『発掘狂騒史 「岩宿」から「神の手」まで』 文庫解説 by 増田 俊也

新潮文庫2017年02月01日 印刷向け表示
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発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)
作者:上原 善広
出版社:新潮社
発売日:2017-01-28
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あと2月足らずで21世紀にならんとするまさに世紀末、2000年(平成12)に、日本中を驚かせた毎日新聞の大スクープがあった。旧石器捏造事件である。本書はこの事件にまで至る日本の考古学史を追ったノンフィクションだ。

題材を聞いたとき、私は嫌な気がした。あの事件に関わって人生を棒にふった人たちの傷口に塩を塗るような内容を予想したからである。歴史的事件で大失態をおかした人物を追ったノンフィクションは、そのほとんどがスキャンダリズムに堕し、苦しむ人たちを穿鑿し、ぎりぎりまで追い詰められている人びとをさらに鞭打つ内容のものばかりである。 

しかし読みはじめてすぐにその心配は杞憂だとわかった。

あの上原善広である。『異形の日本人』(新潮新書)をはじめ、弱者の側に立ち、ともに涙を流し、血を流しながら書き続けてきた上原である。

上原善広はこのアカデミズム史上類のない大事件を、藤村新一だけの問題にはしなかった。”主役”である藤村は序章で触れられたあと200ページほどまったく登場せず、最後の最後、最終章近くになってやっと出てくるのだ。ここをピンポイントで解説しようとせず、来歴を遡って、日本の考古学界の源流、つまり藤村新一の師匠たちの人生から物語を紡ぎだす。

この書は事実を書き起こしたただの事件物ノンフィクションではない。日本考古学界の流れとあの事件への流れを第二次大戦による国民の貧困を挟んで描く大河歴史書であり、一方で人間が自らでは御しきれない運命の悲喜劇を描き、生そのものを私たちに提示する。 

日本の戦後考古学は、明治大学からの大きな流れを源流のひとつとする。その明大考古学教室で本格的勉強を始めたばかりの芹沢長介のもとに石器が持ち込まれたのは1949年(昭和24)のことだ。物語はここから始まる。石器を持ち込んだその人こそ、在野の天才考古学者、若き日の相澤忠洋であった。 

芹沢長介――後に”旧石器の神様”とよばれるようになる伝説的な考古学者だ。だが、このとき29歳だった芹沢は明大の一学生でしかなかった。幼少の頃から考古学を志して活動していたが重い肺結核で入退院を繰り返していたため、明大に入学したのは27歳、苦労人であった。在野で考古学を実践する相澤忠洋もまた戦前の尋常小学校夜間部と青年学校に学んだだけの苦労人だった。この出会いが岩宿遺跡発掘というそれまでは否定し続けられていた旧石器時代の存在を証明する歴史的な発掘に繋がった。

しかしこの遺跡発掘は芹沢の師匠である明大考古学教室助教授の杉原荘介の手柄となる。芹沢長介はこの師匠と反目、後に明大講師となったが研究室を追い出され、東北大学に職を得てそこを拠点に師匠と張り合い、確執が大きくなっていく。この本の"主役"藤村新一は、東北大学の芹沢長介教授に見いだされて力を発揮していき、芹沢教授を敬慕するあまり、そしてかつて芹沢に見いだされた"先輩"である相澤忠洋の在野の栄光に自らの将来を重ね憧れ、いつのまにか発掘捏造に手を染めてしまうのである。

この明大の杉原荘介教授vs東北大の芹沢長介教授の確執の流れを描きながら、関わった多くの人たちを横糸に、2000年の旧石器捏造事件への伏線が描かれていく。ときに「こんなことまで触れる必要があるのだろうか」と思えるほどに。杉原教授と芹沢教授の軋轢に翻弄される人たちのこと。相澤の最初の妻とのことや2人目の妻とのこと。それらを微に入り細を穿って描いていく。

著者にとってこれらのエピソードは「こんなこと」という些末な枝葉ではないのだ。あの事件を語るに、どうしても書く必要があった。物事には因果があり、果を語るには因を説明しなくてはならない。それらが複雑に撚り合わさってできた糸を軸にしなければ、この事件は決して見えてこない――上原のその強い執念は他のどんな書き手をも圧倒するパワフルなものだ。

結果、この作品は複層的に深みを増し、ただの事件物ノンフィクションの域を超え、文学にまで昇華された。

過去を辿り、そのときどきに堆積した細かな事実を積み重ねて立証していくノンフィクションの執筆作業は、深い地層を掘って長いあいだ眠っていた石器や土器を並べて年表を作り、過去を検証していく考古学に似ている。

この書は失敗者を描くが、斃れた彼の顔を靴底で踏みつけたりはしない。通底して流れるのは、ほんとうに彼が悪いのか、彼だけが悪いのかという著者の人間愛に満ちた眼差しである。上原善広は、人間を描ききる作業は書き手の眼差し如何によって救済文学にもなりスキャンダルにもなることを証明した。

事件を起こした藤村新一だけではなく、この書に登場するあらゆる人びとに差し伸べられた上原の手はとことん人間的だ。読者は会ったこともない上原のその掌の温かみを頬に受けながら本書を読み終え、上原文学の新たな到達点に魂を揺すぶられるのである。本書の副題にある「神の手」という言葉は、上原のこの温かい掌のことをさすにふさわしい言葉であろう。

(「波」2014年9月号より加筆再録、作家)
※単行本発売時のHONZレビューはこちら

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