『反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』 ブラック・スワンは予測できないが、備えることはできる

2017年7月12日 印刷向け表示
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反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

作者:ナシーム・ニコラス・タレブ 翻訳:千葉 敏生
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2017-06-22
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反脆弱性[下]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

作者:ナシーム・ニコラス・タレブ 翻訳:千葉 敏生
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2017-06-22
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グローバル化の深化に呼応するように、世界の不確実性が増している。大勢の予想に反してトランプ大統領が誕生し、未来永劫続いていくかと思われたシャープや東芝のような大企業までもが突如として存亡の危機に陥り、多くの人が憧れる花の都パリでも悲劇的なテロが発生した。当たり前のものと考えていた日常が、どれほど脆弱なものなのかを思い知らされる。ある日突然襲い掛かる不確実性に、わたしたちは無力なのだろうか。

この本は、そんな不確実な世界を生き抜くための知恵を与えてくれる。その知恵とは、より多くのデータを集め、最新のAIを駆使し、より正確に未来を予測することではない。リスク研究の専門家である著者タレブは前著『ブラック・スワン』でも、 「重大で希少な事象のリスクを計算したり、その発生を予測することはできない」と喝破している。1000年に1度の大地震のように稀にしか起こらず致命的に大きな影響を与えるイベントは、予想が難しいのではなく、本質的に予想が不可能なのだ。

目を閉じてただ運を天に任せるのではなく、予測できない未来に理性を武器に立ち向かうために必要となるのが反脆弱性だ。この聞きなれない反脆弱という単語は、脆弱のちょうど逆に当たる単語が存在しないので、タレブが考案した造語である。「脆い」の反対は、「頑健」や「耐久力がある」ではない。脆いものは衝撃によってより悪い状態へと変化し、頑健なものは衝撃によって変化しない。そのため、脆いの反対に位置すべきなのは、衝撃によってより良い状態になるものでなければならない。反脆さは、頑健を超越し、衝撃を糧にすることができる。金融を例に取れば「債務」は脆く、「自己資本」は頑健で、「ベンチャー・キャピタル」は反脆い存在といえる。

馴染みの薄い概念だと尻込みする必要はない。人類が「青」という言葉を発明する以前にも私たちの祖先が青色を認識・利用してきたように、知らぬ間にあなたも反脆さを利用している。身近なところでは、あなたの体も反脆さを活用している。筋力トレーニングによる負荷が体をより強靭にすること、予防接種が免疫力を高めることは、多くの人が実感として知っているはずだ。ここで重要なのは、反脆弱であるためには、ストレスを完全に取り除いてはならないということ。ストレスを全く与えなければ筋肉は衰え軽微な負荷にも耐えられなくなり、完全無菌状態で育てられた人の免疫系は十分に発達しない。不確実性を味方につけるためには、ランダム性や間違いに身を晒すことが必要なのだ。

本書では、反脆弱性があらゆる角度で掘り下げられ、進化、政治、ビジネス、イノベーションなどの分野へと応用展開されていく。理論的説明や具体的事例紹介に、著者の体験談やオリジナルの寓話が盛り込まれていくという独特なスタイルで本書の議論は進められていく。タレブの著作に初めて触れる読者はそのオリジナリティに少々戸惑うかもしれないが、ひとたびその味を知ってしまえば、脳を直接かき回されているような強烈な知的刺激を与えてくれる読書体験の虜になるはずだ。タレブが次々と繰り出すパンチラインはどれも切れ味抜群で、世界のとらえ方がページをめくる度に更新されていく。

人間がひとつまえの前の戦争と戦うのだとしたら、自然はひとつ先の戦争と戦う



政治のシステムに必要なのは、悪人を排除する仕組みだ。大事なものは何をするべきかや誰を選ぶかではない。たったひとりの悪人のほうが善良な市民の行動全体よりもずっと大きな害をもたらすからだ



