『麻原彰晃の誕生 』 文庫版 あとがき

新潮文庫2018年11月07日 印刷向け表示
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麻原彰晃の誕生 (新潮文庫)
作者:高山 文彦
出版社:新潮社
発売日:2018-10-27
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こうして紙の本として再生されるのは、とてもありがたいことだ。いくらかうしろめたさを感じるのは、麻原彰晃ほか12名の死刑執行を見送ったあとでの刊行になってしまったからである。本書は彼らの死をもって、あらためて「誕生」したのだ。

なぜ日本人は麻原やオウムから目を背けてきたのだろうか。春の野原を散歩していて、見たこともない奇怪な生物が路傍にうずくまっているのに気づいて、ひょいと跳びのいて鼻をつまむような印象がある。あたりまえのことだが、世界は美しいものに満ちているわけではない。鼻をつまんだ相手は、自分自身の魔物の投影であったかもしれぬ。「ヘン。又出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」(宮沢賢治「よだかの星」)なんて、通りすがりのあかの他人に顔をしかめて同意を求めるような調子で、無視し、追い払おうとする。

麻原をはじめとする七名のオウム死刑囚にたいして刑が執行されたのは、今年(2018年)7月6日のことだ。つづいて26日、残り6名にたいする死刑が執行された。元号が変わらぬうちに大量処刑をやりおおせてしまおうと国家が考えたのも、同様の感受性から生まれたものではないか。なんだか世間は、せいせいした感じだ。

平成の30年間は、世紀末から新世紀へと向かう特別なときにあたり、世界史的にも日本史的にも大きく揺れ動いた時代だ。麻原彰晃を名乗り異様な教団を出現させた松本智津夫は、むず痒いような時代の結節としてあらわれたような気がいまも私にはしている。

私は彼のことを生来の異常者だと決めつけないよう注意を払いながら、可能なかぎり当人を知る人びとから話を聞き、等身大の人間像を描き出したつもりでいる。それは高度経済成長から終わりやまぬ近代主義のまっただなかを生きてきた、貧苦の生い立ちをもつ少年の強烈な自我と自己実現の物語だった。どうにかして自分のような者でも世の中で認められ成功したいという、はげしい願望のありさまは、ときに痛ましいくらいに感じられた。そうして松本智津夫は麻原彰晃となり、逮捕されるとともに「麻原彰晃」から放り出され、見捨てられた。自己同一性を失って、一個の本能に逃げ込むしかない哀れな生きものと化したのだ。肩書社会を生きる私たちの日常の上にも、充分に起こり得ることではないだろうか。

検察側の精神鑑定では、奇矯なふるまいをするようになった彼について「詐病」とされ、裁判を受ける能力はもっていると判断された。地裁での死刑判決後、37回にわたって弁護人との接見を拒否し、ようやく車椅子に乗って接見室にあらわれたかと思うと、なにを訊いてもピチャピチャと唇を鳴らしたり、「ん、ん、ん」と言ったりと、まるで幻の対話手が別にいるかのようなふるまいを一貫してつづけた。頭から肩にかけてピクピクと痙攣するように体を震わせたり、にやりと糸を引くように笑ってみせたりして、対話にならなかったという。弁護人は被告人がオムツをしているのを確認している。またこの男は、下劣な行為を弁護人のまえでくり返した。ペニスをとりだして、射精を迎えるまでマスターベーションに耽るのだ。

裁判その他の記録からそうした事実のいくつかを知り得てみると、弁護側の接見に同行した精神科医が、梅毒の末期症状である可能性が高いと意見書で述べているのも、もっともな話かもしれない。私はある大きな精神病院の重症者病棟に案内してもらったことがあるが、コンクリートの壁に囲まれた椅子もベッドもない殺風景な大部屋に、20人ばかりの患者たちが無言で立ち尽くしていた。彼らはたいてい股間をこすっているか、なかには射精したばかりと見える患者もいた。しかし麻原がここまでの精神障害に見舞われていたとは、到底思えない。刑場に向かう日の朝、遺骨を四女に引きとってほしいと意思表示したとの報道は、拘置所側のつくり話だろうか。いまのところそれが確定した事実として語られているかぎり、やはり彼は詐病だったと考えざるを得ない。

