『教育劣位社会 教育費をめぐる世論の社会学』教育には税金を使いたくない日本人

村上 浩2017年01月12日 印刷向け表示
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教育劣位社会――教育費をめぐる世論の社会学
作者:矢野 眞和
出版社:岩波書店
発売日:2016-12-16
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自然科学分野で多くのノーベル賞受賞者を輩出し、公立中学校に通う生徒の7割以上が学習塾に通う日本を、著者は教育劣位社会と呼ぶ。それは、日本のGDPに占める公財政教育支出の割合がOECD諸国の中で最低水準にあり(一般政府総支出に対する割合でも同様)、国民の世論も限りある財源を教育に配分すべきだとは考えていないからだ。

本書は、教育学と経済学の狭間に埋もれてしまいがちな教育費・費用負担・財政・税金にまつわる「教育の経済学」を、世論という切り口から追究していく。そのため本書の焦点は、公教育のあるべき姿の模索や個別の教育施策の投資効率検証ではなく、医療や介護など教育支出以外とのトレードオフ関係の中で、日本人がどの程度教育を重要視しているかを確かめることに当てられている。教育にまつわる世論を深堀りすることで、世論がどのように形成されるのか、世論はどれほど不安定で移ろいやすいものなのか、そして世論と政策はどのように結び付けられるのかについても考察していく。

教育政策を考えるためには、教育の実情を知ることが必要となる。しかしながら、日本では議論の土台となるべきデータ、エビデンスが不足しているという。例えば、アメリカではこの40年間にも及ぶ多大なる政策努力は所得階級間の大学進学率格差を減少させることはできなかったことが実証されているが、日本政府はこのような実態を知るための統計を持ち合わせていない。著者は、「エビデンスの欠如は、社会的関心の欠如である」と指摘する。ニーズがないところでは政治は動かないのだ。

そのため本書の議論は、著者等が教育世論を知るために行った独自の意識調査の結果を中心に進められていく。この調査は、日本国民が介護や年金などの公共事業と比較して各教育(義務教育・高校・大学)にどの程度の関心や危機感を寄せているか、有限である資源をどの分野に優先的に振り分けるべきだと考えているか、を明らかにするように設計されている。本書ではその設計思想や質問文も詳細に解説されているので、調査結果から著者とは異なる自分なりの発見をすることもできるかもしれない。

年齢や収入を尋ねる属性調査、運動頻度や旅行経験を問う行動調査に比べて、選好や思想を明らかにしようとする世論調査には不安定さがつきまとう。人間の意識は、質問文の些細な違いや選択肢の順番からも大きな影響を受けるからだ。本書では、これからの日本のあるべき姿を問う質問に対する回答の選択肢が「北欧のような福祉を重視した社会」から「北欧のような高税率によって支えられている社会」に変更されるだけで、この選択肢への選好が著しく低下した事例が示されている。とはいえ、世論調査の全てが曖昧で意味を持たない訳ではない。著者は、意識調査のゆらぎの中から立ち上がる「硬い」インサイトを丁寧に抽出していく。

様々な結果の中であらゆる角度から見て安定している世論は、教育が劣位であることだ。どのような調査においても、税金を投入すべき分野として「教育」は、「年金」、「雇用」、「医療・介護」よりも優先順位が下になる。この傾向は高等教育へ向かうほど顕著になり、大学や社会人教育への優先順位は更に低い。OECD諸国で給付型奨学金がないのは日本ぐらい、というのも世論の意向が反映されたものだと考えることができる。

これらの結果は、日本の世論が教育を不要であると思っていることを意味しない。意識調査結果は、日本では多くの人がその学歴によらず、教育(特に高等教育)は国ではなく家計が対応すべきものであると考えていることを示している。意識だけではなく支出の実態としても、教育支出の内で家計が占める割合を見れば、日本のそれが欧米先進諸国と比べて際立って大きいことが分かる。これは、大学進学機会は家の経済状況に大きく依存することに繋がっていく。著者はこのような教育費の親負担主義の帰結を以下のように考察する。

親負担主義で支えられてきた日本の大学が、親負担主義を継承させる契機になっている。言い換えれば親子関係の強い一体感は、学校教育によって変わることなく、継承されている。

教育劣位社会に繋がる世論はどのように形成されてきたのだろうか。そもそも、世論はどのように形成され、変化するのか。著者は格差問題の実態や政策の効率性に関する情報を調査回答者に事前に与えることで、回答の傾向がどのように変化するかも検証している。世論にうねりを起こすためには「理性」や「理念」に訴えるよりも、「情念」や「習慣」へ訴えるべきだとの議論もあるが、本書の調査からは世論がどのように変化しうるかがありありと浮かび上がってくる。

AIやロボットなどの技術革新が産業構造の大転換をもたらし、企業が求めるスキルも大きく変化している。大学もその存在意義を改めて問い直されている。人口減少局面に入った日本では、何かを増やすためには何かを減らす決断をしなければならない。激変する環境の中で、わたしたちは公教育に何を求めるだろうか。教育優位社会を目指すために、何かを諦めることができるだろうか。 

年収は「住むところ」で決まる  雇用とイノベーションの都市経済学
作者:エンリコ・モレッティ 翻訳:池村千秋
出版社:プレジデント社
発売日:2014-04-23
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雇用とイノベーションの都市経済学をテーマに、どのような都市でイノベーションが生まれるのか、都市の格差を生むものは何かを議論していく。『教育劣位社会』でも引用されているように、平均的な大卒者と高卒者の格差問題も指摘している。レビューはこちら

幼児教育の経済学
作者:ジェームズ・J・ヘックマン 翻訳:古草 秀子
出版社:東洋経済新報社
発売日:2015-06-19
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ノーベル経済学賞受賞者である著者が、就学前教育の効果が非常に高さを明らかにする。ヘックマンの説に対する多くの反論とそれにたいするヘックマンの再反論も掲載されており、多角的に幼児教育を考えることができる。

世論調査とは何だろうか (岩波新書)
作者:岩本 裕
出版社:岩波書店
発売日:2015-05-21
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そもそも、世論調査とは何であり、どのように行われ、どのように解釈されるものなのか。峰尾健一のレビューはこちら

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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