『遺伝子組み換えのねじ曲げられた真実』日本の消費者はドルーカー氏の警鐘を どう受け止め、どう生かせばよいか 巻末解説

日経BP2016年06月21日 印刷向け表示
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遺伝子組み換えのねじ曲げられた真実 (私たちはどのように騙されてきたのか?)
作者:スティーブン・M・ドルーカー 翻訳:守 信人
出版社:日経BP社
発売日:2016-06-22
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ファインマンの暗示と「不確かな科学」の政治化

米国の著名な物理学者のR・P・ファインマン博士に、『科学は不確かだ!』という講演(大貫昌子訳、岩波現代文庫)がある。「科学者は自分の理論の誤りを、決して隠そうとはしません。それどころか彼の進歩と興奮は、実はまったくその逆のところ、つまり誤りを発見する過程にあるのです」。一方「人類が犯す唯一の過ちは、……答えがわかったと決め込んでしまうことです。……僕らはそんなに賢くありません」と博士は語っている。

博士は生物科学についても言及する。過去200年において科学は急速な発展を遂げ、現在「生物科学はもっとも驚くべき発見の寸前」にある。しかし「近い将来、生物学の発達が前代未聞の問題」を起こすと暗示する。博士はここでオルダス・ハクスリー著『すばらしい新世界』(ディストピア小説)を挙げた。この講演は1963年4月に行われた(二年後に博士はノーベル賞を受賞)。

スティーブン・ドルーカー氏の『遺伝子組み換えのねじ曲げられた真実』(以下「本書」)は、1970年代(ファインマン氏の暗示から約10年後)から生物工学として本格化するこの科学の告発から始まる。微生物から始まったこの科学はその後植物(農産物)にも応用され、いまでは動物へと拡張される。その過程で多くの問題や疑念をもたらす。しかし歪曲、強弁、隠蔽などを重ねいまに至る。ドルーカー氏はこれを緻密かつ執拗に追及してゆく。

近代科学の前提は実験的検証にあると学んできた。失敗に学ぶという謙虚な態度は必須のはずだ。技術が実用化されその産物が市場に出るには、市民も納得できる厳密なテストや情報公開が必要だ。もちろん生産過程やその技術の検証も欠かせない。しかし科学は、私たちの生活や生命を脅かす事故・事件も引き起こしてきた。

ドルーカー氏によれば、遺伝子組み換え(GM)の歴史において推進派は「彼らの」科学を極めてきた。それはファインマン氏が語った科学から自覚的に逸脱する業界科学だ。ドルーカー氏は、これを黙認してきた米食品医薬品局(FDA)こそ主犯格であることを明らかにする。そして、FDAの職務に瑕疵があるとし、FDAを相手取り訴訟を行う。

『ゲランドの塩物語』(コリン・コバヤシ著、2001年、岩波新書)は、遺伝子組み換え産業と核産業の一致を指摘した。福島第一原子力発電所事故の後、かねて疑念のあった「原子力村」の存在が話題になった。ドルーカー氏は「本書」で「バイオ村」とも言うべき異様・陰湿な世界の存在を明らかにする。

遺伝子組み換え食品の日本上陸と生活クラブの対応

厚生省(当時)が遺伝子組み換え食品(GMO)の安全性を確認したのは1996年である。この年はさまざまな食品の問題が起こったが、やはりこの問題が以後決定的に重大になる。日本でGMOの流通が始まって今年で20年だ。本書を読むと安全性の確認とよくも言えたものだと再確認する。

私たち(生活クラブ生協)はまずGMOの学習から始めた。本書でドルーカー氏が重視するトリプトファン事件やフレーバーセーバー(GMトマト)、実質的同等性、モンサント等のGMOを推進している企業等の問題である。そして私たちは、①人体や健康への影響(急性のみならず慢性に関するテストの重視等)、②環境への影響(種子汚染や生物多様性等)、③GM種子を生産する多国籍企業による種子支配(結局は企業の利潤追求)など、懸念すべき問題が山積していることを知る。こうして生活クラブは翌年初頭に、GMOに対する基本態度を固めた。これは二つの課題に集約できる。

