『「自然」という幻想 多自然ガーデニングによる新しい自然保護』 訳者あとがき by 岸 由二

草思社2018年07月16日 印刷向け表示
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「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護
作者:エマ・マリス 翻訳:岸 由二
出版社:草思社
発売日:2018-07-16
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世界の自然保護は、大論争と新しい希望の時代に入った感がある。人の暮らしから隔絶された 「手つかず」の自然、人の撹乱を受けなかったはずの過去の自然、「外来種」を徹底的に排除した自然生態系、そんな自然にこそ価値ありとし、その回復を自明の指針としてきた伝統的な理解に、改定をせまる多様な論議・実践が登場している。

ここ10年ほど、その新時代を展望する出版が英語圏で目立っている。一端は関連の翻訳書(ピア ス『外来種は本当に悪者か』〔草思社〕など)を通して我が国にも波及しているが、実は2011年に出版された本書の原書Rambunctious Garden: Saving Nature in a Post-Wild World (Bloomsbury)こそ、 新時代到来を告げた本だった。著者エマ・マリスは、ネイチャー誌をはじめとする専門誌を舞台に、崩壊する古い論議、新しい実践、そして新しい自然のヴィジョンを丹念な取材にもとづいて紹介し続ける、新時代の卓越した環境ライターだ。

マリスによれば、見直しを迫られる過去の理論、思想、ヴィジョンは、イギリス生態学に起源をもつ「外来種」関連の分野をのぞけば、大半がアメリカ産だ。手つかずの自然への信仰を支える生態学的平衡理論として知られる「遷移理論」は、20世紀前半アメリカの生態学から生まれた。極相 群集のバランスを理想化したその理論は、間もなく学術的威信を喪失したが、主張の宗教的な核心は、自然保護の世界やその後の生態系生態学、数理生態学の一部にも引き継がれ、教育・啓発の現場をとおして現在まで影響力を保ってきた。それらも、温暖化による地球生態系の壮大な変化の時代を迎え、いま改めて批判と検証に直面している。また、森の聖者D・ソローの思索や、イエローストーン国立公園の歴史に見られるような「ウィルダネス」(人為を遮断した野生)への信仰も、19世紀アメリカの都市化の歴史に固有な自然賛美が生み出したものだ。

そして今や、先史時代からの人類による自然攪乱の歴史が常識となり、また温暖化でもはや生態 系は不可逆的変化を続けるほかないと明らかになってきた。そんな現在においては、世界のはて、遠い過去に存在するはずの「手つかずの自然」への信仰、さらにはそんな自然を回復することこそ 自然保護の王道とする主張は、理論的にも実践的にも困難になったとマリスはいう。「外来種」の危機を一方的にあおる主張についても、理論的・実証的根拠が盤石でないことをしめす事例が丹念に紹介されるのも、当然の展開である。

しかしマリスがもっとも重視するのは、精緻な理論や研究ではなく、「価値ある自然」「保護されるべき自然」と人々が了解する領域をめぐるヴィジョンの転換である。「手つかずの自然」にこそ価値ありとされた伝統的なヴィジョンの中の「自然」は、今となっては「幻想」だと自覚せざるを得なくなった。私たちが注目するべきは、町の一角の草地、都市河川の川辺の工業地域の緑、農地や再生のすすむ森等々、人々の日々の暮らしの背景にある自然だ。そこから地球に広がってゆく大地そのものなのだ。そこから新しい自然保護ははじまると、判然と理解するゲシュタルト的な転換をこそ、マリスは呼びかけているのである。

そんな「自然」を私たちはどう呼ぶのか。「新しい」生態系、「新しい」野生などという呼び方もあるが、マリスはさらに挑発的だ。局所的擬似的に「手つかずの自然」を模倣したものも含め、今や自然はすべて人の干渉・管理のもとにある「ガーデン(庭)」となった。在来種ばかりでなく多様多彩な外来種もそこには含まれる。自然をこのようにとらえれば、失われつつある自然を守るだけでなく、さまざまな目的・目標で自然を増やしたり、つくり出したりすることにも価値を見出すことができる。このような考えをもとに、私たちの暮らしとともにあるリアルな自然保護のあり方を、マリスはrambunctious garden(直訳すれば「ごちゃまぜの庭」)と呼び放つ。

訳者としてはこの言葉の訳が思案のしどころだった。本書ではこれを「多自然ガーデン」と訳す ことにした。「多自然」という表現は、日本国の河川整備の領域において、それぞれの土地の自然と調和した多様な河川計画のあり方を意味する「多自然(型)川づくり」という言葉で使用されてきた歴史があり、いまも広く使用されている。関連の行政の仕事も含めこの言葉に長く親しみ有用性を自覚してきた私も、日々愛用する表現であり、たぶんマリスの意図にもよく沿うはずの日本語と判断して、ここに採用するものである。この訳語に、一部の識者・活動家に反発のあることは承知だが、日本国雅楽の創始者の名前が多自然麿(おおのじぜまろ)と知れば、列島の日常の自然を愛する市民には、やがて良い日本語であると優しく理解されてゆくと思うのである。

では、多自然ガーデンは、どんな方法で自然保護をすすめるのだろう。残念ながら本書は技術や 理論の詳細を論じる書ではない。マリスは多彩な実践を紹介することで多様な選択肢を例示する方法をとる。ハワイでの在来植物保護の努力、原始の森と錯覚されるビアロウィエージャの森の生態系保全の現状、過去の生態系の大規模復元を目指すオランダの実験、外来種の大規模導入が新たな生態系を生み出したアセンション島の歴史、シアトル中心部ドゥワミッシュ川流域における産業・都市・自然共存の試み等々。旧来のヴィジョンに沿って苦悩の続く例も、新しい勇気ある実践も、読みごたえがある。

