至極の名作として完結した『昭和元禄落語心中』が描いているのは、実は落語だけではないという話

マンガサロン『トリガー』2016年10月02日 印刷向け表示
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昭和元禄落語心中(1) (KCx)
作者:雲田 はるこ
出版社:講談社
発売日:2011-07-07
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それ無しには生きられない。それをせずには生きられない。そんな執念の込もった不器用な生き方をする人間を描いた物語が好きです。

たとえ周囲や世間から理解を得られなかったとしても自分の全てをその対象に注ぐ、その飽くなき熱情にあてられるのが好きです。

それでしか生きられないにも関わらず、環境や才能や老いといった壁に阻まれ、激しく懊悩する瞬間が好きです。

それでもなお、ひたすらに愚直にもがき苦しみながら邁進する姿が好きです。

本人にとっては何の気なしのパフォーマンスが、人々を圧倒的に魅了し狂おしくさせるのが好きです。

全身全霊を懸けた末、人の身にしてあたかも神の領域に達したかのように神懸かる瞬間が好きです。

落語が全て、落語無くして生きられない者達の物語

先日、完結巻である10巻が発売された『昭和元禄落語心中』は、そういった要素がふんだんに詰まった大変に好みな作品でした。そして、それだけではない魅力も数多く湛えています。

 

受け継ぐもの、受け継がれるもの

『昭和元禄落語心中』は、一言で言えば「継承」の物語です。

主人公・与太郎の師匠である八代目有楽亭八雲が、与太郎と逢うまで一切弟子を取らなかったことで、私たちのいる世界よりも落語という文化が衰退してしまった世界。

色々な事がありすぎた人生を歩んで来た八雲は、自分の代で落語を終いにする、落語と心中すると決めていました。そんな八雲と暮らしながら八雲を激しく憎む美女・小夏や、八雲と深い因縁のある助六らを交えて、八雲を中心に遥か過去から物語の撚り糸は紡がれて行きます。

伝統の衰退は、現実でも常に問題となっています。

新しく興るもの。その一方で、廃れ行くもの。
何百年と続いて来たものを当代で絶やして良いのか。時代の変化に合わせて自然淘汰を受け入れるべきなのか。
残すとしても伝統として受け継いできたものを変えて良いのか。また変えてまで残す価値はあるのか……。

変化する時代の中で、隆盛も凋落もあり常にその在り方が問われてきた落語

常にその存在の意義を問われ続けるという意味では、人間存在と似たものがあります。しかし、決定的に違うのは、人間は長くても150年程しか生きられないのに対し、受け継ぐ者が居る限りずっと続いていく、ということ。いわゆる、ミームという概念と同義です。

時代を越えて受け継がれ存続していくものは、ある種の普遍性があります。それは、人が人である限り通用するものです。

与太郎は、作中で「落語の本質は笑いだけではなく共感。共感は誰にでもあるもの。だからずっと残る」と言います。この言葉にはハッとさせられました。そのようなイメージは私の中には全く無く、落語といえば笑うものというイメージだったからです。実際、八雲の落語の凄みは恐怖や女性の艶かしさといった部分で最も発揮されます。笑いも含めた、様々な感情への共感こそが落語の本質であり、そうであるならばそれは確かに時代性に関わらず、人間が人間としてある限り続いて行くものかもしれない、と思わされました。

しかし、何百年、何千年と受け継がれ、その間に数多の人の想いを注がれて醸成されてきたものの大きさと重みは、とてつもないものです。憧れや畏敬から入ったとしても、いざ担った時の責任や使命感は如何ばかりでしょうか。歴史に呑み込まれ、個人としての自分を殺すこともままあるでしょう。そんな葛藤も、時には黒い感情や所業すらも全て包括して吸い上げてできあがったものが、伝統です。

とはいえ、それを背負って生きるのは一人一人の人間であることに変わりはありません。人間ですから、疲れることも嫌になることもあります。どれだけ代え難い価値があるかということを他の誰よりも理解していたとしても、終わらせてしまいたくなる瞬間が訪れることもあります。八雲が落語と心中しようという決意も、周りから見れば非常に惜しかったり、また無責任に見えたりするものかもしれません。が、個人の胸の裡はまこともって度し難いもの。外部の人間の物差しでは、なかなかその深淵は見通せません。

