女子中学生の愛と狂気と擬音が突き抜け過ぎな『つまさきおとしと私』

マンガサロン『トリガー』2016年11月12日 印刷向け表示
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つまさきおとしと私 (KCx)
作者:ツナミノ ユウ
出版社:講談社
発売日:2015-07-23
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愛も狂気も本質的には同じものでできている。
そして、こういう作品があるからこそ、漫画は素晴らしい。

この『つまさきおとしと私』を読んで、改めてそう思いました。

本作の見所は、目次を見ても分かる通りに様々な日常での「あるある」。様々な「それな!」「いるいる~、そういう人」といった感情を起こさせる所作をする人々が描かれます。

「買い物カゴにレシートを入れたまま戻す人」
「遠くの知人に気づかぬふりしてある程度距離を詰めてから挨拶する人」
「頻繁にお冷を注ぐウエイトレス」
etc……

普通の人が普段意識しないような細かな所まで掬い取る観察眼とセンスが白眉です。

しかしながら、壮絶すぎるラストを読み終えると「よくある日常あるある漫画の皮を被った、とんでもない爆弾だ」というのが率直な印象です。

 

なぜか気付いた時には、つまさきの部分が切り落とされてマヌケな姿になっている靴。
それは、妖怪つまさきおとしの仕業でした。人々の靴のつまさきを糸ノコギリで切り落としていく、普通の人には見えない存在。この妖怪が主軸となるお話……

 

の筈です。普通であれば。


この物語においては、その妖怪つまさきおとしのことを唯一見ることのできる人間、女子中学生の長妻咲が圧倒的なイニシアチブを握って進行していきます。

 

当初は、ただの観察対象でした。
咲はつまさきおとしのことを「とし君」と呼ぶようになり、徐々に「とし君」のかわいさに夢中になって行きます。

 

人間が妖怪を「嗅ぐ」時に出してはいけない音

注目すべきは「擬音」。
とし君の匂いを嗅ぐことで多幸感を得る咲ですが、その嗅ぐ時の擬音の変化が全てを如実に物語ります。

最初は

スンハーー スンハーー スンハーー

 

続いては

スンフッ スンフッ スンフッ ズフー
フゴッ ガフッ ズボッ ボフ 
バンッ

(最後のバンッに不穏な物を感じてなりません)

 

そして最終的には

スピン ナボッ ナボッ ナボッ
グフォーー
スコン バボ!! スコン バボ!!
キシュ
バロロロ
ムスーーー


およそ少女が、いえ人間が発する音とは思えない空気振動を発生させています。


擬音の発展と共に、とし君への愛が深まる一方の咲は、どんどん凄まじい形相になっていきます。

物語が進むにつれて、妖怪にすら「人間が一番恐ろしい」、と狂気と恐怖を感じさせるようなものへと。最初は普通の可愛らしい少女であったはずなのですが……。

マンガサロン『トリガー』のイベントで、あらゆる作品の中のヤンデレを集めて誰が最も狂気的かをプレゼンして決める「天下一ヤンデレ武闘会」という企画がありましたが、咲はかなりの上位に食い込めるポテンシャルがあると思います。

 

愛と狂気は根源的に同質

ただ、咲を「恐ろしい子……!」と言うのは簡単ですが、ある意味でこれは救済の物語であるとも思うのです。たとえ他人の常識からは理解できないものであったとしても、他に居場所のない少女が、ようやく安寧と幸福を得られる場所を見付けられたのだ、と。

そんな状況にあったら、依存とも言えてしまう程に求めてしまうのは致し方ないことです。

その中で、積み重ねによって愛が深まっていく様子が108話という物を思わせる話数の中で描かれます。この昂る感情が愛と呼ばれずに何と呼ばれるのかと。一側面から見たら狂気と呼ばれてしまうのかもしれませんが、それもまた深すぎる愛が見せる形の一つでしょう。

大事なのはそれによって咲が真なる幸福を得られているということ。最初はとし君からも抵抗されていましたが、最終的にはとても睦まじい関係になって行きます。私は、咲ととし君が迎えたハッピーエンドを心から祝福したいです。

 

マイノリティに優しい物語

又、この作品は担当編集者・米山さんの「異常行動」(作者談)も話題になりました。

つまさきを落とした靴を持って全国を駆け巡り、その写真をTwitterアカウント(@nagatsumasaki)にて「#とし君」とだけ呟き続けるという行為を2015年3月から続けています。

 

 

時に名所で、時に美しい景色で、時に動画で、つまさきを喪った靴のある風景を淡々とアップし続けるアカウント。そのアカウントのフォロワーが1500人以上いる世界。更に、ツナミノユウ先生の自身もつまさきを切り落とした靴の写真が送られることがあるといいます。世界は素晴らしいな、と思います。

ツナミノユウ先生は「わけのわからない価値観を受け取ってもらえて返してもらえる美しいキャッチボール」と評していましたが、正にこの作品の真価はそこにあると思います。わけがわからないままでも、人と人(あるいは妖怪)は確かに心を通わせることができる。一般的な理解が及ばない場所でも、暖かな心の交流が生まれているのです。

ツナミノユウ先生の作品は常に「普通」や「常識」から外れた人に無言の優しさで寄り添うものが多いです。

現実世界は、「異常」や「非常識」を篩い落としていくザルです。本当は、それらは少し形が違うだけの「普通」や「常識」なのかもしれませんが、そこから溢れてしまったあらゆるマイノリティや個性を受け止めてくれる器の一つが、こういった作品であるのだと思います。

そうでなくとも、このような漫画は世界に存在する多様な価値観・考え方、それぞれの正義を知るのにとても役に立つ意義深いものです。

決して、簡単に広く一般にお薦めできる漫画であるとは言いません。
しかし、だからこそ『つまさきおとしと私』やツナミノユウ先生の作品は素晴らしい。
こういう作品があるからこそ、漫画という表現は素晴らしく、読まれるべき価値がある。
そう、賛美せずにはいられません。

つまさきおとしと私(2)<完> (KCx)
作者:ツナミノ ユウ
出版社:講談社
発売日:2016-09-07
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隠慎一郎の電気的青春 (KCx)
作者:ツナミノ ユウ
出版社:講談社
発売日:2011-11-07
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蝉丸残日録(1) (モーニング KC)
作者:ツナミノ ユウ
出版社:講談社
発売日:2015-07-23
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彗星継父プロキオン(1) (KCx)
作者:ツナミノ ユウ
出版社:講談社
発売日:2013-01-07
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文:マンガサロン『トリガー』兎来栄寿

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