『ゲンバクと呼ばれた少年』いつだって星を見上げて

堀内 勉2018年08月11日 印刷向け表示
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ゲンバクとよばれた少年 (世の中への扉)
作者:中村 由一
出版社:講談社
発売日:2018-07-11
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この『ゲンバクと呼ばれた少年』は、さながらギリシャ神話の最高神ゼウスが人類最初の女性パンドラに与えた箱の中からあふれ出た、戦争、貧困、疫病、憎悪といった人類を取り巻くあらゆる災禍と、それでも箱の底に最後に残されたかすかな希望の物語のようである。

本書は、昨年8月に放送されたNHK・ETV特集「原爆と沈黙〜長崎浦上の受難〜」の内容を、子ども向けに書籍化したものである。終戦記念日が近づく盛夏のこの時期に、どうしても読まずにはいられず手に取ってみた。

本書は次のような言葉で締めくくられている。

子どもたちに話をするときに、必ず聞くことがあります。
「差別やいじめはなくなると思いますか?」
ほとんどの子が「なくなりません」と答えます。
しかし、僕ははっきりと信じています。必ずなくすことができると信じています。
(中略)
僕は生き残りました。
原爆にも、差別にも負けずに。
だから、これからも生きていきます。
若い人たちに、僕の話を聞いてもらうために。
戦争や差別のない世の中が、必ずやってくるように。

著者の中村由一氏は、長崎市内の被差別部落の出身であり、同時に長崎原爆*の被爆者でもある。少年時代に担任の先生から「ゲンバク」というあだ名をつけられ、同じ学校の子供たちからだけでなく、周りの大人たちからも厳しい差別といじめを受けてきた。

初めに予想した通り、或いはそれ以上に、ここに書かれている著者の過酷な体験を読んで打ちのめされた。それと当時に、最後に残された希望に救われた思いがした。

どうして本人の責めに帰すべきではない、自らの力ではどうしようもない生まれや育ちなどが原因で差別されるのか。どうして原爆の被害者が、同じ国の人たちから「ゲンバク」と呼ばれていじめられなければならないのか。

この余りにも理不尽な著者の体験を読むにつけ、人間の本性とは何なのかを考えさせられ、そして打ちのめされた気持ちになる。今、与党の国会議員が、人間としての「生産性」を取り上げて、セクシュアル・マイノリティー(性的少数者)の一部の人々について、余りにもひどい差別発言をしたことが社会問題になっているが、なぜ人類は過去の教訓を生かして自らの弱さを克服できないのだろうか。

哲学者の市井三郎が『歴史の進歩とはなにか』の中で語っているように、歴史の進歩とは、「不条理な苦痛―自分の責任を問われる必要のないことから負わされる苦痛―を減らすこと」ではないのか。

そして、自分自身を振り返るにつけ、それではこれまでの自分は全くの潔白であったのかという自責と後悔の念とともに、新約聖書の次の一節を思い出すのである。

律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、イエスに言った。『先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。』

彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。

しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。』

そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりひとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。」(ヨハネの福音書8章7項)

こうした中でも、本書の救いは、過酷な差別を受けてきたにも関わらず、希望を失わずに生き続けた中村氏の勇気と生き様にある。

20数年前から、中村氏は学校などから頼まれると、子どもたちに自分の体験を語り始めるようになり、今では毎年長崎へ修学旅行に来て、中村氏の話を聞いていく中学校もある。中村氏は、自らの体験を伝えることで差別のない世の中が実現することを願って、本にする決意をしたのだという。

そして、本書の本当の救いと希望は、中村氏を支え続けてくれた家族や、数少ない友人や親切な大人たちの存在なのだと思う。中村氏の真面目な働きぶりを見て、郵便局の手伝いをしないかと声をかけてくれた人、故郷に住めなくなった長崎の浦上町の人たちが再び集まれるようにするための活動を始めた先輩、中村氏の体験を生徒たちに語るように声がけしてくれた中学校の先生。
こうした人々の存在があったからこそ、中村氏は今日まで生きてくることができたのだし、この世の中から差別やいじめをなくすために、自らの気持ちをしっかり語っていこうと心に決めることができたのではないか。

そして、人が人に対して与える前向きな心の正の循環は、必ずや次の世代に受け継がれていくのだと思う。

劇作家のオスカー・ワイルド(1854–1900年)は、同性愛をとがめられ訴えられた裁判の中で、相手方に 「どぶさらいめが」と罵られ、 次のように言い返している。

「俺たちはみんなドブの中を這っている。しかし、そこから星を見上げている奴だっているんだ。(We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.)」

この『ゲンバクと呼ばれた少年』は、終戦から73回目を迎える今年の夏、改めて人間の生きる意味を問い直すために読んで頂きたい一冊である。

*長崎市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年8月9日午前11時02分(広島原爆の投下は8月6日午前8時15分)に、アメリカ軍が長崎市に対して投下した、人類史上実戦で使用された最後の核兵器。アメリカ軍は、この原子爆弾を「ファットマン(Fat Man)」(広島原爆は「リトルボーイ(Little Boy)」)と名付けていた。ファットマンの投下より、当時の長崎市の人口24万人のうち約7万4千人(広島は9万 - 16万6千人)が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。

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