『パパは脳研究者』 そして、私は赤ちゃん

吉村 博光2017年10月09日 印刷向け表示
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パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学
作者:池谷 裕二
出版社:クレヨンハウス
発売日:2017-08-10
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本書は、『海馬』などのベストセラーでおなじみの脳研究者・池谷裕二さんが、愛娘の4歳までの成長を脳科学の観点から、観察・分析した本だ。育児ノウハウをまとめた実用書ではない。8歳と4歳の2児の父である私が読んで、手放しで面白かった。「うちの子はもう小学生だから、幼児教育の本を読んでも遅い」などと躊躇せず、ぜひ、多くの方に読んでほしい。

本書を紹介する前に触れたい本がある。1960年に発売された『私は赤ちゃん』だ。社会現象をおこした大ベストセラーであり、50年以上版を重ねている超ロングセラーである。「私はおととい生まれたばかりである。まだ目はみえない。けれども音はよく聞こえる。」という書き出しで始まる、赤ちゃん視点で書かれた、珍しい育児書である。

タイトルも似ているが、『パパは脳研究者』の視座の新しさは、この大ベストセラー『私は赤ちゃん』に比することができる。パパが、わが子の変化を脳研究者の視点で分析する試みは、とても新鮮だ。そこには、発見と感動が満ちている。そしてそれは、育児の重苦しさから読者を解き放つ力をもっている。

『私は赤ちゃん』も当時、そのような読まれ方をしていた、ときいたことがある。粉乳や公害などが発生する社会情勢の中、育児の解を求めたパパたちは我が子を標準的な指標にあてはめて安心を得ようとした。しかし、それはどこまでいっても落ち着かない泥沼だった。人間なんて千差万別。子どもの成長も、人それぞれ個人差がある。

いま「パパたち」と書いたのは、朝日新聞で連載され岩波新書から刊行された『私は赤ちゃん』は、育児書でありながら、男性によく読まれた本だったからである。その点も、本書と共通する。ビジネス誌で「脳科学による育児」特集が組まれると男性がこぞって買うように、本書はそのテーマから、今後、多くのビジネスマンに読まれてゆくに違いない。

最後のページを閉じたとき、私の口から「あ~、面白かった」と思わず言葉がこぼれた。それほど面白く感じたのは、本書が、今日性を多く含んでいたからだと思う。父親になった時には、『私は赤ちゃん』を読んだ。面白かったが、そんな言葉は出なかった。その時感じたのは、赤ちゃん視点という新しさと普遍性、そして社会現象を生んだ「当時の今日性」だったのかもしれない。

では、本書の面白さはどこからきているのか。それは編集の妙だと思う。生後1か月から4歳までの48カ月の本編と、脳科学の視点をまとめた12のコラムで構成されている。イラストもかわいい。そして、48の記事にはそれぞれ、娘さんとの心温まる「こぼれ話」が添えられていて、思わず口元がゆるんでしまう。まるで、SNSで同僚と交流するような気持ちで読み進められ、しかも「脳科学の知識」が身につくようになっているのだ。

ここまで読んで、皆さまは本書のどこに興味をもたれただろうか。子どもの変化を脳科学で分析して発見や感動を生み出す「本編」だろうか、「こぼれ話」だろうか、コラムなどに散りばめられている「脳科学の知識」だろうか。この三つを、ひとつずつご紹介したい。

まずは「本編」の発見と感動の事例から。それまで娘さんは、絵を描いた紙の裏側をパパに向けて見せていたそうだが、あるとき、紙の表側を見せてくれるようになった。これを著者は、大きな進歩と受け取って、感動したそうなのである。なぜか。

ものが見えるのは、ものに当たった光がその物体の表面で跳ね返って、瞳に入ってくるからです。しかし、その光路を遮る別の物体があれば見えません。娘が絵を私のほうに向けたのは、そうした光の物理的な特性に適切に対処していることの表れ。加えて、そこには「自分からの見えと相手からの見えは異なる」という認識もあります。つまり脳の中で、他者からの視点を想定しているのです。これも「メンタルローテーション」の応用です。 ~本書より抜粋

一般人パパの私にも、きっとこの幸せな瞬間があったに違いない。でも、完全に見過ごしてしまった。あ~、もったいない。著者が、感動することができたのは、脳科学の知見があったからだ。実に、うらやましい。俗に「這えば立て、立てば歩めの親心」というが、脳科学者のパパは、このステップが他の人よりも多いのだ。つまりそれは、幸せを感じとる機会が、たくさんあるということなのである。

このように、脳科学者パパならではの発見と感動が、本書にはたくさん詰まっている。誤解を恐れずに言えば、本書は子育てというエンターテイメントが100倍面白くなる本だと思う。楽しむことは、上達の第一歩。これから育児を始める方には、きっと大きな武器になる本だ。

子育てがエンターテイメントなら、心温まるエピソードほど、楽しいものはない。私は48個の「こぼれ話」をすべて読んだ。これを読むのを楽しみにして、読み進めたといっても良いかもしれない。読むテンポが生まれ、著者に親近感が湧いた。たくさん紹介したいのだが、ここではひとつだけ紹介したい。

娘と一緒に遊びはじめた「世界の国旗かるた1・2」(学研)。国旗が95種類あるのですが、娘はあっという間に覚えてしまい、私は1回しか勝ったことがない。これが年齢差の現実でしょうか(汗)。  ~本書より抜粋

読みやすくて楽しい本なのでご紹介が後回しになったが、本書のベースは、脳科学の用語や知見である。印象深いものがいくつも紹介されていて、すぐに育児で使えそうな知識もある。なかでも、最も私の印象に残ったのは、著者が「三つ子の魂百まで」という言葉にふれた時に紹介した生後3歳までに脳の中で起きる意外な真実である。

脳の神経細胞の数は「おぎゃー」と誕生した瞬間が一番多くて、あとは減っていきます。そして3歳になるまでに約70%の神経細胞を排除します。生き残る神経細胞は30%。その後、その30%は変化しません。健康ならば100歳を超えても、この30%を保持し続けます。つまり3歳までに残った神経細胞を一生使うのです。  ~本書より抜粋

赤ちゃんはどんな世界に生まれてくるか分からない。そのため、生まれおちた環境に順応すべく多くの神経細胞をもって生まれ、3歳までの間に無用なものを捨てると考えられているそうなのだ。これを知って、私は「しまった」と思った。二人のわが子は、既に私と同じ程度にまで減ってしまっているのだ。それと同時に、こんなことも思った。

私は5歳まで長崎で暮らした。それから東京に転居し「しばらくしたら、長崎に帰る」といわれながら、ついぞ帰ることはなかった。先日、ノーベル文学賞受賞者を紹介するニュースを観ていたら、同じようなことを言っていた。もしかすると、私の頭に残った神経細胞は、カズオ・イシグロさんに近いものなのかもしれない。そして、長崎の記憶は、美しきものとして定着している。…ん?ちょっと違う?

確かなのは、脳の中身に思いを巡らすことが、楽しいということである。

私は赤ちゃん (岩波新書)
作者:松田 道雄
出版社:岩波書店
発売日:1960-03-17
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