『ニュルンベルク合流「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』にはノンフィクションを読む喜びの全てが詰め込まれている

村上 浩2018年05月02日 印刷向け表示
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ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源
作者:フィリップ・サンズ 翻訳:園部 哲
出版社:白水社
発売日:2018-04-12
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 ハンス・フランクはひざまずき、傍らの神父に十字を切ってくれるよう願った。そして、微笑みを浮かべながら歩き出した。彼の人生の終着点となる絞首台へ向かって。

1939年からドイツ占領下のポーランド総督府総督としてユダヤ人虐殺を進めたフランクは、ニュルンベルク裁判で「戦争犯罪」と「人道に対する罪」に対する有罪で死刑判決を受けた。今では当たり前の存在にも感じる「人道に対する罪」はこの裁判で初めて導入され、国際法の一部となった。ニュルンベルク裁判は、「現代の国際刑事裁判制度が具現化した瞬間」ともいわれ、戦前と戦後を分かつ価値転換の画期となった。ニュルンベルク以前には、一国の指導者たちを国際裁判にかけることなどありえなかったのだ。

「人道に対する罪」という言葉は、国家による文民に対しての残虐行為に対処するために、国際法教授であるハーシュ・ラウターパクトによって提案されたものである。ラウターパクトは国家が自国民を気ままに扱うことがないよう、生涯をかけて個人の保護、個人の権利を強固なものとしようとした。国際軍事裁判所憲章では、人道に対する罪は以下のように定義されている。

戦争前あるいは戦争中にすべての文民たる住民に対しておこなわれた殺害・殲滅・奴隷化・強制移送及びその他の非人道的行為。あるいは現行地の国内法の違反であると否とを問わず、本法廷の管轄に属する犯罪の遂行としてもしくはこれに関連しておこなわれた政治的・人種的・宗教的理由にもとづく迫害行為。

もう一つ、この裁判で初めて知られることとなった概念がある。それは、「ジェノサイド」だ。この言葉は検察官、法律家であるラファエル・レムキンがギリシア語のジェノス(部族もしくは人種)とラテン語のサイド(殺人)を組み合わせてつくった合成語である。ユダヤ人の悲劇を語るさいには必ず登場することになったこの言葉も、ニュルンベルク裁判で初めて国際法の舞台に登場した。連合国四強がドイツ指導者に突き付けた4つの訴因の内の1つである戦争犯罪の本文中にジェノサイドという単語が登場する。その内容はレムキンの定義とほぼ一致する。

特定の人種や階層に属する人々、および国民、人種、宗教集団、とりわけユダヤ人、ポーランド人、ジプシーその他を絶滅させる目的をもって、占領地域の民間住民に対して行われた、人種・国民集団の殲滅

弁護士であり国際法の権威でもある著者フィリップ・サンズは、ニュルンベルク裁判で具体的に何がどのように議論され、この2つの新しい犯罪が生み出されたのかを追い求めていく。サンズは当時を生きた人々の人生に焦点を当てながら、遠い昔の出来事としてではなく、生身の人間が生きていたリアルなものとしての過去を再生していく。弁護士が法廷で被告人の微妙な変化にもこだわるように、サンズはひとりひとりの人生の細部へこだわり抜く。この本は単なる法律書や歴史書ではなく、当時を懸命に生きた人々の生き様を真に迫って伝えてくれる伝記でもある。

本書は、フランク、ラウターパクト、レムキン、さらには著者の祖父であるレオン・ブフホルツの人生を軸として進んでいく。ナチ指導者、2人の著名なユダヤ人法律家、そして世間的には無名なユダヤ人の4つの人生は、その序盤ではそれぞれ別のものとして展開していく。ところが本書が終盤に差し掛かる頃には、上質な推理小説が最後の謎解きで巧みに伏線を回収していくように、ばらばらに見えた人生は様々な偶然に誘われ、最後にニュルンベルクで合流していく。600ページに迫ろうかという大部であるが、偶然の連なりがいつしか必然となり、歴史の謎が解き明かされていく展開は読者の体温を上げ、一気に読み通させる力を持っている。

