HONZ客員レビュー

『「「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄』法治人物から一転、お尋ね者に。そして亡命劇へ

客員レビュー by ふるまいよしこ

ふるまいよしこ2016年8月4日

『「暗黒・中国」からの脱出』は、中国当局からの弾圧対象となった若きエリートによる逃亡譚である。中国国内のイスラム村、ミャンマーの軍閥たちのアジト、チベットから獄中までという数奇な道のりの中、壮絶な出来事が次々と彼に襲いかかる。だが、なんといっても驚くのが、この話がわずか数年前の出来事であるということ。今、現代中国の「自由」は、どのようになっているのか?『中国メディア戦争』の著書でも知られる、ふるまいよしこさんに本書の読みどころを解説いただきました。(HONZ編集部)

「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄 (文春新書)

作者:顔 伯鈞 翻訳:安田 峰俊
出版社:文藝春秋
発売日:2016-06-20
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

中国では先週、ニュースサイト整頓の通達が出た。インターネットが普及して以来ずっと、新浪網、網易網、騰訊網、鳳凰網などのポータルニュースサイトが人気を博してきた。が、これらのサイトは政府がメディア記者に発給する「取材許可証」をもたないため、独自の報道を行えば非合法なニュースサイトとみなされることになった。

実はここ2年ほど、政府系メディアや地方政府のメディア管理局を中心に、新しいニュースサイト作りが活発化していた。省ごとにそれぞれ政府系ニュースサイトを立ち上げたという報道とほぼ同時にこの通達が出たことを考えると、当局初から「民営化」しつつあった報道や評論を引き締めることを目論んでいたといえる。

これらのポータルサイトの一つで編集者を務める友人に尋ねたところ、「(すぐに閉鎖ということはないが)多少は影響を受けるだろう。ぼくが担当しているページでも、どんなふうに展開していくべきか、様子を見ているところだ」と言っていた。

つまり、今後中国のニュース報道、あるいは論評は政府が許す範囲のものが増えていくことになる。これは中国報道事情にとって新たな局面を迎える。報道の自由と同時にそれについて意見を述べる表現の自由が大きく制約されることになる。

ただ、その兆しはあった。実はこの本に描かれる著者、顔伯鈞氏が逃亡に至った理由こそ、多少なりとも表現や報道の自由に関心のある人たちが政府の動きを嗅ぎとるきっかけになった事件だった。

それは「孫志剛」事件から始まった

顔氏は中国の法律知識普及活動を行う「公盟」のメンバーである。公盟とは著名な人権弁護士らが中心になり、公共の利益を求め、理性的な公民社会づくりをめざす、法律知識の普及を目的としたNGOだ。

設立のきっかけは、2003年に広州市で起きた、ある若者の獄中死。亡くなった若者の名前を取って「孫志剛」事件として知られるが、当時経済成長に向けて大卒者を増やそうと大学改革が進むさなかに、地方大学出身者が大都会で拘束されたまま死んだ事件だ。

この事件で初めてメディアがそれまでご法度だった司法の闇に初めて斬り込んで報道し、その結果、死因が留置所内での司法担当者らによる暴行だったことが明らかになる。関係者たちには激しい社会の怒りの声にさらされ、死刑を含む厳しい裁きが下った。

だが、返す刀でメンツをつぶされた現地当局者は報道の先頭に立ったメディアに激しい報復を行い、報道の先頭に立ったジャーナリストたちも疑獄事件に巻き込まれたことは、拙著『中国メディア戦争』でも触れた。

公盟の創設メンバーだった、弁護士の滕彪氏や法学者の許志永氏らはこの時、亡くなった孫氏拘束の理由とされた、他地域出身者の強制送還収容所制度の見直しを全人代(国会に相当)に提案。この提案は当時の温家宝・首相のトップ判断により受け入れられ、収容所は廃止されることになった。

そして、彼らは同年、中央電視台と中国司法部が選んだ「十大法治人物」に選出された。

「法治人物」から一転、お尋ね者に

しかし、法律をタテに公民の権利を擁護する活動は当然のことながら、当局に対立的な立場をとると見なされやすい。公盟に集うメンバーは法律関係者や知識人が多く、この国の法律が置かれた社会事情、そしてその解釈がいかに微妙な政治判断を呼ぶかを知り尽くしていることもあって、実際に駆けつけた社会事件での対応や判断が、逆に民主派関係者から「当局寄りだ」「日和った」「慎重過ぎる」と激しい非難を浴びたこともある。

それほどまでにぎりぎりの温和な「現体制下における法律意識の普及」を目指した公盟だったが、2011年に中国の飛び火した「中東ジャスミン革命」騒ぎをきっかけに、その他のジャーナリストや民主活動家らとともに激しい弾圧を受けた。

その際激しい拷問を受けた滕彪氏は2012年に香港の大学で客員研究員として招かれたのち、アメリカに脱出。その後、中国国内での弁護士資格を剥奪された。許志永氏に至っては2013年に拘束され、2014年に懲役4年の判決を受け、この結果公盟は壊滅的となった。

許氏の実刑判決、そして彼らとともに人権弁護士として社会の信頼を集めていた浦志強氏の有罪判決(2014年逮捕、2015年実刑判決、2016年弁護士資格剥奪)は、経済成長とともに社会が前進していくものと多少なりとも信じていた人たちに深刻な打撃をもたらした。中国の言論や表現の自由、そして権利意識、さらには法治における歴史に残る事件といえる。

