『ダイエットの科学 「これを食べれば健康になる」のウソを暴く』 訳者あとがき

白揚社2017年04月28日 印刷向け表示
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ダイエットの科学―「これを食べれば健康になる」のウソを暴く
作者:ティム・スペクター 翻訳:熊谷玲美
出版社:白揚社
発売日:2017-04-28
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高校2年生のことだ。クラスメートのお弁当箱(というかプラスチックの密閉容器)に入っていたのはリンゴだけ。昼ご飯はそれだけだと言う。「リンゴダイエット」だ。おかずとご飯でぎゅうぎゅうのお弁当箱を広げていた私には信じられなかった記憶がある。リンゴダイエットは今も根強い人気があるらしく、インターネットで検索すると何千件もヒットする(もちろん広告サイトも多いはずだ)。

では、ある人(仮にAさんとする)がリンゴダイエットで減量に成功したとして、その理由はなんだろうか。検索でヒットしたサイトにあるように「リンゴに含まれる食物繊維やカリウムのおかげ」なのか、それとも「1日1食から2食をリンゴだけ」にしたので総摂取カロリーが減ったせいなのか、あるいはその両方なのか。そもそも、リンゴに含まれる成分はAさんの体内でどう作用していたのか。同じような減量効果は誰にでもあるのか。その効果は科学的に検証されたものなのか。おそらく、Aさんはそんなことを考えもせず、フェイスブックに、リンゴダイエットで○キロも痩せた!と投稿する(ちょっと得意げに)。すると、それを見たBさんが、Aさんが痩せたなら私もやってみようかな、と考え出す。そして、インターネットで「リンゴダイエット」と検索して……。

私たちとダイエットの関係はおおむねこんなものだ。みんながやっていて、それで痩せた人がいるなら、その科学的な根拠があるかどうかなんて気にしない。「アメリカのセレブがみなやっている」ダイエット法だとか、「これを食べれば○○が解消する!」といった話にはとびつきたくなる。そこに「専門家がすすめる」とか「研究によって確かめられている」という魔法の言葉がついていればなおさらだ。ただ、そうした専門家の話や研究結果は、どこまで信用できるのだろうか。

もし、誰もが「こうすれば健康になる」と信じていることが、ただの神話にすぎないとしたら。

本書は、「Diet Myth」(ダイエットの神話)という原題が示すとおり、そうした「ダイエット(そして栄養全般)の神話」を明らかにしていこうという本だ。ダイエットをはじめとする、栄養と健康の話で多いのは、この栄養素は体に良い、この化学成分は体に悪い、だからこの食品は食べるべきだ(あるいは避けるべきだ)という考え方だ。しかし、同じダイエット法でも、あるいは食品ひとつとっても、人によって反応が違うのを見るのと、そうした単純化には無理がありそうだ。そうした個人差を生み出す、もっと複雑な体の仕組みを最近の科学研究の成果を通して解き明かし、ダイエットの神話を一掃しようというのが、この本の目指すところだ。

著者のティム・スペクターは、ロンドン大学キングスカレッジの遺伝疫学教授で、世界最大規模の1万3000人の双子を対象とした研究「UKツイン・レジストリ」を指揮している。前著『双子の遺伝子――「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける』(ダイヤモンド社)では、遺伝子だけでは説明できない「エピジェネティクス」的な変化で生じる個人差について、自らの双子研究をベースに論じている。本書は、前著までのテーマからやや離れたように見えるかもしれない。ひとつには、本書の冒頭にあるとおり、自ら健康問題に直面した経験が大きいようだ。肉を食べない生活(本人いわく「ベジタリアンみたいなもの」)に挑戦するなどして、ライフスタイルを改善し、病気のリスクを減らそうと取り組むなかで、著者が気付いたのは、世の中には栄養や食事について、混乱を招くようなメッセージがあふれていること、そしてある食品の健康効果や危険性が、きちんとしたエビデンスもないまま広まっているケースが多いことだ。

本書の各章は、(主にアメリカの)食品ラベルにある栄養素がタイトルになっており、その栄養素をめぐる「神話」の存在を、新たな研究成果や、著者の双子研究からの知識によって明らかにしていく。キーワードのひとつが、やはり「個人差」だ。なぜダイエットの効果に個人差があるのか。同じものを食べても太る人とそうでない人がいるのか。著者がなんども指摘するのは、ヒトの腸や脳は個人差がとても大きいこと、そして食品に対する体の反応もきわめて異なっていて、なおかつ柔軟性が高いことだ。そうした個人差の理由を考えるうえで鍵となるのが「腸内細菌」をはじめとする微生物の働きである。

