天才・平方イコルスンのもたらす無二の快楽はあまりにも『スペシャル』

マンガサロン『トリガー』2016年05月03日 印刷向け表示
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スペシャル 1 (torch comics)
作者:平方イコルスン
出版社:リイド社
発売日:2016-04-11
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天才という言葉はみだりに使うべきものではありません。その上であえて言いましょう。

平方イコルスン先生は天才である、と。

初の長編連載作品となるこの『スペシャル』に限ったことではないですが、平方イコルスン先生の作品は非常にサイエンティフィックです。

読者である私たちは、作品内で多くの不可解な現象を観測します。全てはそういうものとして「在る」世界。それは私たちの世界と同じように見えて、その実かなり異質です。一見しただけでは、なぜそんなことが起こるのかは全く解りません。しかし、それらの現象の意味は徐々に解き明かされて行きます。最初は意味不明に感じられても、後々理由付けができるようになって行くのです。その過程には独特の快感が生じます。仮説を立て、実験を繰り返し、世界の隠された法則を一つずつ暴いていくような快感が。その感覚は、他の漫画ではまず味わえない類のものです。

普通の漫画であれば有り得ないようなことは、他にもあります。例えば、本作では第一話にヒロインともう一人の中心人物の名前が出てきません。ただ代名詞で「彼女」と言われるのみです。二話目になって、ようやく会話の流れで不意に明かされるのです。更に、二人の下の名前が明らかになるのは五話と八話を待たねばなりません。通常であれば、一話目の冒頭で主役の名前は明示されます。しかし、そのセオリーを『スペシャル』は否定します。

結果的に、一話を読んだ時の印象は「よくわからない」となるかもしれません。しかし、それは計算された意味不明さです。一話目はすんなりと感情移入できないように、あえて作られている。そして、その異質な手触りが逆に強い印象を残します。二人の名前が解らないからこそ、その二人のキャラクターの本質に真摯に向き合うことになります。名前というのは、いわば思考停止。名前を付け、呼称することによって人は対象を理解していると錯覚してしまいます。言語化という安易で大雑把な区分では不十分な存在の繊細さ、そこに向き合う大切さを思い出させてくれます。その上で、二話目以降は名前を持ったヒロインの視点で、不思議な事象に対峙していくことになります。

名前で言うと、作中で一番最初に名前が明かされる藤村と、他の人物が割と一般的な苗字なのに対して実在するのかも解らない苗字・会藤。そんなに登場人物が多くない中であえて「藤」という文字を被らせているのも、リアルさの演出か何なのか、意図的なものを感じます。キャラの名前一つとっても一筋縄では行かない世界。名前も含め、少しずつ小出しにされる作品世界の情報は、その量と順番が実に絶妙です。

構造自体が非常に独特であるだけに留まらず、その装飾に当たる部分もかなり特異です。何しろ、言語センスが光り輝きすぎていて直視できないレベル(そもそもとして、「平方(ひらかた)イコルスン」というペンネームに、既にその溢れるセンスは見て取れるでしょう)。

http://www.to-ti.in/product/?action=story&id=498
ちなみに、5月8日までにTwitterでハッシュタグ「#スペシャル1」を付けて、好きなコマにコメントを添えて呟くと、サイン色紙やステッカーが当たるキャンペーンが行われています。好きなコマが多すぎて選ぶのが難しいのですが、折角なので私も好きなコマで打線を組んでみます。


1番 センター「第11話 聖性持ちの狼藉娘」

本作は面白いサブタイトル多数ですが、中でもこの11話の矛盾を内包したサブタイトルは秀逸です。え、いきなりコマじゃない? いやぁ、ドーナツの穴のような立派なコマだと思いますよ。


2番 セカンド「完全武装のプリン体~♪」

谷の謎の着メロ。完全にセンスの賜物すぎます。アニメ化した時のメロディが気になりますね。


3番 ライト「何それッ女神すぎるから却下!(中略)もっと女神ひかえめで! 脱・天女!!」


日常でも使いたくなる「女神すぎる」&「女神ひかえめで」。「神」といい、崇めることへの欲求が散見されます。


4番 レフト「あぁ…生態系がねー…厳存するもんね」

水遊びするだけで生態系を乱してしまう少女の苦悩。日常会話で「厳存」なんて使うJKがいたら……愛でたくなります。


5番 ファースト「自分のいない場所で自分の威厳が発揮されてるのってほんといいものだなぁ(しみじみ)」


先生の出番は基本少ないのですが、それでも強烈なインパクトです。「帰属させて!」というセリフも良いものだなぁ(しみじみ)。


6番 ショート 「つねりの苦痛を…豆の快楽で相殺してんのか!?」


会藤君が豆で得る快楽量をビッグデータで可視化したいです。


7番 キャッチャー 「ひとの前向きな死にたさに水を差しやがって」


その直後の「…夢は不老不死です!!」とワンセットで掌返しの面白さを味わえます。


8番 サード「もしさしつかえなければ」「さしつかえる」

彼女の謎という物語の核が、今後どう繙かれていくかも楽しみな所です。


9番 ピッチャー「………殺せ…」

普段は強い大石さんの弱い部分に見るギャップ萌え。直後の「追え! 追って消し炭にしろ! …金なら出す 金なら出す!」という強くて弱いセリフもまた重畳。


いかがでしょう。少しはこの『スペシャル』の名状し難い魅力が伝わったでしょうか。面白さを言葉で表現できないから読んでくれ、と言った瞬間にレビュアーとしては敗北なのですが、この作品に関しては負けてもいっそ清々しいとさえ思えます。上記以外では、相寄ろうとしても究極的に交わらない互いの幻想同士で成立させるコミュニケーションというものの本質を実にさり気なく描いている部分も圧巻です。


一読して意味不明に感じても、繰り返し読めば理解できる。そうして何度も読み返していても、飽きの来ない玄妙な味わい。生ずる中毒性。明らかに天才の仕事です。『ゆゆ式』や『子供はわかってあげない』などが好きな人は、きっと本作も気に入ることでしょう。人を選ぶ要素こそありますが、この「スペシャル」な物語体験を試さない手はありませんよ。

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