第一は、生活クラブで取り扱っている食材の原料から、GMOを(徹底的に)排除することだ。トウモロコシと大豆がGM化されたなかで、この課題の対応は困難を極めた。これらは主原料としてではなく、副原料、微量添加物などに広く使われており、その影響は広範である。そのため、製品原料を個別に追跡して、原料をNON-GMO(遺伝子組み換えでない)にするしか方法はない。こうした対策には途方もない努力を要する。例えばアルコールがこの対象になることを多くの人は知らないだろう。

食品のみならず畜産飼料の問題もある。GMOの作付面積は年々増加している。そのため飼料をNON-GMOに転換するにはコスト増を伴い、転換を難しくさせている。

基本態度の第二は、徹底的な情報公開だ。追跡した原料の現状と対策レベルを生協組合員に知らせている。日本ではいま、法的に不十分ながら、GMOについての義務表示が存在している(はっきり言って役に立たないが)。しかし当時はそれもなく、わたしたちは独自のラベル表示や情報公開に取り組んだ。同時に、法的な義務表示問題の改善も重視してきた。これはドルーカー氏の最終章での問題提起に関わる。

基本態度の対応と並行して、GMO反対の運動面の対応も急務になった。これらは思いを一つにする生協や市民団体と連携しての取り組みだ。まず国内でのGMイネの動きを阻止する運動に着手した。その後、輸入されたGMナタネが港や輸送道路にこぼれ落ち、自生していないかを調査する運動(アブラナ科のナタネは風媒、つまり風を使って花粉媒介させるので厄介だ)や、生産者と連携して彼らの農地(地域)でGMOの生産の拒否を宣言するフリーゾーン運動など、その輪を拡げてきた。しかし取り巻く情勢は依然として厳しい。国内外でのスクラムの強化がさらに必要だ。

行き詰まるGMOの現在とTPPの懸念

生活クラブ連合会が発行する「生活と自治」という月刊の情報誌がある。この2016年4月号に、『アグリビジネスと遺伝子組換え作物』(日本経済評論社)などの著書がある久野秀二・京都大学大学院教授による、「遺伝子組み換えは世界の飢餓を救うのか」をテーマとするインタビュー記事がある。以下は久野先生のこの記事に依りつつ、GMO問題の現状について見てみたい。

食料増産の技術は、世界の人口増などの問題を考えれば中長期的には必要だ。しかし、いま必要なことは増産ではない。というのは、問題の核心は、分配や格差などにある。しかも、途上国では食品ロスが消費過程ではなく流通過程で発生している。久野先生はこの問題の解決が先だと指摘する。大規模ではない普通の貯蔵施設や、地域を結ぶ道路の整備がこの問題の改善には不可欠で、そういう意味で増産は当面の課題ではない。

しかしGM企業は、増産の必要性を声高に主張する。ところがGM技術が増産に役立つかどうかは疑問である。さまざまな問題が途上国をはじめ各地で顕在化している。実際のところ、GM技術は現状では何の改善にもなっておらず、むしろ事態を悪化させている。

私は2015年にフィリピンのネグロスを訪れる機会を得た。この地はスペインの植民地時代にサトウキビの単一栽培が行われ、「砂糖の島」として知られたところだ。プランテーションでは、モンサント社等の強力な除草剤(グリホサート)が軽飛行機で大量に散布され、健康被害や環境汚染が深刻だ。

