村山聖の人生に、他の好手はなかったのか。『聖 天才・羽生が恐れた男』 村山聖へのネフローゼ患者からの手紙

宮﨑 雄2016年12月30日 印刷向け表示
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ネフローゼと呼ばれる病気がある。
厳密には症名ではなく、尿にたんぱく質が溶け出してしまっている状態を指す言葉らしいが、症名のように扱われることが多い。発症すると血管から水分が流出してしまい、身体がむくんでいく。悪化すると腎不全など様々な合併症を起こす危険性がある。
僕はその詳細を解説する立場でもないし、知識もないが、一般的には腎機能になんらかの瑕疵が生じたことによって発生するといわれているようだ。明確な原因は不明。2016年現在では根本的な治療法はなく、東京都では難病に指定されている。

『聖 天才・羽生が恐れた男』はそんなネフローゼに幼少期から苦しめられながらも将棋に打ち込んでプロ棋士になり、A級(プロ棋士の上位10人)にまで登りつめ、そして死んだ男、村山聖の人生を描いた作品だ。

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文字通り「命をかけて」将棋に打ち込んだ人生

村山が将棋と出会ったのは、ベッドの上だった。
彼がネフローゼを発症したのは5歳のころ。ネフローゼの発症率は、この年代で比較的高いそうだ。治療のためには長期間の安静と投薬が必要になるため、発症すると、基本的に入院しっぱなしになる。
村山が将棋と出会ったのは、そんな病気の子供が集まる小児病棟だった。当時、1970年代では外遊びができない彼らにできる遊戯は限られていた。将棋は、子たちを見かねた誰かの親が持ち込んだのだろう。そこで将棋の楽しさに目覚めた村山は、治療をつづけながらも勉強に励み、子供将棋大会で上位に食い込むまでの実力をつける。 大会では、のちに終生のライバルとなる羽生をはじめとして、同世代のライバルたちと顔を合わせていたそうだ。

その後成長に伴って体調が落ち着き、退院できた村山だが、将棋への熱は衰えることがなく、ついにプロ棋士を目指すことを決める。その決意を、両親に対して訴えるシーンは、涙なしに読みすすめることができない。物心つく前から、自分の命の終わりと身体の限界を思い知らされてきた村山の、魂の叫びだ。


(©山本おさむ/小学館『聖 天才・羽生が恐れた男』新装版1巻(小学館) p.346~350)

そして、プロ棋士への第一歩である奨励会入りを認められた村山は、親元を離れて師匠の森との生活を始める。 心身ともに将棋漬けとなった村山は、羽生善治をも超える異例のスピードで奨励会を駆け上がり、プロ棋士になる。

棋士たちは皆、人生をかけて将棋に身を投じている。遊びたい盛りの年頃に、他の楽しみを全て断って将棋を指して、それでなんとかスタートラインに立てる世界だ。 しかし人生をかけるどころか、命をかけて将棋を指していたのが村山だった。
40℃の熱を出しながら将棋盤に向かい、医師からは再三の入院宣告を受けながらも対局のために東京大阪間を往復。ガンになっても「麻酔で脳の機能が落ちる」と手術を拒否したこともあったそうだ。結果的にはそれらが遠因となり、命を落とすことになる。享年29歳だった。

村山聖は馬鹿野郎だったと思う

実は僕もネフローゼだ。 ただ、現在は寛解(症状が落ち着いている)状態なので、日常生活に支障はない。毎朝薬を飲む必要があるけれど、気を付けているのはそれだけだ。だけど、症状が出ているときの深刻さは知っている。

一番恐ろしいのは、自覚症状が薄く、かつ急に発症することだ。痛かったり、苦しかったりしなくて、体が少々だるくなるくらいだ。ただ、尿が出なくなるので身体がむくんで、体重が増えていく。それが明確なサインだ。そして、さすがにおかしいなと思って病院に行くと、「明日から入院してください」と言われるのだ。

そこからは息の長い投薬生活が続く。その間は基本的に、ベッドを離れることがなかなかかなわない。村山の場合は、そこで将棋と出会った。ゆえに村山はネフローゼの「おかげ」で将棋と出会うことができたと言えるだろう。 しかし村山を死に追いやったのも、将棋であった。

なぜなら本作で描写されているような生活をしていたら、死んで当然だからだ。本当に馬鹿だと思う。

ネフローゼで入院すると、医師に散々「動くな」と脅される。安静にすることが、ネフローゼの症状に効果的なのだそうだ。しかし村山はプロ棋士として、安静にしていることができない。たぶん作中で一番過酷な戦いをしていたときの村山は、僕が入院したときよりも、遥かに深刻な症状だったように見える。本来なら点滴に繋がれてベットの上で絶対安静にしていなければならなかったような状態だったはずだ。しかも彼が飲んでいるはずの薬は、人間の本来持つ免疫力を著しく下げるものだ。彼の身体は、埃だらけの部屋でカップラーメンをすすって腹を埋めるような生活に耐えられるはずがない。

そうまでしないと将棋ができないというのなら、将棋に殺されたようなものではないか。村山は、もっと自分の身体を大事にできたはずだった。

90年代と現在では、臨床例の蓄積量や論文の共有方法が違うから、おそらく医療のレベルも異なる。だから村山が将棋に命をかけることなく、“ネフローゼ患者”らしい生活をしていたとしても、生きながらえていたかどうかは分からない。
しかしそれでもやりきれない。この作品に描かれている、人生の時間を削りながら将棋に打ち込む村山の様子を見ていると、別の道はなかったのかと思わずにはいられない。 僕は、本当は、文字通り命をかけて将棋を指せるような熱を持った男が、いったいどんなふうに生きているのかを、できればこの目で直に見たかった。

※画像はすべて山本おさむ『聖 天才・羽生が恐れた男』(小学館)より引用しました。

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 村山聖は『3月のライオン』に登場する二階堂くんのモデルでもあるそうです

 

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