父が失踪したときに読んだノンフィクション漫画『失踪日記』 “失踪したがる人”の気持ち、理解できますか?

菊池 拓哉2016年05月29日 印刷向け表示
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ぼくの父には失踪癖があり、過去に四、五回、行方不明になっている。

いきなりこんなことを書くと、「“癖”だなんて大げさなことを……」とツッコミが入りそうだが、事実なのだから仕方ない。世間一般の世帯主が生涯で一度も失踪しないことを鑑みれば、それを数回やらかしているぼくの父が異常であることは疑うべくもないだろう。


父について少し書く。
ぼくのものごころがついた頃から、父はいつも何かに腹を立てており、夜になると喉がふやけるほど酒を飲んでいた。
日中はわりとまともに話せるし、家事や仕事もそれなりにこなしていたのだが、酒が入ったときの父は最悪だ。
深夜に自宅マンションのゴミ捨て場へ行くと、共用ゴミ箱の脇でなぜかぬくぬくと眠っている父に出会うことが何度かあったし、酩酊して愛人らしき人物の名を叫んでいる彼に遭遇したこともあった。

そして父は、ときどき何の前触れもなくふらりといなくなり、そこから数週間(というか発見されるまで)帰ってこなかった。いなくなる前日までは普段通りの生活を送っていただけに、ぼくら家族には失踪の動機がまったくわからない。仮に泥酔してどこかを徘徊しているのだとしても、酔いがさめる朝には帰ってきていいはずだ。
当然ながら、こちらはそれなりに心配するわけだが、行方を眩ましている間、まったくの音信不通になるのだからどうしようもない。お手上げである。

初めて父が失踪したときには、ぼくもそれなりに狼狽し、近所をやみくもに探し回ったものだが、それが三度、四度と繰り返されると徐々に慣れてきた。

失踪後、父の身柄が確保される場所は、その都度違ったが、かつての同僚に金の無心をしたところをぼくにチクられて見つかるか、公園で生活しているところを近隣住民に発見されることが多かった。
つまり、失踪している間、彼は愛人の家に転がり込むわけでもなく、路上で食うや食わずの生活をしていたのである。金があり、仕事もあり、家庭も持っている彼が、なぜそんなことをするのか、ぼくにはまったく理解できない。

いくら慣れたとはいえ、何度も失踪を繰り返されれば、ぼくら家族としても何かしらの対策を打たなければならない。事前に失踪の予兆を察知し、阻止できるのであれば、それに越したことはないのである。

そこでぼくは、やたらと失踪したがる父の気持ちを理解しようと試みることにした。

そんな折に出会ったのが、吾妻ひでお先生の『失踪日記』だ。SF、ロリコンジャンルの漫画家として一時代を築いた同氏が、二度にわたる失踪体験や自殺未遂をコミカルに描き上げたノンフィクション漫画である。2005年の発行以来、手塚治虫文化賞などの名だたる賞を総なめにしているので、漫画好きであればすでに読んでいる方も多いかもしれない。

失踪日記
作者:吾妻 ひでお
出版社:イースト・プレス
発売日:2005-03-01
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見るからに重い題材を取り上げているだけに、よほどネガティブな内容なのだろうと覚悟を決めてページをめくってみると、冒頭2コマ目で早々に肩透かしを食う。

 

「この漫画は人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いています」という冒頭2コマ目の作者の宣誓が目にとまる

 

……そう、この作品はノンフィクションでありながら、あくまで読者を楽しませることに徹したエンターテインメントなのである。仕事をほっぽり出し、家庭をほっぽり出し、着の身着のまま失踪した作者は、自身のどん底体験を少しの悲壮感も残さずデフォルメし、コミカルな笑いへと昇華させている。
 

自らのどん底体験が、まるで他人事のようにコミカルに描かれている


作中では、作者が路上生活を送っていたころの日常も赤裸々に描かれている。
毎朝4時に起床し、近所のゴミ捨て場を回って食料を確保。その後、図書館で借りた本を読みながら公園で時間をつぶし、夜になると居酒屋の裏で空の酒瓶からアルコールをかき集めて晩酌……。
 

このページは、作者の飲酒にかける執念を感じさせる……


そんな描写からは、路上生活者の苛酷な生活模様が確かに読み取れる。しかしそれ以上に「ちょっと楽しそう」でもあるから不思議だ。

そうは言っても、「ちょいと俺も失踪してみようか!?」というモチベ-ションには決してならないし、結局この本を読んだあとも、失踪癖のある父の気持ちは、ほとんど理解できなかった。

しかし、絶望的な現実を淡々と受け入れながら、日常にささやかな楽しみを見出して過ごす作者の姿には、誰もが共感するはずだ。生き辛い世界をデフォルメし、不幸を笑い飛ばして前へと進もうとする彼の行動は、ある種の自己防衛策なのだろう。そんな経験は、ぼくにも少なからずあるし、もしかすると父だってそうだったのかもしれない。


ちなみに、ぼくが『失踪日記』を読んだしばらく後に両親は離婚し、父は家を出て行った。やがて父の不在はぼくの日常となり、彼の失踪癖に心を煩わされることもなくなった。

それでもたまには、この本を読み返して、一連の失踪劇に思いを巡らせてみる。『失踪日記』には、謎だらけの父を読み解くヒントがある気がするのだ。

 

失踪日記
作者:吾妻 ひでお
出版社:イースト・プレス
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