母なる自然がすることは、正しくないと証明されるまで正しい。人間や科学がすることは、不備がないと証明されるまでは不備がある

タレブは、「”レストラン業界危機”なんてものは起こらない」という。なぜ、金融業界はたびたび危機に陥り社会に混乱をもたらすというのに、レストラン業界危機は一度も発生しないのか。この違いを理解するためには、反脆さをシステム全体とその構成要素に分解して考える必要がある。レストラン業界が反脆くいられるのは、それを構成する個々のレストランが脆いからなのだ。お気に入りのレストランの閉店はあなたにとっては悲劇だが、その脆さは新たなレストラン開店の可能性と生き残っているレストランの更なる試行錯誤を誘引することで、レストラン業界全体の反脆弱性向上に貢献している。個々のレストランが完全に保護されていれば、どの店も最低限の食事しか提供しなくなり、いよいよ業界全体が危機を迎えることだろう。

システム全体が反脆くあるためには、システム内に脆さを備えていた方がよい場合があるのだ。人間をはじめとした個別の生命体はいつかは死ぬ運命にある脆い存在だが、そのおかげで個々の生命を複製する遺伝子は反脆弱性を持つことができる。起業家はその身を不確実性の海に投げ入れることで、社会全体の知識を高めている。その試みが失敗に終わっても、「何がうまくいかないかという知識」を生み出すことで、社会全体の反脆弱性を高めている。タレブは、「失敗した起業家」などいないのだと説く。人生のどの部分を脆くし、どの部分を反脆くするかを考えると、明日からの意思決定は幾分違ったものになるだろう。

反脆弱性を考えることは、いかに善く生きるかという倫理を考えることにも繋がる。タレブは現代性の最悪の問題の一つは、「ある人から別の人へと脆さや反脆さが移転する悪辣な現象にある」という。つまり、他人に脆さを押し付けることで自らを安全な立場に置き、反脆弱性を貪る人たちがいるのだ。タレブは人間を、身銭を切らない人、自分のために身銭を切る人、他者ために身銭を切る人、の3種類に分類している。身銭を切らない人々としては官僚、編集者や銀行家が、他社のために身銭を切る人々としては革命家、騎士や芸術家が例示されている。

脆さを他人へと押し付ける人に惑わされないようにするためには、身銭を切っていない人から距離を置くことだ。世論を扇動する人、何かを予言する人、何かを熱心に売り込む人が身銭を切っているかをチェックしてみよう。彼らの助言通りに行動して害が発生したとき、彼ら自身が害を被る仕組みになっていないのなら、その助言に従うべきではない。彼らは脆弱性をあなたに押し付けて、自らの反脆弱性を高めようとしているかもしれない。経済学者には未来予測を聞くよりも、彼自身の金融資産がどのようなポートフォリオになっているかを尋ねた方が有益だということだ。

本書にはここではとても紹介しきれない、凸性と凹性の違いや医原病、更には「最新性愛症」という病理など、興味深いトピックがこれでもかと詰め込まれている。上下巻あわせて800ページ以上ものボリュームが、「すべてのものは変動性によって得または損をする。脆さとは、変動性や不確実性によって損をするものである」という革新的命題から湧き出てきた豊かなアイディアで埋め尽くされていることは、驚き以外の何物でもない。本を閉じた後でも、タレブの言葉はあなたの頭の中で響き続け、これまでと同じように生きていくことは難しくなる。不確実性に満ちたこの世界で、身銭を切る一歩を踏み出したくなる。

世紀の空売り

作者:マイケル・ルイス 翻訳:東江 一紀
出版社:文藝春秋
発売日:2010-09-14
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タレブと同様に金融システムの崩壊に身銭を賭けた知られざる天才たちの物語。行動経済学の生みの親たるカーネマンとトヴェルスキーの足跡を追った最新刊『かくて行動経済学は生まれり』も楽しみ。

フラクタリスト――マンデルブロ自伝――

作者:ベノワ・B・マンデルブロ 翻訳:田沢 恭子
出版社:早川書房
発売日:2013-09-20
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フラクタルという概念の生みの親にして、タレブに影響を与えた数少ない近代人の一人であるマンデルブロの自伝。

平均思考は捨てなさい

作者:トッド・ ローズ 翻訳:小坂恵理
出版社:早川書房
発売日:2017-05-24
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『反脆弱性』でも平均という概念の弊害が多く語られているが、『平均思考を捨てなさい』は平均を基準とした思考がどれほど害を持つかを丁寧に掘り下げ、平均思考から抜け出す方法を教えてくれる。レビューはこちら

 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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