70年前の事実を掘り起こすことは容易ではない。著者は一流の探偵のように、徹底した調査活動を行う。当時を知る人や証拠があれば世界のどんな場所へでも赴き、様々な時代の公文書や電話帳まで調べ尽くす。ときにはFacebookやDNA検査も活用しながら、今にも切れそうなほどに細い可能性の糸を手繰り寄せていく。もちろん、その過程には多くの関係者との対話も含まれる。親族を失ったユダヤ人、戦争犯罪人となったドイツ指導者の子や孫たちから発せられる言葉は、ヨーロッパを襲った悲劇は歴史の教科書の単なる文字列ではなく、現代と地続きの現実なのだということを強く訴えかけてくる。

ラウターパクトとレムキンがどのような思想から人類に対する罪、ジェノサイドという概念を生み出し、どのような議論でこれらを国際法に導入したかという部分が本書の読みどころだ。ともにユダヤ人としての苦難を味わい、法の力で世界を良いものとしようとした二人だが、その理想へとたどり着くための手段の選択は大きく異なっている。

ラウターパクトとレムキンは、大問題を前に提案した解決方法においてまっぷたつに分かれていた。大量殺戮を防ぐために、法はどのように貢献できるか?個人を保護せよ、とラウターパクトはいう。集団を保護せよ、とレムキンはいう。

ラウターパクトは集団間での敵対心を助長する可能性からジェノサイドという概念の導入に危惧を抱いていた。一方、レムキンは実際問題としてユダヤ人という集団が、その集団であるがゆえに標的にされたという現実を深く受け止めていた。

2度の大戦で疲弊していた世界は、ニュルンベルク裁判が世界を大混乱に陥れた戦争にどのように終止符を打ち、新たな時代への展望を示すのか固唾をのんで見守っていた。そして、多くの犠牲のもとに、個人の人権はより強固なものとして認められるようになった。この裁判から50年以上が経過した1998年にはルワンダのジャン=ポール・アカイェスがジョノサイドの罪で有罪となった初めての人物となった。国際法は1945年に確かに進歩したが、まだまだ十分なものではない。

著者は森達也氏との本書の刊行記念対談で、様々な観点から現代と1930年代の世界の類似性を指摘し、ポピュリズムやフェイクニュースにまみれる世界情勢に対する危惧を訴えていた。また、国際法変遷の歴史が教えるように、人類は何か重大な事件が起きなければ変化することはできず、現代でも国際法は機能していないと述べた。私たちはまた大きな過ちを犯さなければ前進できないのだろうか。ニュルンベルクを振り返ることは、新たな道を探すためのヒントを与えてくれるはずだ。

手の届かない時代や地域に生きる人々の息吹を確かなものとして感じ、人間の底知れぬ残虐性とそれに立ち向かう叡智を知り、より良い未来を作り出すための思考を促してくれる本書には、ノンフィクションを読む喜びの全てが詰め込まれている。ラウターパクトが個人の権利を守り抜こうとしたように、サンズが個々の人生をつぶさに見つめたように、目の前にいる人や出来事を新たな視点でじっくりと大切に見つめてみたくなる。

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記
作者:ロメオ ダレール 翻訳:金田 耕一
出版社:風行社
発売日:2012-08-01
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世界が救えなかったルワンダの悲劇を最前線で見つめた司令官の手記。詳細な描写からは当時の様子がありありとうかがえる。レビューはこちら

この世界の片隅に コミック (上)(中)(下)セット
作者:こうの史代
出版社:双葉社
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 戦時下の広島、呉を生きる主人公の極私的視点から戦争の日常を描いた傑作漫画。

私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった
作者:サラ・ウォリス 翻訳:亀山 郁夫;田口 俊樹;関口 時正;河野 万里子;赤根 洋子
出版社:文藝春秋
発売日:2010-08-06
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戦時中の少年、少女たちの日記から、戦争の新たな一面が見えてくる。

 

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ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
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