記録を見ていくと、逮捕翌年の井上嘉浩証人にたいする弁護側の反対尋問がおこなわれたあたりから、大きな変化が起こっている。井上は麻原の側近中の側近として彼の言動をよく知る立場にあった。弁護人が井上に尋問をはじめようとすると、それを麻原がさえぎって、反対尋問をやめるべきだと、つよくこのように言った。

「井上は私の弟子で、偉大な成就者だ。このような人に反対尋問をすると、尋問する者だけでなく、それを見聞きする者も害を受け、死ぬこともある」

だが弁護人としては、反対尋問をしなければ、検察側にたいしておこなわれた井上の証言がそのまま認められてしまうので、どうしても尋問する必要がある。被告人と話し合うため裁判のいったん打ち切りを要求したが、裁判所は認めず、結局反対尋問はおこなわれることになった。その日帰り着いた拘置所内での麻原の動揺ぶりは、目に見えてはげしいものだったという。看守長の証言によると、夜になって彼は「私の弟子は……」と泣き叫び、チーズを壁に投げつけ、鼻水を垂れ流しながら新實の言ったことは嘘だ」「落田の首根っこをつかんだのはほんとうだ」などと大声でわめいた。翌朝も大声を出して、壁を蹴ったり、扉を蹴ったりするので、保護房へいれられた。

弁護人との接見は、逮捕の年の1995年12月4日から翌年10月9日まではふつうにおこなわれてきたが、この反対尋問のあった1996年10月18日から彼の態度が豹変し、つぎの2回の接見は彼のほうから拒否された。10月23日になってあらわれた彼は、弁護人の問いかけとは無関係に、「団長のおっしゃるとおり」と言ったり、体調の悪さを訴えて、「なぜここに自分がいるのかわからない」「自分がだれなのかわからない」などと言いつのった。

そして事件が起きる。あくる日の午後4時まえ、保釈申請について聞きたいことがあると自分から職員に言いだして、説明を受けている最中、部屋から脱走しようとして職員に体当たりをくらわせたのである。そのためふたたび保護房に収容されたのだが、一晩中わけのわからぬひとりごとを大声でわめき、弁護人との接見後も保護房で絞首台へつれていけ」「おれは神なんだ」「私はキリストだ」と言い、突然、自分から壁に頭をつよく打ちつけて、「おれは精神病だから、精神病院につれていけ」とわめいた。

東京地裁で死刑判決が下りたのは、2004年2月27日であった。弁護人との接見拒否は同年4月5日から7月26日まで37回連続しており、7月29日になって接見室にあらわれたかと思うと、その後は接見をつづけ、前記のようなふるまいに終始している。

本書が文春新書の一冊として出版されたのは、2006年2月のことだ。それから12年が過ぎて、文庫化にあたって新しい資料に目をやってみると、これだけのことがわかってきた。ただ、私におどろきはない。

彼はなぜ弁護人の接見に応じるようになったのか。弁護人は何度も、自分の意志で来たのか、それとも職員につれて来られたのかと尋ねたが、例の調子でこたえは返ってこなかった。しかしながら接見再開からは一度もそれを拒否していないということは、自分の異常ぶりを確認してもらうことによって、死刑を逃れようとしていたとしか私には考えられない。こうした拒絶症の発現は、子どもによく見られることだ。法廷で井上嘉浩をはじめとする弟子たちから面と向かって痛撃をあびた彼は、こんどは弁護人をかつての弟子たちのように操って、人身保護請求を出させ死刑を免れようとした。自分にとっていちばん安楽な道を自覚的に選んだというのが、彼の生涯を顧みての残念な私の結論である。

私は先に、松本智津夫は逮捕されるとともに「麻原彰晃」から見捨てられたと書いているが、麻原彰晃を名乗りはじめた時点で、とっくに彼は「麻原彰晃」から見捨てられていたのかもしれない。あるいは、その運命を背負わされたのだ。

自作自演のカタストローフ。

ひとりぼっちのソドムとゴモラ。

彼が私たちに問いかけてくるものは、『千と千尋の神隠し』に出てくる「カオナシ(顔無し)」に少しばかり似て、じつのところ普遍的で深い。少なくとも私にとって彼は、いまだに隣人として存在している。

2018年8月 髙山 文彦

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