名古屋と美人姉妹と喫茶店と。『かりん歩』で描かれる穏やかで豊かな散歩には人生に大切なことが詰まっている。

マンガサロン『トリガー』2017年09月15日 印刷向け表示
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かりん歩 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
作者:柳原 望
出版社:KADOKAWA
発売日:2016-12-23
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こんにちは。マンガサロン『トリガー』店長の兎来です。

今回紹介する『かりん歩』は、正に人生そのもののように様々な要素が詰まった作品です。一言では語り尽くせないその多面的な魅力をじっくりと繙いていきます。

 

人生の歩みを描く作品としての『かりん歩』

本作のヒロインである市井かりんは、S女学園大学環境文化学部地域表象論ゼミに所属する女子大生。小さい頃から共働きの両親の代わりに大好きな七歳下の妹・くるみの面倒をよく見る姉として生きてきた少女でした。しかし、就職戦線に突入して日々お祈りメールをもらうようになると、単なる妹好きでしかない自分の姿に打ちのめされてしまいます。このままではまずい、と春日井市の実家から名古屋市中心部にある祖父の営む喫茶店のある家へ移住。「妹断ち」することによって、就職活動に本腰を入れようとします。

この作品で一つポイントとなるのは、「原風景地図」というものの存在です。

自分の中にある原風景を地図化して表す。その行為によって、自分が世界をどのように認識したか、家族や友人や地域の人とどのような関わり合いをして生きてきたか、記憶の奥底に眠っている自分のルーツを辿りながら、今いる自分の位置と併せて俯瞰した見方を得られます。かりんが作成した原風景地図は、授業でお手本として用いられるクオリティでした。一見、特に取り柄もなく抜けているように見えるかりんですが、他にない豊かな感性と眼差しを有していることが伝わってきます。

2巻で、かりんの大学の教授である小坂は以下のように言います。

「自分は自分のままでいいの
ただ位置は見失わないで
自分の考え 思い 自分自身
環境と歴史と人のつながりの中で
どこから来てどの場所にいるのか
そのまなざしはいつも持っていて」

自分という人間は決して一人で生きてきた訳ではなく、多くの人と人との間で関わり合いを持ちながら存在してきています。それは正に「人間」という単語が指し示す通りのつながり。自分や自分の立ち位置を見失うことは人生において往々にしてありますが、そうした時には自分が何を見て、何に感動して、何を求めて、何のために生きているかという根源的な部分に立ち返ってみるのも有効です。かりんもそうして自分を見つめ直し、「誰かに迷惑を掛けているなら別だが、そうでないなら堂々としているべき」、と「極度の妹好き」という自分はそのまま肯定しつつも前に進もうとします。

更に、かりんの夏期集中講義の講師であった高杉温巳の、そのまた先生である風谷は原風景地図をその人の出発点(ベース)であると定義し、このように言います。

「行きたい場所を見つけて全速力で駆ける人もいる
散歩みたいにただ目の前に現れる景色をかみしめて歩く人もいる
でもどんな人だってひとつだけ共通点があるんだ
ゴールはどこかわからない」

そしてまた、かりんの祖父は幼少期に幼稚園から帰る時にはかりんにいつも道を選ばせてこう言いました。

「正しくなくていい
これは散歩なんだから」

これは正に人生そのもの。ある人はそれが「正しい」とするけれども、本来はそんなものは存在しない。真っ直ぐ最短でいくことに価値を見出す人がいる一方で、ふと寄り道した先で出会った景色がその人にとって掛け替えのないものになることもある。その大事なことを優しく教えてくれる大人たちが周りに沢山いることは、かりんにとっての大変な幸福でしょう。

かりんが選んだ「道」を、かりんが今後どう歩んでいくのか。その先に待っているものは何なのか。じっくり見守って行きたい気持ちにさせてくれます。吹っ切れる前のかりんのように、自らの今に迷い行く末を案じ悩んでいる人に届けたい作品です。

 

他者とのコミュニケーションに悩む人間を描く『かりん歩』

かりんの妹であるくるみは、かりんが夢中になるのも無理はないという位にかわいい女の子です。それも原因となってか幼い頃に誘拐未遂に遭ってしまった過去があります。そして、そのことがトラウマとなり中学生となった今でも対人恐怖症を抱えています。

しかし、くるみはそれを必死に克服しようと日々努力します。自分の症状のことをよく調べて理解し、どうしたら緊張で倒れることがなくなるか対策を講じ、実行に移します。

それというのも、
「あたしがちゃんとできないとおねえちゃんがダメみたいに思われる」
という考えから。この妹思いの姉にして、この姉思いの妹あり。お互いを思い遣る市井姉妹の絆が、自分の苦手分野を相手のために克服しようとする真摯な姿勢が尊いです。

かりんの元同級生である理央に、かりん自身もマイルドコミュ障だと断定されます。しかし、かく言う理央もまた、弟を始めとして対人コミュニケーションに若干難のある人物です。