この本の著者、顔氏はそんな許氏拘束直前の不穏なムードを嗅ぎ取り、身の危険を感じて妻子を北京に残したまま、身を隠す。この本はその2013年4月から6月、その後1ヶ月の拘束のあと再び、ミャンマーを抜けてタイにたどり着き、直後にこの本の出版のきっかけとなった、訳者の安田峰俊氏と知り合うまでの2015年2月の体験を綴ったものだ。

最初に北京から天津に向かった時、それがまさか2年に渡るものととなり、さらには亡命劇にまで発展するとはご本人も予想していなかったに違いない。

読み終えて感じる、その壮絶さ

『「暗黒・中国」からの脱出』(顔 伯鈞・著)

この2年間の顔氏の逃亡劇は壮絶だ。妻子への念、そして恩人や友人たちへの思いに苛まれながら、逃避行を続ける顔氏。常人なら気が狂いそうな不安だらけの旅にありながら、顔氏は各地で出会った人たちに対する観察と理解を忘れない。

その逃亡劇はまるで小説のようだ。これはもちろん、数十万字にのぼるという顔氏のメモを編集しなおした安田氏の編集力に寄るところも多いのだろう。が、それでもこの現代にまだこんな逃亡生活を送る人がおり、また彼を取り巻く人たちのような暮らしを続けている人がこの瞬間も生きていることに圧倒される。

事細かに書くとネタバレしてしまうのでここでは避ける。実際に本を手にして、その「小説よりも奇」な逃亡劇にぜひ没頭していただきたい。仕事を終えてから夜のうちに読み終えることができるはずだ。

だが、勢いに乗じて読み終えて思うのは、これが小説ではなく、現実の話だということだ。隣国中国において、普通に社会の発展を願う一人の、それも中国共産党員であり、またわざわざ党の高等教育を受けたありふれた人物の、現実の体験であることに、なんとも言えない重い気分になる。

救いは顔氏の聡明さ

しかし、わたしが読み終えて最も驚嘆したのは、著者の顔氏の冷静さだった。

拘束され、拷問にかけられ、さらには殺人犯と隣り合わせの獄中生活すら体験したのに、彼は中国からの亡命者が海外に出たあとで見せるような「憎しみ」や「恨みつらみ」でその逃亡劇をドラマチックに盛り上げることをしていない。

冒頭でも触れたが、公盟の創設者の一人、滕彪・弁護士も今はアメリカで暮らしている。その他にもわたしの中国の知り合いの一部はさまざまな理由から海外での生活を余儀なくされている。そんな彼らが、肉親であろうとも気軽に連絡をとることすらかなわない生活において、自身をそこまで追い込んだ中国政府と共産党を憎み、罵るのは、自然のなりゆきだろう。

だが、海外に点在するそうした「憎しみ」に燃える人たちが、自身の持つネットワークを使って得た中国の情報を発信する時、あるいは中国についての意見を求められた時、その情報は怒りと憎しみでラッピングされてしまうのも事実だ。それが情報を受け取る人たちの「判断」を大きく左右する。単純に彼らの怒りに便乗してしまえば、それはただの怒りや憎しみの連鎖を生むだけだ。

わたし個人は、そんな人たちが発信する情報を参考にすることはあっても、そこに振りかけられた感情をまず切り分け、事実と区別するように心がけている。だが、彼らによって調理され皿に盛られてしまった「情報」は時としてその「調味料」との分別が非常に難しい。つまり、真偽を見抜くことが難しくなる。

激情にかられた言葉は「おいしい」が、しかし、その「素材」が必ずしも新鮮、オリジナルな食材かどうかは別なのだ。

顔氏はこの手記で共産党を批判しつつ、自分を捕まえようとあの手この手を伸ばしてくる「国保」たちに嫌悪感を抱きながらも、それらをひっくるめて「悪の権化」のような形容をすることを避けている。

それは残してきた妻子や肉親に波及するかもしれない懸念によるものかもしれない。だが、一方で望郷の念とともに、逃亡の最中に、さまざまに手を差し伸べてくれた「一般の人たち」の存在を丁寧に振り返る。

つまり、激情に駆られれば、話はたやすく「善(自分)と悪(共産党)」にわけられてしまいがちだが、この著者は中国のもう一面――多くの心優しく、たくましい市民たちの存在を語りかける。それもまた、顔氏が恋しく思う中国の現実の姿なのだ。

一般の市民たちと連帯してこの国をもっと良くしていきたいと活動していた顔氏の姿勢は、その逃亡を経たあとでも揺らいでいない。顔氏のそんな理性的な姿勢がこの本を非常に興味深く、しかし力強いものにしている。

願わくば、世界に先駆けて日本で出版されたこの手記がさらに多くの人たちに読まれ、その印税が少しでも顔氏の辛く孤独な亡命生活の助けにならんことを。  
 

※本稿は、ふるまいよしこさんのメルマガ《§ 中 国 万 華 鏡 § 之 ぶんぶくちゃいな》に掲載されたものを、一部修正のうえ掲載しております。
メルマガ《§ 中 国 万 華 鏡 § 之 ぶんぶくちゃいな》のお申し込みはこちらから

ふるまいよしこ フリーランスライター ●北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学び、雑誌編集者を経て独立 ●現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説 ●東京新聞の土曜日朝刊「本音のコラム」担当 ●「Newsweek Japan ウェブ」にコラム「中国 風見鶏便り」を連載 ●著書『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)●共著『艾未未読本』(集広舎)、『中国超入門』(阪急コミュニケーションズ)  
中国メディア戦争―ネット・中産階級・巨大企業 (NHK出版新書 488)

作者:ふるまい よしこ
出版社:NHK出版
発売日:2016-05-10
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub