『よしもと血風録 吉本興業社長・大﨑洋物語』 「それから」のそれから by 大﨑 洋

新潮文庫2017年09月23日 印刷向け表示
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よしもと血風録: 吉本興業社長・大﨑洋物語 (新潮文庫)
作者:常松 裕明
出版社:新潮社
発売日:2017-08-27
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2017年現在。僕はまだ吉本興業の社長をやらせてもらっている。

「吉本のやり方は読めない。いったいどうやって戦略を立てているんですか?」
最近は人からこんな風に聞かれることも増えた。

だが、この本を読んでもらえば分かるように、僕自身には戦略のようなものがあったわけではない。目の前に出てきた〝やらなければならないこと〟や、半ば行き当たりばったりのように思いついたアイディアを、周りの助けを借りてなんとか形にしてきただけだ。人から教えてもらい、本で読んだりしたことを自分なりに受け止め、できることを考え、やることがなければ自分で探してみる。そんなことの繰り返しだ。

それでも吉本の在り方をほめていただけるのであれば、それは吉本興業を助け、支え、応援してくれてきた人たちのおかげである。もちろん、すべての原動力となる芸人さんたちの努力と才能は欠かせない。

さすがに今は個別のプロジェクトで走り回る機会は減っている。プロジェクトを現場で進めるのは若い世代の社員たちだ。僕の役目は彼らが自由に考え、社外の様々な人たちに協力してもらいながら、一緒に楽しんで仕事ができるような環境を作ることだと思っている。

相変わらずトライ&エラーの繰り返しで、創業100年に合わせて作っていた社史も、あれもこれもとやっているうちに延び延びになり、ようやく106年目に「105年史」として完成した。まあ、こんなズレたところも吉本らしくていいのかなと思っている。

それでも不思議なもので、これまで取り組み続けてきた仕事が、自分たちでは思ってもみなかった広がりを見せたり、あるいは別々のプロジェクトが新しいアイディアにつながったりもしている。そしてこの流れが向かう先は、以前から言い続けてきた「デジタル」「地方」「アジア」という三つのテーマになる。

今日現在も「デジタル」の世界は物凄い速度で進化を続けている。その変化に対応するため、僕たちも新しいやり方を取り入れている。芸人さんをマネジメントするだけでなく、コンテンツを制作し、それをどうやって世の中に届けていくかという工夫だ。

芸人さんは才能の塊だ。たとえ世に出るきっかけがお笑いだったとしても、その先の活動の場所は舞台やテレビカメラの前だけにとどまらない場合も多々あるだろう。これまでもダウンタウンの松本君を筆頭に、多くの芸人さんが多方面で活躍している。笑いはあらゆる表現において大切な要素であり、その意味では、どんな分野でも可能性はあるはずだ。芸人さん自身が望み、世の中が望むのであれば、どんどん新しいことにチャレンジしてほしいと思っている。こうして生まれた大事なコンテンツをこれまで以上に様々な方法で、広い場所に届けていくことが吉本の仕事だ。

ひとつの可能性を開いてくれたのは、ピースの又吉直樹君が書いた小説『火花』だろう。文芸の世界で芥川受賞という高い評価を受け、累計250万部を超えたこの作品には、早い段階から映像化の話をたくさんいただいた。これまでならテレビドラマや映画化を検討することが当たり前だったかもしれない。

しかし今回、僕たちはネット配信事業の大手・ネットフリックスさんでの独占配信という形を選んだ。

理由はいくつかあるのだが、やはり大きかったのはネットフリックスさんが、僕たちを「コンテンツ制作会社」として認めてくれたことだ。コンテンツを作るのは吉本興業であり、ネットフリックスさんはそれを独占配信する。この形を受け入れてくれたおかげで、吉本は配信以外のほとんどの権利を持ったまま映像化を実現することができた。制作においても商業的な縛りはほとんどなく、監督もキャスティングも公開時期も、すべてこちらに任せてもらえるという破格の条件だった。

また、このプロデュースの過程では懐かしい人との再会という嬉しい出来事もあった。可能な限り早く配信まで持っていきたかったため、映像化に際しては、数話ずつ別の監督さんを起用して同時進行で制作できないかと考えた。ただ、そうなると作品トーンの統一など難しい問題もある。誰にお願いするか頭を悩ませ、あちこちに「どこかにいいプロデューサーさん、いませんかね?」と相談していたところ、たまたま知り合いから出てきたのが古賀俊輔さんの名前だった。

古賀さんとは30年ほど昔のマネージャー時代に何度も仕事をしたことがあった。名前を聞いた瞬間に嬉しくなって、「古賀さん? 知ってますわ! 今そんなに頑張ってるの!」と声を上げてしまった。随分長いこと会っていなかったが、聞けば古賀さんは映像の世界で素晴らしい仕事をされてきたという。つくづく人の縁というものは面白いものだ。