「マイクロバイオーム」(ヒトの皮膚や口腔内、腸、膣などにすむ微生物のコミュニティ)は、最近注目のトピックだ。マイクロバイオームという言葉になじみがなくても、「腸内細菌」と言われたらぴんとくるかもしれない。腸内細菌が食べ物の消化吸収を助けてくれるというのはよく聞くが、腸内細菌の役割はそうしたサポート的なものにとどまらない。たとえば腸内で酪酸などの短鎖脂肪酸を生成し、そうした物質を通して免疫システムと相互作用をするなど、体全体に影響を及ぼしていることが分かってきたのだ。本書では腸内細菌のさまざまな役割について説明しているが、重要なのは、腸内細菌の種類や数が人によって大きく異なることだ。ダイエットや食品への反応の「個人差」の少なくとも一部分は、腸内細菌の「個人差」で説明できる。逆に、腸内細菌を調べれば、自分の体の性質を他人と比較できる。本書でも、腸内細菌の検査(便サンプルに含まれる微生物の分析)は、ある人に固有の腸内環境を知るのに有効な手段として何度も登場している。

今から1年ほど前、本格的な翻訳作業を始めたばかりのころに、私も腸内細菌の検査を受けてみた。利用したのは、「µBiome」というアメリカの有料サービスだ。89ドル(2016年4月の料金)を支払うと、すぐにサンプル採取キットが送られてきた。採取するサンプル(というか、便だ)の量はごくわずかで良いらしく、小さな綿棒で使用後のトイレットペーパーをこすり、その先を液体が入った小さなプラスチック容器に差し込んで、しばらくかき混ぜるだけ。わずか5センチほどのプラスチック容器をキットに同梱の封筒に入れ、国際郵便でアメリカに送った。これで終わりだ。

1カ月ほどして、ウェブで結果が見られるようになった。「結果は病気や診断、治療、予防のためのものではない」という注意書きがある。あくまでも腸内環境の傾向であり、他の被験者との比較なのだ。腸内細菌を「門」という大きな分類のレベルで見ると、フィルミクテス門とバクテロイデーテス門の2種類が多いとされている。私の場合、「カロリー摂取が多いと増える」傾向があるとされるフィルミクテス門の細菌に偏っていて、全体の約6割を占めていた。一方、もう少し細かいレベルでみると、胃腸を健康にする効果があると言われるビフィドバクテリウム属(ビフィズス菌)の数が平均の3倍近くいた。また腸内細菌の多様性では、検査を受けている人の中でかなり上位に入るらしい。

良いような悪いような、なんとも言えない結果ではある。結果のサイトにあったアドバイスも「低脂肪または低炭水化物の食事を試してみましょう」「ヨーグルトなど生きた細菌の含まれる乳製品を食べるとラクトバチルス菌が増えます」といった一般的なものが多かった。しかしとにかく、私の腸内には他の人とは違う、私だけの腸内細菌たちがいることは分かった。そう、検査を受けてみると、腸にすむ小さな同居人(あるいは共同作業者)の存在が実感でき、「私の腸内細菌たち」などと呼びたくなるのだ。

ダイエットの神話が生まれるかげには、こうした腸内細菌たちの役割を過小評価していることがある。もちろん腸内細菌がすべてではない。肥満には遺伝的な影響も大きいが、そこにはやはり、著者が前著から取り上げている、エピジェネティクス的な作用が絡んでくる。

誰にでも効果のあるダイエット法を知りたいという人には、この本は向かないだろう(そして念のために言うと、冒頭のリンゴダイエットの話はあくまでも例であり、私は効果の有無について言うつもりはない。本書にもリンゴダイエットは出てこない)。万能のダイエット法が存在しないことは著者も言っている。腸内細菌も含めて、自分の体は他の誰とも違っているのだから、体にあう食生活(ダイエット)が他人と同じであるはずがないのだ。この本は、自分にあった食生活を探すための助けになるだろう。

ところで、この本に登場するアメリカやイギリスの食生活の例があまりに極端で、日本には当てはまらないと思われるかもしれない(私も正直なところ、訳しながら胸焼けがしそうになるときがあった)。確かに日本は、過体重または肥満の人の割合がOECD加盟国で最も低い。本書でも、魚中心の日本の食生活が評価されている。しかし、今後もそうだとはかぎらない。私たちの食生活は大きく変化している。魚の消費量は近年急激に減少しており、2009年以降は肉の消費量が魚を上回っている。会社帰りの若いサラリーマンが、夕食代わりなのか、夜のファストフード店でハンバーガーを食べていたり、友人がフェイスブックにこってり系ラーメンの写真ばかりを投稿していたりするのを見ると、余計なお世話とは思いつつ、心配になってしまう。

食生活を急に大きく変えることは難しいかもしれない。かといって、流れてくる手軽な情報をうのみにしてしまっていいのだろうか。この本を読む前と後とで、私の食生活が劇的に変わったわけではない。ただ、自分を食べるものは、自分の腸内細菌たちも食べるのだということを意識して、手軽な加工食品を減らして、簡単でもいいから自分で料理するようにした。そのせいかどうか分からないが、最近受けた血液検査の結果は1年前より改善していた。もちろん、何が良かったかは分からない。それでも試行錯誤を重ねて、自分なりの食生活を見つけることが大事なのだろう。

2017年春 熊谷玲美

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