大小の事例を通して示唆されるのは、賑わう生きものに優しく、生態系サービスが機能し、過大 なコストをさけられるなら、自然保護の目標は多様でいいというヴィジョンである。代理種を利用して過去の生態系の模倣をめざす、温暖化の速度に適応できない種の管理移転をすすめる、在来種の厳正保全のために外来種を徹底的に排除する方式も局所的にはあっていい。この星に暮らす地球人たちが、特定の教条にしばられずに多自然世界を学びなおし、相互に議論をしながら選択してゆけばよいと、マリスは確信しているのだろう。目標設定の手掛かりとして最終章に紹介される7つの目安は、実践的なナチュラリストたちにとって、技術的アドバイスをはるかに超えるユニークで有用な指針となっている。

私事で恐縮だが、ここで解説を書く私は、1970〜1980年代、ドーキンスなどが開いた進化生態学の専門研究の流れに属し、日々数理モデルと格闘する研究者時代を過ごしてきた。他方では、1960年代後半の学生時代から都市の防災・自然保護の領域に強い関心があり、アカデミックキャリアの外の思索・実践の時間は、ほぼすべてを都市河川や丘陵や海岸の保全運動に費やした。三浦半島小網代の森、鶴見川の流域、そして勤務先でもあった慶應義塾大学日吉キャンパスの雑木 林等々で、防災、活用、生物多様性保全など、多元的な目標を設定した環境保全活動をつづけてきた経緯がある。

そんな暮らしの中で、都市化、温暖化にさらされる足元の自然をどのようなヴィジョン、理論、 技術で保全してゆくか、日々の思索・実践を折々の著書にも記してきた。励ましになったのは、英語圏における非主流の研究者や市民集団の実践だった。そんな模索の途上、大きな変化がおこりはじめたことを鮮明に知らせてくれたのが本書の著者、エマ・マリスだった。驚くのは、著者マリスが呼びかける自然イメージの転換、新しい自然保護の方向が、1960年代以後の試行錯誤の実践で積み上げた私の理解と、実に相性がよいことだった。温暖化、地球規模の都市化時代の自然保護の課題は、世界共通。だから対応もまた同じ構造になると、いま私は明快に理解することができる。

問題はそんな新たな主張を展開するマリスの本書が、日本の読者、ナチュラリストの現場にどう 受け止められるかということだろう。日本の自然保護の領域には、回復主義の頑固な教条が残る一方、「里山」という不思議な生態系への憧憬が広く共有されている。一般市民の間では、自然保護=里山保全という理解もまれではない。私自身は「里山」よりも「流域」を生態系の基本枠組として多元的な保全を目指しているので、この言葉はあまり使用しない。それでも、もし「里山」という言葉が小流域生態系を基本枠組とした水田・雑木林農業のような世界を主として示唆するのだとしたら、そこはマリスの唱導する新しい自然保護を日本列島に広げる、絶好の拠点となってゆく可能性ありと、いま私は考えるようになった。

稲作とともにある里山は、弥生時代の昔、祖先たちが列島にイネという外来植物と、連動する 様々な外来生物を移入し、在来生態系を大改変(破壊?)して、いわば革命的につくりあげた外来生態系、多自然農業生態系だ。その里山の歴史や現状から、幻想なしに素直に学べば、日本国の未来の自然保護は一から十までマリスの主張に合致してゆくはずと、私は直感するのである。時事の話題でいえば、稲作型の外来生態系構築のために設置された「ため池」という外来型水界を対象として、いまそこに侵入している外来種を、ただ外来種だという理由で排除する興奮など、里山多自然革命の歴史にふさわしいものとは、決して言えないことは確かだろう。マリス風に言い切ってしまえば、100年、500年未来の日本列島の里山生態系には、21世紀初頭において「悪者」とされた外来生物が、穏やかに優しく共存を許され、保護される「ため池」が各所にあって良いからである。

おしまいにマリスの自然保護論の理屈っぽい部分にもふれておく。マリスの推奨する自然保護戦 略はランドスケープエコロジーを下敷きにしている。自律的な変遷を尊重される大きな自然領域(自然保護区)がコアにあり、そのまわりに人々の多彩な希望に沿って多様な保全・活用をうけるパッチ(比較的小さな土地)があり、それらが帯状あるいは線状の土地の連なりであるコリドー(回廊)のネットワークで連結され、総体が人と自然の共存する賑やかな多自然ガーデンになってゆくというヴィジョンだ。「過去でなく未来に視点を向け、目標を階層化し、景域〔landscape〕の管理をすすめることこそ、〔未来の〕自然保全の要点」(第1章)というその主張は、ランドスケープエコロジーの基本そのものと言ってよいものだろう。

重ねての私事で恐縮だが、実はここでまた私は、驚きの符合を知ることになった。最終章でマリ スは、保全計画の階層化の基本単位として、ハワイ諸島の人々が伝統的に活用してきた、溶岩流で形成される小流域構造ahupuaa(アフプアア)に注目し、「多自然ガーデンは、このアフプアアのヴィジョンを全地球大に敷衍するもの」(第10章)と言い切った。足もとから、流域の階層構造を経て地球に広がってゆく生きものの賑わいに満ちた山野河海こそが、私たちの暮らしの基盤・背景となる自然であり、流域思考によってその多元的な保全活用を図ってゆくことが21世紀の私たちの自然保護だという思考は、実は1996年の拙著(『自然へのまなざし』〔紀伊国屋書店〕)に記した、私の実践的な思索の結論でもある。希望を託す景域として、マリスも「流域」を視野にいれているのだ。

本書が自然好きのたくさんの日本の若者たちに届き、温暖化危機の列島に優しい自然保護、多自 然ガーデニングの文化が育ってゆきますように。

2018年6月

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