そんな古賀さんに統括プロデューサーを引き受けていただき、古賀さんの縁で廣木隆一総監督や加藤正人脚本統括といった素晴らしい才能にも参加してもらうことができた。スタッフからキャストに至る全員が「面白いものを作ろう」という熱を持ってくれることほど嬉しいことはない。

細かい話だが、たとえば海外向け配信のための英訳字幕を担当したのはプロの映画字幕翻訳家ではなく、吉本所属の芸人さんでオーストラリア出身のチャド・マレーンだ。芸人の世界を描いた物語だけに、漫才という話芸の微妙なニュアンスを伝えることにこだわったそうで、これは漫才という芸を海外の人に知ってもらうためにも大きな意味があったと思う。ちなみにチャドは又吉とほぼ同世代で、同じ売れない時代を過ごした関係だとも聞いている。

こうして制作された『火花』は世界190カ国で配信され、視聴の半分以上は海外だったという結果も出ている。また、後にNHKさんが地上波の連続ドラマとして放送してくれるという展開もあった。こと発信においては世界の市場から立ち遅れてきた日本のエンタテインメントも、このスタイルなら世界で戦うことができるかもしれない。そんな期待も生まれてきた。

同様に、「吉本が作ったコンテンツを配信してもらう」というスタイルでは〝ネットサービス事業の黒船〟と呼ばれるアマゾンさんと組んだ松本人志の『ドキュメンタル』も順調に続いている。世界標準で見てもらうためのコンテンツ制作のノウハウというものを経験できたという意味でも、ネットフリックスさんやアマゾンさんとの仕事は貴重な経験になった。この世界はやってみないとわからないことだらけだ。だからこそ面白い。

仕事の場が世界に広がる一方で、足元も見つめなおす必要があった。

吉本は劇場をベースにここまでやってきた企業だ。楽屋裏まで含めた常設の舞台で切磋琢磨する日常があるからこそ、芸や才能が磨かれ、若い芸人さんが育ってくる。メディア環境が変わっても、あらゆる意味で劇場が吉本興業の原点であることは変わらない。

そんな劇場の舞台にすらなかなか立つことができない若手芸人のためにできることはないかと考える中から生まれたのが、11年から始めた「47都道府県エリアプロジェクト」だ。別名「あなたの街に住みますプロジェクト」は、吉本の芸人さんと社員が全国47都道府県に実際に移住し、その土地で暮らし、地域の人たちと同じものを食べ、同じ空気を吸いながら一緒に笑いを作り、情報を発信することでコミュニティーに貢献しようというもの。

これなら、「少なくとも47組の若手の仕事になる可能性があるな」という単純な思い付きだが、もともと漠然と地方活性化のために何か協力できないかという思いもあった。これまではメディアを通じて見てもらうだけで、生のお笑いに触れてもらう機会はそう多くはなく、大阪や東京から呼ばれて、「今日来ました。舞台やりました。お疲れ様です。じゃ、帰ります」という形がほとんどだった。

だが、今ならネットがある。世界中のどこからでも情報が発信でき、情報を受け取ることが可能な時代だからこそ、現場でしか感じることができない生の空気や"熱"を伝えることが重要になってくる。そのためにはコミュニティーの中に飛び込んで当事者の一人になるのが一番だ。これが各都道府県に一組ずつ芸人さんと社員が住むというアイディアになったのだが、ほとんどの「住みます芸人」が自分から手を挙げてくれたことも嬉しい誤算だった。

最初のうちはある程度の赤字も覚悟して始めたプロジェクトにもかかわらず、一応は初年度から黒字になっている。商売の規模としてはまだまだ微々たるものかもしれないが、地元では着実に受け入れてもらえている手ごたえもある。これから先、ますます重要になる地方との関係の中で、住みますプロジェクトが果たす役割は大きいはずだ。

大阪と東京を行き来するだけではバランスも悪くなってしまう。日本の北から南までを俯瞰する視点を持つという意味では、14年に京都国際映画祭を、16年からは包括連携協定を結んだ北海道で「みんわらウィーク」というイベントもスタートさせている。福島県をはじめとする東北地方、熊本、そして神戸といった被災地への支援や協力も継続して行っている。地域の人たちと触れ合い、一緒に悩み、笑う。そうしたことを続けていれば、吉本という企業じたいも、そう大きく道を外れるようなことはないと思っている。

住みますプロジェクトが軌道に乗ったことで調子に乗り、15年からは「アジア住みます芸人」もスタートさせている。現在は台湾、タイ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、フィリピンなどに芸人さんが移住しており、中には現地のテレビ番組に出してもらったり、現地の日本企業や日本大使館の方と仲良くなってイベントに呼んでもらったりという交流も生まれているそうだ。

アジアにおける展開も徐々に形になってきた。各国メディアとの連携はもちろん、14年には経済産業省管轄のクールジャパン機構の出資を受ける形で吉本興業、電通、ドワンゴ、ソニー・ミュージックエンタテインメント、滋慶学園、イオンモールの6社により「株式会社MCIPホールディングス」も設立した(15年にスペースシャワーネットワークも出資)。アジア全域に日本のコンテンツの普及を推進するための会社で、アイドルやガールズカルチャーをはじめとする日本のポップカルチャーの情報発信を目指している。国内ではNMB48が頑張っているが、実はインドネシアやタイなどでも、このプロジェクトからアイドルグループが生まれている。

同じくクールジャパン機構との取り組みでは、17年秋、大阪に巨大なテーマパークをオープンさせるプロジェクトも進行中だ。こちらは在阪のテレビ局(MBSメディアホールディングス、朝日放送、関西テレビ放送、讀賣テレビ放送、テレビ大阪)やエイチ・アイ・エス、JTB、NTTぷらら、KADOKAWA、滋慶、電通、ファミマ・ドット・コムとの共同出資で、「クールジャパンパーク準備株式会社」を組成。場所は大阪城が候補地となっている。

吉本興業を育ててくれた大阪の活性化はこれからの課題のひとつでもある。その先にある、2025年に開催予定の「日本万国博覧会」の大阪開催誘致も本格化するはずだ。開催地の決定は18年11月。この「誘致アンバサダー」に就任したダウンタウンの二人にも大いに期待している。二人がこの仕事を引き受けてくれたことには僕も驚いたが、それだけ大人になったということなのかもしれない。

吉本が進める「デジタル」「地方」「アジア」の展開を象徴するイベントが、09年から続けている沖縄国際映画祭だろう。事業としては毎年のように赤字ではあるが、それでも粘って続けてきたおかげで、吉本に有形無形の財産をもたらせてくれている。なにより地元、沖縄の人たちと吉本の社員が一緒になって汗をかくことで信頼関係を築けたことは何物にも代えがたい。

映画祭は15年から「島ぜんぶでおーきな祭」と名称を変更している。離島まで含めた沖縄の人たちと一緒になってお祭りを盛り上げ、沖縄の新しい魅力を世界に向けて発信しようというコンセプトに発展したのだ。まだまだ時間はかかるかもしれないが、続けることで生まれるものがあるはずだ。

このお祭りから生まれたのが、吉本興業では初となる学校法人を沖縄県那覇市内に設立するというプロジェクトだ。沖縄では11年に「よしもと沖縄エンターテイメントカレッジ(YOEC)」を開校しているが、そこからさらに一歩進めて、ダンスや歌、演技、パフォーマンス、さらにマンガやCG、特殊メイクや衣装デザイン、照明・映像技術といったエンタテインメントにかかわる様々な分野を学べる専門学校にしようという構想だ。順調にいけば17年9月に仮の認可をいただけるので、そこから生徒さんを募集して18年4月の開校となる。

スクール事業はこれまでもNSCをはじめ、スタッフ育成のための「よしもとクリエイティブカレッジ(YCC)」や、17年に開校した「ヒントン・バトル ダンスアカデミー(HBDA)」などもあるが、今回の専門学校は、人材育成だけでなく沖縄の地域活性化や産業の創出という大きな目的もある。吉本には、卒業した後に実際に働くことのできる現場との幅広いコネクションがある。国内はもちろん、大風呂敷を広げれば、その先にあるハリウッドだって夢ではないはずだ。

学校の講師には『火花』の統括プロデューサー・古賀さんや、HBDAのヒントン・バトルなど、多くの実績ある人たちが協力してくれる予定だ。編集長として「少年ジャンプ」の黄金期を築いた堀江信彦さんもその一人。10年ほど前にお会いしていた縁でお願いしたのだが、聞けば堀江さんは以前からアジアで漫画家の養成を手掛けており、インドネシアでは三人ほどがプロの漫画家になって活躍しているということだった。

そんな学校を、沖縄でやることにこそ大きな意味がある。

歌や踊りが大好きで、おおらかで笑顔の絶えない沖縄の人たちと一緒に、毎日がお祭りのような学校を作りたい。ここから生まれた人材が世界中のエンタテインメントの現場で活躍し、逆に世界中からエンタメを学びたいという人たちが集まってくる、そんな学校だ。

吉本興業は芸人さんも社員も、学校の勉強が嫌いだったり不得意だったり、あるいは社会の枠からはみ出してしまったような人間が集まってやってきた会社だ。そんな吉本が作る学校だからこそできる社会貢献の形があると信じている。

少なくとも、まさにそんな人間のひとりだった僕は、吉本に、芸人さんに、エンタテインメントの世界に救われた。この世界には、そんな不思議な力がある。

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