それでも、人間というのは感情の動物であり、気まぐれな生き物であるというのもまた事実です。情によってほだされ、絆によって想いを更新することもままあります。卑近な欲望も深謀遠慮もないまぜになった人間同士が時に傷つけ合い、時に慰め合い、助け合う。泣いて、笑って、怒って、生きる。あるいは、そんな浮世の情に愛しさを感じながらも、情を断ち切って表現者としての業に塗れることを選ぶ。

創作や表現に携わる者ならば、魂に響く何かを感じずにはいられないはず。

作中の落語にも、登場人物たちの言動にも、そんな本質的な部分での共感を覚えずにはいられません。

作中の八雲の

人ってのは全てわかり合える訳がない
それでも人は共に暮らす
取るに足らねえ詮ない事をただ分けあう事が好きな生き物なんだ
だから人は一人にならないんじゃないか

といった台詞なども、人間の本質を捉えており味わい深いです。

何もかもが変わらずにはいられない諸行無常の世の理の中で、それでも変えずに守り抜くものがあることの美しさ。外面のガワだけは変わってしまったとしても、本質は受け継がれていく。人の心を激しく動かし、魂を震わせる本質だけはずっと残り続けていく。そんな貴い「継承」を果たすシーンには、自然に涙が溢れずにはいられませんでした。

 

至極の<粋>な物語

10巻の表紙の桜のように、玉響の間に散り行く儚い命の人間だとしても、根幹には様々な継承したものがあり、桜吹雪や花火よりも美しい華を咲かせて生きることができる。落語がこの先ずっと続くかどうかは解りませんが、続いて行く限りはその華の美しさで人に掛け替えのないものを与え、生じさせることができる。与太郎はそのことを直感的に理解し、実践しているように思えます。

1巻の表紙では闇の中で険しい表情で正に死神を思わせるような佇まいだった八雲が、10巻の表紙で浮かべるような柔和な笑顔が自然に生ずる瞬間にも、目から熱いものが止まりませんでした。老いさらばえ、自分の全てであった落語を満足に全うできなくなった絶望を抱える八雲。しかし、思い掛けず彼の心を大きく動かす存在が現れます。これこそは、人間が生きるということそのものだというような感動が生じました。『昭和元禄落語心中』では、血の脈動を感じさせるようなそれぞれの「人生」がそこに息衝いています。

ミクロには落語というテーマを描いており、実際に読んだことで寄席に行きたくなりました。ただ、それだけに留まらず、この作品は落語を通して浮世のあらゆる感情と「人生」を描き切った名作であると言えます。故に、落語に興味のある方にもない方にも、等しく全力でお薦めしたいです。

様々な表現で漫画でありながら声が聞こえて来るように巧みに描かれる落語、その演目と重なり合って織り成されるドラマの美しい構成、読んでいるだけで思わず言葉が伝染ってしまいそうな粋な下町言葉、そして雲田はるこ先生の描く美しい肢体や千変万化の表情、「粋」を体現するような登場人物たちの生き様……全てが艶やかに粋に作品世界を彩り、魅力は語り尽くせません。文字通り、語らないことで味わいを生んでいる部分もあります。

故に、これ以上詳細に語ってしまっては粋ではないでしょう。是非とも実際に読んで、この極上の物語を堪能して下さい。

こういう作品に出逢うために私は漫画を読み続けているし、こういう作品が存在し得るからこそ漫画という表現は素晴らしい。心からそう思います。このような大作を最後まで見事に描き上げて下さった雲田はるこ先生には、ただただ感謝するのみです。


余談ですが、来年に二期が始まるアニメ版も出色の出来で、八雲を演じる石田彰さんを始めとして声優という職人の表現の極みを味わうことができ、併せてお薦めです。

また、最初の長期連載でこの領域に達してしまった雲田はるこ先生は今後何を描くのだろうと思っていたら、10月7日発売号のITANからあの『舟を編む』のコミカライズを短期集中連載するということです。ノイタミナでのアニメも始まるこちらも、約束された名作であり絶対に見逃せません。

昭和元禄落語心中(10)<完> (KCx)
作者:雲田 はるこ
出版社:講談社
発売日:2016-09-07
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ITAN 34号 (KCデラックス BE LOVE)
作者:雲田 はるこ
出版社:講談社
発売日:2016-10-07
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文:マンガサロン『トリガー』兎来栄寿

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作者:
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