僕らが立ち止まってきた『踏切時間』の日々と道のりを、ほんとは“ジブン”っていうらしい

工藤 啓2017年02月16日 印刷向け表示
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

踏切時間(1) (アクションコミックス(月刊アクション))
作者:里好
出版社:双葉社
発売日:2016-12-12
  • Amazon
  • Amazon Kindle
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • HonyzClub

 

「カンカンカン」の音とともに遮断機が降りると、子どもたちは電車が右から来るのか、左から来るのか、互いに主張し合う。そんな子どもたちを見て、遮断機に引っかかった僕は車のハンドルに持たれながら、その方向を示す明るい矢印をみる。これでまた目的地まで数分の遅れが発生する。

やれやれ。

大人になったからなのか、時間に追われるようになったからなのか、踏切の遮断機に時間を奪われることに溜息しか出なくなってしまった。いったいいつからだろうか。だって、あの『踏切時間』の日々と道のりは、いつだって僕が僕で、僕が“ジブン”であることを知らせてくれたじゃないか。

『踏切時間』をただ待つということで消費することに耐えられない二人の女子は、その時間を使って青春を、恋愛をしなければもったいないと、夕日に向かって好きなひとの名前を叫ぶことを「新しい青春のグラフィティスタイルのトレンド」と言う。それに対して、「ただの奇行というジャンルにクラスされる」だけと返す。そんな二人が轟音けたたましく電車が通る瞬間に叫んだ名前(ひとりは叫ばなかった)は、二人の関係を微妙なものに変えた。そんな『踏切時間』。

いつもの踏切で、時間通りに『踏切時間』に佇む女子。そして、その女子を毎日後ろから観察している男子。大人びた女子に翻弄されるクラスの男子を「俺ら」「みんな」と表現しながらも、突然、女子から声をかけられ赤面する。ちょっと雑な結び方のネクタイを「しょうがねーなぁ」と直してもらうことでパニック状態。その背後で鳴り響く「ガタンゴトン、ガタンゴトン」という電車の音。そして男子は思う、「・・・また明日も来よう」と。

踏切とは「鉄道と道路が平面交差する場所」とあるが、交差するのはそれだけではない。女子高生の交差、女子と男子の交差、教師と生徒の交差、男女の友情の交差。さまざまな人間関係が交差する場所でもある踏切と、その踏切で生まれる時間。

いつの間にか僕は『踏切時間』を無駄なものであると思ってしまっていた。しかし、少しだけ振り返ってみれば、遮断機によってほんの少しだけあのひとと一緒にいられる喜び。まだ話を続ける時間を持てる楽しみ。もちろん、微妙な関係のひとと過ごさなければならない微妙な時間。一刻も早く離れたいのに、同じときを共有しなければならない残酷な空間。そんな感情が交錯する場である踏切での“大切なとき”を『踏切時間』は僕に投げかけてくれる。いま一度、四人の子どもたちが騒がしくしている後部座席を見て、遮断機の下りた踏切を見てみると、ほんの少しだけ心がラクになった気がする。大切なものを思い出すのは簡単だ。『踏切時間』を読めばいい。

記事へのコメント コメントする »

会員登録いただくと、記事へのコメントを投稿できます。
Twitter、Facebookにも同時に投稿できます。

※ 2014年3月26日以前にHONZ会員へご登録いただいた方も、パスワード登録などがお済みでない方は会員登録(再登録)をお願いします。

コメントの投稿

コメントの書き込みは、会員登録ログインをされてからご利用ください。

» ユーザー名を途中で変更された方へ
 変更後のユーザー名を反映させたい場合は、再度、ログインをお願いします。

HONZ会員登録はこちら

人気記事