいは翻弄される自分を求めているのだと。そうすることで、ある種のリセットを掛けた状態で日常に帰って来られるのかな、と。そのことの大事さに、本作を読んで想いを馳せました。

『ヴィルトゥス』や『少年よギターを抱け』などを描かれて来た信濃川日出雄先生ですが、本作は今までとは違った新しい良い鉱脈を見付けられたな、と思います。今後も、くれぐれもお腹が減っている時には読まないよう注意しつつ、続きを楽しみにしたい作品です。

山上の空気と景色をおかずに食べる一杯のカップ麺は、数万円のフルコースに勝ります。

 

『山と食欲と私』は、くらげバンチで毎週金曜日更新で公開中です。

http://www.kurage-bunch.com/manga/yamashoku/

 

(文:マンガサロン『トリガー』店長 兎来栄寿)

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