『豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品』

栗下 直也2017年04月12日 印刷向け表示
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豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品
作者:ジェフ・パッサン 翻訳:棚橋志行
出版社:ハーパーコリンズ・ ジャパン
発売日:2017-02-25
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肘の靱帯再建であるトミー・ジョン手術。野球好き以外には聞き慣れない言葉かも知れないが、ダルビッシュ有や松坂大輔、古くは村田兆治などが受けている。かつては成功率1%とも言われたが、現在は8割近くが復帰に成功している。

本書はトミー・ジョン手術を中心に米国や日本の野球投手の「腕」の故障に関する問題を検証しているが、その背景にあるのは、野球界に限らず抱える古くて新しい課題だ。問題の解決手法が見出されていない場合、人はどのようにして立ち向かうか。科学か伝統か、事実か信条か。

772球。2013年春の選抜高校野球大会。済美高校の安樂智大が9日間5試合に登板し、投げた球数だ。日本のプロ野球選手が100球程度で中5日で登板することを考えれば、その球数の多さが際立つ。

国内ではその鉄腕ぶりが感動を呼んだ一方、国外には「子どもへの虐待」との指摘もあった。安樂はその後、右肘を故障しながらも(トミー・ジョン手術は受けていない)、プロ入り。復活途上にあるが、高校時代に最速157キロのストレートで相手をねじ伏せた姿は戻っていない。

甲子園のかつてのスターであり、トミー・ジョン手術を受けた経験のある荒木大輔は本書の中で安樂について「虐待とはいわないが、あれは多すぎです」と答えながらも、「それも甲子園のファンが感動する理由のひとつなんです」と答えている。

日本の野球には成功は練習と訓練の反復によって生まれるとの信条が根強いと著者は説く。実際、その信条に共感を覚えてきた人間が多いからこそ、スポ根アニメが流行り、炎天下でエースに連投を強いる甲子園が熱気に包まれるともいえる。

著者も甲子園を否定するわけではない。日本野球をバッシングするわけでもない。きれい事に映るかもしれないが、青少年の肉体の危機に警鐘を鳴らす。実際、本書を通じて見えてくるのは、野球の本場アメリカの子ども達の環境の過酷さだ。

100億ドル産業に成長したアメリカの野球ビジネスの膨張はとまらない。有望株を早い段階から取り込もうとする各球団のスカウト合戦は加熱。金の卵の発掘をビジネスにしようとする企業が全米で未来のスター選手を競わせる「ショーケース」と呼ばれる試合を開き、10歳にも達しない子どもたちが速く強い球を投げ続ける。

球速ごとに選手はランキング化され、本人も親たちも順位に一喜一憂する。ランキングを維持し続ければ、注目が集まり、100万ドル以上の契約金が手に入る可能性が高い。そのためには投げ続けるしかない。

大リーグの球速重視主義は顕著で、2003年に平均球速は145キロに達していないが、10年もかからずに148キロを超えた。

だが球速を速くすることは大きな矛盾を抱える。「球を速くするいちばん簡単な方法は一年中投げることだ。だが、ASMIの研究によれば、子どもの将来の故障を予測する要因としてダントツの1位に来るのが一年中投げることだった」。

もちろん、親たちも子ども達の腕に対する注意は払っていることが窺える。連投を禁じたり、投球数を気にしたり。米国のシンクタンクは99年から10年間で500人近いユースリーグの投手を追跡した結果、年間100イニング以上投げた子が腕を痛める確率は100イニング未満の子の3.5倍であるとしている。

最近では、メジャーリーグの各球団も球数や投球回数を制限しているが、起きているのは不思議な現象だ。投手の球数は激減しているのに腕を痛める投手は増えている。大リーグの投手に突っ込む年俸総額は15億ドルだが故障によって年間5億ドルを失っている。投手の4分の1にトミー・ジョン手術の傷跡がある。早期から投げ続けている今の青少年がドラフトを迎える頃には、手術経験のない選手を探す方が難しくなるというのは決して冗談ではないだろう。

とはいえ、球団側も選手側も、故障に対する認識が定まらない点は興味深い。故障を防ぐ方法がないからだ。極論すれば、合理的と呼ばれるフォームで投げていようが、球数や投球回数を制限しようが故障する人はするし、しない人間はいくら投げてもしない。本書には嫌となるほどその事例が載っている。

そもそも先発投手の一般的な球数の目安とされる100球についても科学的な根拠があるわけでないことが読み進めるとわかる。「区切りのいい数字が好まれるからではないか」という著者の推測に納得してしまう。メジャー球団のあるGMが「大事にしても投手は故障した。投げられなくなった。私たちは状況を評価し直す必要があった」と語っているのが印象的だ。

メジャーリーグは組織的にビッグデータを使って、故障を防ぐ方法を探り始めている。一方、電気治療や遠投、常識外れの投球法指導まで、科学より宣伝に長けた者達が数十億ドルとも言われる腕のケア事業で一儲けをたくらむ。

厄介なのは、解決法が見えなければ、科学より伝統、事実より信条が怪我を治すこともあるかもしれないことだ。実際、そうした希有な例も紹介されている。

著者はトミー・ジョン手術にも非科学的な治療法にも是非は述べないが、手術を受ける年齢が低年齢化していることだけは紛れもない事実だと指摘する。アメリカで著名な整形外科医がトミー・ジョン手術を執刀した高校生の数は20年前の年間1、2人から80、90人に急増しているという。

故障を防ぐ解は見いだせないが、起きている事実を知るべきだとの指摘は尤もだ。野球に没頭する子どもの腕の問題は、一部では見直されつつあるが、全体が立ち止まって考えるべき時期にきている。本書の言葉を借りれば、米日という教育水準の高い産業国家の国民的スポーツが、子どもの健康を危険にさらすような習慣を助長しているのは真実なのだから。

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