またモンサントやデュポンの2社が種子市場を席巻したため、種子価格が高騰し、途上国の農民を苦しめている。ネグロスでも借金苦で経営破たんする農家の問題が報告された。

さらに除草剤に耐性を持つ雑草の増加により、農薬の使用量や使用回数の増加、より毒性の強い農薬の使用という問題がネグロスでも議論になった。後者の問題はドルーカー氏が第7章で記している2,4-Dやジカンバのことだ。2,4-Dはベトナム戦争で使用された悪名高き枯葉剤だ。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に伴う日米並行協議で、これに絡んだ問題が議論されたという。

ここでTPPについて触れたい。生活クラブはTPPに一貫して反対している。GMOに絡んで私たちが心配しているのは、これによって「対等な競争条件」を建前に、GMOの輸入が増大してしまわないか、科学的な根拠がなければ輸入規制ができなくなるのではないか、あの不十分な義務表示制度すらなくなってしまうのではないか、という懸念である。

このように危惧する背景に、ドルーカー氏が第5章で記したモンサントのマイケル・テイラー氏のような、米国の「回転ドア」と称される政治手法がある。彼らは産業界と政府機関の間を行き来する。こうして彼らは企業に都合のよい規制や法律、国際基準を誘導してゆく。こうしたやり方をとるのはモンサントに限らない。「対等な競争条件」はこうして企業本位に仕立てられ、水(ルール)は低きに流される。

ドルーカー氏の提案──新しい方向性と広がる地平線

本稿のお題からすると、本書の最終章に触れないわけにはいかない。ドルーカー氏はここで、未来に向けて二つのことを問題提起している。一つはGMOを世界から駆逐するための戦術論、二つめはこのような問題をもたらしてしまう農業のあり方のことだ。

私にとってGMO問題は、「実質的同等性」という言葉のいかがわしさとの出合いから始まった。この技術は特許だが、この言葉は安全性議論では技術を不問にする。その生産物は従来のものと実質的に同等だとされ議論は終わる。本書によるとそのルーツは、レーガン大統領時代の「製造工程ではなく、製品を規制する」という指示だと言う。これが「バイオ村」の不文律になる。

私たちはこの20年のGMOとの格闘を踏まえ、現在の米国における表示運動に、期待や希望を持っている。昨年、その期待をこめて、他団体と連携して米国の「食品安全センター」のジョージ・キンブレル氏らを招いた国際シンポジウムも開催した。ドルーカー氏は、この表示運動への取り組みを、否定はしないが生ぬるいとの認識を示している。

本書の彼の立論からすると、これは理解できなくはない。彼によれば表示ではなく禁止こそが必達の目標なのだ。これは米国の予防原則を旨とする1958年の食品添加物改正法の順守や、FDAによる厳格なる職務執行で可能になる。これを怠っていることが根本的な問題なのだ。

しかし私は問題を二者択一にすべきではないと思う。表示はその建前からして、合法的に市場に出ている食品にふさわしいという、ドルーカー氏の最終章での意見には少し異論がある。彼は禁止の実現は簡単にできるとし、米国大統領によるFDA長官に対する行政命令や、ビル・ゲイツ氏を動かすことなどを提案している。確かにこれも局面打開に向けた一つの見識であろう。しかし私は表示という消費者の権利行使の実現において、しっかり表示されているという前提のもとで社会が学習するというプロセスも重要だと思う。

ドルーカー氏の問題提起の第二は農業のあり方の問題だ。これは手放しで大賛成だ。もちろん文明史的転換とも言うべき重い課題になる。久野先生も「大型機械を導入し大量の農薬を使って画一的な栽培を大規模に行う近代農業」を問題にされた。農業の工業化という問題だ。GMOはこのような農業の時代の要請を装って登場した。しかも「バイオ村」の体質を背負いながら──。

本書はGMOに反撃するための示唆に富む。すでにして古典とも言うべき必読の文献である。  

加藤 好一(生活クラブ連合会会長)

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鈴木 壮2016.6.22 11:28

これは書評というよりも、ある特定団体の政治的主張ではないでしょうか。このサイトにふさわしい内容とは思えないのですが。

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