そんな中で、作中で語られるのは「共感は無理な人とはどうあがいても無理。でも理解は頑張ればできる」ということ。かりんの祖父が実践して成果を上げていた、「解ろうとすることはやめなかった」という態度は非常に重要です。理解しようとすること、歩み寄ることを諦めなかった結果、萌芽する暖かなつながりは柳原先生の作品では幾度も描かれます。それは心がとても晴れやかになる光景です。

前作に当たる『高杉さんちのおべんとう』の主役の二人もそうでしたが、他人とのコミュニケーションに難を抱えている人間がそれを何とか乗り越えてコミュニケーションを成立させる話というのは琴線に触れます。物語はそうした人にそっと寄り添い、支えてくれるものでもあります。『かりん歩』もまた、様々な人のそれぞれの在り方を優しく肯定し、励ましてくれる作品となっています。

 

名古屋マンガとしての『かりん歩』

『かりん歩』は、『高杉さん家のおべんとう』と同じく名古屋周辺を主な舞台にしています。個人的に覚王山や東山動植物園といった場所には思い入れもあるので、興味深く読みました。貴重な釈迦の御真骨が奉安されている覚王山日泰寺や、名古屋市庁舎・愛知県庁舎、平和公園の献体の塔など『かりん歩』を片手に久しぶりに名古屋の町を歩いて「聖地巡礼」したくなりました。

その際には、風谷らが語るように歴史や地名にも注目しながら、名古屋という町を新たな視点から俯瞰してみたいものです。また名古屋に限らず、自分の身近な町にも必ず歴史があり、何かしらの人の意志の下に形作られているのだと改めて考えさせられ面白いです。

 

喫茶店経営マンガとしての『かりん歩』

モーニングやコーヒーチケット、他の地域とは異なる使われ方など、独特の文化があり全国でもトップクラスに喫茶店が愛されている町・名古屋。その名古屋の喫茶店のお話というだけでも既に面白さがあるのです(1巻のあとがきオマケマンガでも、その辺りが詳しく解説されています)。

読み進めていくと、かりんは祖父の喫茶店しゅろを継いで経営していくことになります。元々手伝いの経験はあったとはいえ、実際に経営するとなると話は全く変わってきます。一人一人のお客さんと向き合っていかねばならない中で「心地よい時間を過ごすためにお金を払っているのに店主が心あらずで受け入れられていない雰囲気はとても不快」と、浮ついた部分を糾弾されることも。飲食店を経営する若輩者として、非常に身につまされる部分がいくつもありました。わかる、わかるよかりん……。

祖母が経営し、大繁盛している焼き鳥チェーン店とりどりとの対比もまた興味深いです。42店舗も出店しながらもそれぞれの店の周囲の環境に合わせて全く異なる店作りを行って成功しているとりどり。介護保険料を払っていない客が来るのも珍しい年配の常連に溢れたしゅろは、そんなとりどりからも学べる点や手法を取り入れて、より良いお店作りをして行こうとします。

客単価や経費を軽く試算して、しゅろの今後の経営は本当に大丈夫だろうかと心配になりますが……。まだまだ未熟なかりんが良き経営者にならんと成長していく姿に刺激を受けます。

 

『高杉さんちのおべんとう』続編としての『かりん歩』

『高杉さん家のおべんとう』のキャラクターたちとその後も多数描かれ、柳原先生のファンとしてはニヤリとしてしまいます。前作から読んでいればより楽しめる作りになっていますが、本作から入っても全く問題はありません。逆に、本作を読んでから『高杉さんちのおべんとう』に遡るという流れもアリです。見知った人物が続々登場して、楽しく読めます。

 

あなたの人生にも『かりん歩』の穏やかな響きを

以上のように『かりん歩』の様々な側面を語ってきましたが、まだまだ語り尽くせない魅力や名言がたっぷりと詰まっています。少女から老人まで幅広い年齢層のキャラクターによって織りなされる群像劇のため、読む人によって共感する人や感じ入るポイントも変わってくるでしょう。かりんが道端の石ころ一つとっても楽しめたように、何気ない描写の一つ一つまで楽しんで味わえる作品です。

一見どこにでもありふれているような風景でも、ある人にとってはそこに様々な思い出や感情が詰まっており、想起するものがあります。あらゆる場所には無限の想いが堆積しているんだなと改めて考え、自分の原風景にも思いを馳せました。そして、気付けば穏やかな気持ちになっていました。作品世界の中だけに留まらず、読む者の心の奥底に響きを与えて様々な想いを呼び起こしてくれるこの物語。ぜひ多くの方に触れて頂きたいと思います。

ああ、名古屋に行って少しレトロ調な喫茶店で小倉トーストやあんかけスパゲティを食べてきたいなあ……。

かりん歩 2 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
作者:柳原 望
出版社:KADOKAWA
発売日:2017-07-22
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 ※画像はすべて編集部の許諾を得て使用しております

 

文章:マンガサロン『トリガー』兎来栄寿

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