『昆虫は最強の生物である 4億年の進化がもたらした驚異の生存戦略』

河出書房新社2016年07月13日 印刷向け表示
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昆虫は最強の生物である: 4億年の進化がもたらした驚異の生存戦略
作者:スコット・リチャード・ショー 翻訳:藤原 多伽夫
出版社:河出書房新社
発売日:2016-07-13
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私は「虫の王国」に住んでいたことがある。

場所は三浦半島の山中。といっても、JRの駅まで徒歩十数分という距離で、標高は30メートルほどしかなく、それほど山奥というわけでもない。見かけは築30年を過ぎた何の変哲もない木造の一軒家だ。小さな庭があって、早春には梅、梅雨時にはアジサイの花が咲き、秋になると柿の木が立派な実を何十個もつける。家は緑豊かな尾根に囲まれた谷間にあり、三月になるとウグイスのさえずりが春の到来を告げ、夏には上空を旋回するトンビの高らかな声が聞こえ、冬が始まる頃には、玄関先に立つピラカンサの赤い実を目当てに外来種のハクビシンがやってくる。私は2010年から5年ほど、この家を借りて住んでいた。

自然豊かなのは、家の外だけではない。古い家だけあって、私よりも先にいろいろな虫が住みついていた。昆虫だけでなく、ほかの節足動物も含めて一般に「虫」と呼ばれている生き物たちだ。ゴキブリが台所を走り回るのはよくあることだとして、玄関にはゲジゲジが出現するし、居間で寝転がっていると、体長10センチを超えるムカデが床を這ってきて、たまに刺されてひどい目に遭う。流し台の下に開いた小さな穴からは、アリが列をなして家に入ってきて、油断していると食べ物がアリの大群に覆い尽くされる。流し台の下の穴を閉じても、今度はトイレや風呂のタイルの目地にできた小さな割れ目から侵入してくる。見つけた穴という穴を閉じて、もうこれで大丈夫だと思っていても、次の年にはやっぱりアリの被害に遭う。

引っ越して2年目の夏には庭やベランダでスズメバチを見かけるようになり、三年目の夏にはとうとうキイロスズメバチが軒先に巣をつくった。ベランダや庭では、ジョロウグモが直径一メートル近くになる立派な巣を張った。庭に出れば、跳びはねるショウリョウバッタや、獲物を待ち伏せるカマキリを見かけたし、夏にセミの声が鳴り響くなかで草むしりをしていると、何カ所も蚊に刺された。小さな家庭菜園に植えたイタリアンパセリは、いつのまにかアゲハチョウの幼虫に食べ尽くされた。そんなとき、私は思ったものだ。ここは虫の王国なのだ、みんなの暮らしを邪魔してごめんなさい、と。

虫の王国に間借りしていた経験のある私には、「地球は虫だらけの惑星だ」という著者スコット・リチャード・ショーの言葉をすんなりと理解できる。

人類を含めた脊椎動物にだけ着目して生命の歴史が語られる「人間中心神話」から脱却したい――本書を通じて感じられるのは、著者のそんな思いだ。カンブリア紀が無脊椎動物の時代と呼ばれることに対しては「脊椎の不在を示すことによって節足動物の繁栄をどことなくあざ笑っているかのようだ」と批判し、両生類の時代と呼ばれる石炭紀はゴキブリ目の昆虫が800種以上も出現したのだから「ゴキブリの時代」と呼ぶべきかもしれないと提言する。人類に最も近い現生の霊長類であるチンパンジーがシロアリを好んで食べることを取り上げ、「シロアリが大量にいなかったとしたら、果たして霊長類は木から降りてきただろうか」と問いかけて、人類の進化にも昆虫が深くかかわっていることに読者の目を向けさせる。

昆虫に対する著者の思いが最も強く表れているのは、新生代を取り上げた第10章と後記だ。「哺乳類に関する最近の歴史は……何億年にも及ぶ昆虫の奥深い歴史からすれば、取るに足らないように思える」と述べ、恐竜が絶滅して以降の哺乳類の歴史はごくあっさりと数ページで語り終える。新生代に多種多様な生物がすむ熱帯林が広く発達したことから、現代を「熱帯の生物多様性の時代」と呼び、熱帯林の急速な破壊によって微小な昆虫が「一時間に一種か二種というスピードで絶滅している」と推定されている現状を憂い、あまりにも多くの人々が「地球でまだ発見されていない生物のことをきれいさっぱり忘れて」地球外生命の探査に熱烈な期待を寄せていることを批判する。そして、「生き物という宝物、40億年に及ぶ生命の進化を今に伝える生物たちを毎日失っているのだから、誰もがもっとこの現実に危機感をもつべきだ」と力説する。

節足動物が動物としていち早く海を出て陸地の隅々まで進出したこと、外骨格や六本脚の利点、甲虫やハチの多様性などを挙げながら、著者は虫が地球を支配していると考える科学的な根拠を示し、昆虫を含めた節足動物の繁栄をたたえる。虫が誕生して地上に君臨するまでの歴史を網羅した本書は、「虫好きたちのバイブル」と呼んでもいいのではないか。

著者が語る進化史は、節足動物にきわめて偏ってはいる。だが、あまりにも多くの進化史が人類や恐竜を含めた脊椎動物中心に語られている現状を考えれば、徹底して昆虫の側に立つ著者の態度も受け入れられるべきだろう。それは決して自分の意見を人に押しつけるような態度ではない。どちらかと言えば、地球の生命の歴史において昆虫が果たしてきた大きな役割にも目を向けてほしいという控え目な態度のように、私は感じる。著者が唱える「虫だらけの宇宙説」については、「科学的な思考において、疑う心をもつことは健全な態度である」と、異論・反論を受け入れる姿勢を見せている。微生物の研究者ならば、30億年以上も前から地球に存在してきた微生物こそが最強の生物であると主張し、きっと「微生物だらけの宇宙説」を唱えるだろう。でも、その主張も受け入れるのが健全な態度だ。

本書を読み終えたら、ぜひ今度はほかの生物の進化史にも目を向けてほしい。生命の歴史をさまざまな視点から見ることによって、自分のなかで組み立てられる進化史はだんだん客観性を増していく。科学的な真実の探究を通じて、物事を多様な視点から見ることの醍醐味や、違う意見に耳を傾けることの重要性を感じとっていただければうれしい。

各章冒頭の引用文について補足しておきたい。訳者名や出版社などの情報を示してある訳文は既存の訳書からの引用だが、それ以外のものについては、訳書があっても拙訳を使用している。

本書の翻訳では、ウェブサイトも含めてさまざまな文献を参照した。ここでは主な参考文献を示しておく。

アシナガバチ一億年のドラマ―カリバチの社会はいかに進化したか
作者:山根 爽一
出版社:北海道大学出版会
発売日:2001-08-10
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岩波 生物学辞典 第5版
作者:
出版社:岩波書店
発売日:2013-02-27
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古生物学事典
作者:
出版社:朝倉書店
発売日:2010-06
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昆虫学大事典
作者:
出版社:朝倉書店
発売日:2003-03
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昆虫の誕生―一千万種への進化と分化 (中公新書)
作者:石川 良輔
出版社:中央公論社
発売日:1996-10
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節足動物の多様性と系統 (バイオディバーシティ・シリーズ)
作者:石川 良輔
出版社:裳華房
発売日:2008-04-05
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2016年5月 藤原多伽夫 

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