『パスポート学』私が私であること、それを証明すること

首藤 淳哉2017年02月07日 印刷向け表示
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パスポート学
作者:陳天璽
出版社:北海道大学出版会
発売日:2016-11-02
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本は迷わず買うほうだが、それでも店頭だとパラパラとページをめくってみたり、少しだけ前書きや後書きを読んでみたりする。そんな中、表紙を見ただけで脊髄反射的にジャケ買い購入してしまうのが、類書がないと思われる本だ。この手の本は例外なく新しい知見を与えてくれる。だから見つけた瞬間、即購入しなければならない。

本書も、そんな即買い物件だった。人類学や歴史学、社会学、政治学、法学などの専門家が集まって、パスポートについてさまざまな角度から検討したまさに本邦初の一冊である。

国家とパスポートは切っても切れない関係にある。だからこそ、国の形が変わるときには、おのずとパスポートの形も変わる。

そんな国家とパスポートの変遷を如実に見ることができるのが、旧ユーゴスラビア地域だ。現在のセルビアやモンテネグロ、コソボに住む人々は、この四半世紀の間に、3つないし4つの異なるパスポートを手にすることになった。

特にアルバニア系住民とセルビア人が対立していたコソボでは、政治的中枢を占めるセルビア当局からのパスポート取得を忌避するアルバニア系住民に対し、国連が派遣したPKOである国連コソボ暫定行政ミッションが独自に渡航証明書を発行したところ、かえってパスポートが民族の分断を生じさせる結果になったという。

本書ではこのような世界各国、地域のパスポート事情を概観することができる。歴史的背景や政治体制など、さまざまなファクターによって、パスポート事情は千差万別であることがあらためて理解できるだろう。

そもそもパスポートの発行主体が国家に限らないことも、意外と知られていないかもしれない。パスポートには国連や赤十字といった国際機関や団体によって発行されるものもあれば、カナダの先住民のように国家に抗して自分たちで独自に発行しているものもある。

あるいは、パスポートは生きている人間に対して発行されるとも限らない。かつて中国には「運柩護照」という死者に対して発行されるパスポートがあったという。世界各地のチャイナタウンで暮らす華僑の人々のあいだには「落葉帰根」という言葉があり、たとえ海外に移住しても「死ぬときは故郷で」というのが彼らの望みだそうだ。だが、中には願いを果たせず客死する人もいる。そうした人の遺体を棺に入れて運ぶ際に発行されたのが「運柩護照」である(「護照」はパスポートを意味する)。

本書はどこから読み始めてもかまわないが、今日的なテーマでいえば、第5章「パスポートをめぐる政治」は必読だ。移民問題におけるパスポートやビザの位置づけ、難民認定の現状、海外渡航の自由の制約の問題など学ぶところが多い。

わが国では渡航の自由は憲法22条で保障された権利である一方、過去にはこの自由は無制限に認められるものではないという最高裁の判断が下されている(帆足計事件)。「旅券発給拒否」または「旅券返納命令」といった権限を外務大臣や法務大臣が行使することにより、国がやろうと思えばいつでも海外渡航の自由を制限できるのが現実だ。いまアメリカで起きている国境管理の強化をめぐる大混乱は、決して対岸の火事ではない。

「パスポート学」を標榜するだけあって、本書はパスポートにあらゆる角度から光を当てているが、読めば読むほど、より本質的な問いが浮かび上がってくる。それは「パスポートとは何か」という問いだ。本書所収のコラム「あなたはだれ?――パスポートが覆う、その向こうの景色」は、その問いへの誠実な回答になっている。

筆者のグエン ティ・ホン ハウさんは、ベトナム難民の両親のもと、日本で生まれ育った。彼女はベトナム政府からはベトナム人とは認められず、日本では親が日本国籍でないという理由で日本人とは認められない。そのため海外へ行くときには、パスポートの代わりに、日本の出入国管理局が発行する「再入国許可証」を携えなければならなかった。

ある時、彼女はチャレンジを試みる。ベトナム以外の国、ドイツへの旅行を計画したのだ。大学の研究旅行というオフィシャルな理由もあるし、EUのシェンゲンビザもちゃんと入手するなど準備も万全だった。にもかかわらず、彼女は入国審査(パスポートコントロール)で拘束されてしまう。

「パスポートは?」と聞かれ、「これが私の旅券です」と答える。
「これパスポートじゃないわね。じゃあパスポートはないの?」

この質問に「YES」と答えた瞬間、突然、世界は姿を変えた。相手の笑顔は消え、疑いの目が私を突き刺した。私は国境警備隊のような背の高い男に連れられ、別の場所に移動させられた。なぜパスポートがないのか、どうやってここまできたのか、なぜベトナムのパスポートを持っていないのか、なぜ日本のパスポートを持っていないのか、いったいどこの国なのか、英語でまくしたてられ、必死に私は答えた。

親がベトナム難民であること、日本で生まれ育ったこと、日本の国籍制度のこと、ビザの申請のときに集めた書類を一枚一枚見せる。在学証明、外国人登録書、残高証明、ドイツの研究機関の招待状…。私はこういうものだ、怪しいものではない。必死に説明した。しかし、どの証明書もパスポートのような効力はなかった。

「あなたは誰なのか」「なぜここにいるのか」
その質問に、ちゃんと答えることができない。眩暈とともに世界が揺らぎ、私の足元が波立ち始めた。

彼女はその後、両親とともに日本国籍を取得し、いまでは頻繁に海外へ行く仕事をしているという。もはや空港で止められることはないし、あんな思いも二度としたくない。だが、彼女はいまでも、自らの存在の心許なさに負けそうになっていたあの時、胸の奥底にくすぶっていた「小さな火」のことを思い出すという。

「小さな火」。それはすなわち、「それでも私がここにいるということは誰にも否定できない」という叫びだ。

「私が私であること」は、当の私自身が知っている紛れもない事実である。にもかかわらず、その「私」がひとたび国境を越えようとする時、その事実は、別の誰かによる証明を必要とする。私が何者であるかを決める権利は、別の誰かの手に委ねられるのだ。

「越境」は現代のキーワードである。その越境をめぐる歴史や多様性、矛盾などが、パスポートを通して見えてくる。まだ産声をあげたばかりだが、「パスポート学」の射程は幅広い。いま世界で起きていることを知るためにも、押さえておくべきジャンルと言えるだろう。

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