HONZ活動記

HONZ夜の活動記 気づいたら六本木

栗下 直也2012年6月20日

先日、外国人の経営者にインタビューをした時、「最近、アインシュタインの言っていた狂気の意味がよくわかるよ。何回も同じことを試みながら、その度に違う結果を期待する。これこそ狂気だよ」と熱く語られた。彼は日本の電機産業について言及したのだろうが、取材の帰り道、私は深く考え込んでしまった。もしかしたら顔面蒼白だったかもしれない。「私のHONZ夜会での振る舞いこそ、まさに狂気ではないか!」と思わずにはいられなかったからだ。

1 そして夜会は始まった

HONZの熱心な読者はすでにご存じかもしれないが、HONZは月に一度開催される朝会がメインである。現在は六本木ミッドタウンの一室で毎月第1水曜日に朝7時から開催されている。最近は体も慣れてきたが、当初はきつくてたまらなかった。郊外に住んでいるため5時に起きなくてはならない。仕事で同じ時間帯に起きることもあるが、コメントをとる短時間の取材だったり、郊外での仕事のため早起きするだけだったりで、正直、いずれも頭を使わなくて良いのだ。

反面、HONZ朝会は熾烈だ。ぼけーっとしていたら話についていけなくなる。朝会は今月読みたい本を各自3冊ずつ紹介する形になっているが、驚くべき程、次から次に話題が出て、思わぬ所に話が及ぶ。成毛が国立がんセンターの話をしていると思ったら、土屋が野糞について熱く語り、内藤は鈴木をいじる。とりあえずいじる。これでもかといじる。そして、最年少の久保はなぜか朝の7時から常にパリっとしている。そんな光景が朝の7時から毎月繰り広げられているのである。当初は半分くらいは頭が回っておらず、自分が何を言っているのかわからない状態だったので、他人の話をまともに飲み込めるわけがなかった。

当時、思ったものである。なぜHONZは朝だけなのだろう。これが夜にあったらどんなに面白いのかと。生来の引っ込み思案の性格のため、自ら夜の話を切り出せないでいたが、しばらくしてHONZも軌道に乗ったこともあり成毛の提案で昨秋から夜会が始まったのだ。その時は知らなかった、いや忘れていたのだ自らの狂気を。一ヶ月前ほどのHONZ夏の合宿で豪華客船沈没級の惨劇を演じた(らしい)というのに(これについては趣旨がずれるため今回は割愛)。

2 夜会の謎 本読み達は何を話すのか、何が楽しいのか

夜会は第3水曜日の夜7時から始まる。 仕事が終わった者からぞろぞろと集まり8時前には参加可能な者はほぼ集結する。場所は初回を除き、新井の知人の渋谷の店で開催されている。HONZ読者の関心は、「本好きが夜集まって何を話しているのだろう」ということであろう。本について話しているのかと思われるだろうが、本の話が全体に占める比率は皆さんが思われているより多くないはずだ。「はず」というのは、如何せん、記憶がないので断定はできないからだ。

ウルトラマンが地球に3分しかいられないが、私は30分しか酒場にいられない。正確に言うと、30分以上は正常な状態ではいられないのである。酒に大して強くないのに、料理を口にせずにがばがばとスタイルだけは酒豪のように飲むため、大勢で飲んでいるとペースがわからず、気づいたら胸のカラータイマーが点滅している。ウルトラマンと違い、その場で自らが怪獣に変身してしまうのである。

実際、数少ないまともだった時の記憶をたどれば、新井が某アイドルに振り付けした話や、村上の実家の近くには信号が無く、車の数よりイノシシが多い話や(違ったかな…)、高村が米国に留学して何とも難しい研究をしていた話(これは記憶があっても、聞いてもよくわからなかった…)などなどだ。あの麻木も村上のイノシシの話を誰よりも興味深く聞き、誰よりも深く突っ込むのだ。要はメンバー間の身の回りの話が中心だ。つまり、フツーの飲み会である。もちろん、フツーの飲み会なので内藤は朝夜関係なく鈴木をいじる。

ただ、不思議な面もある。共通項の本の話をしなくても和やかな場が当初から成立していたことだ。本好きという 共通前提があるからか、距離が縮まるのも早かったのかもしれないが、それでも不思議だ。HONZの前身であるキュレーター勉強会が2011年1月に始まってから一年超経った今なら、納得もする。だが、数回しか合わずに初めて飲んだ昨年の3月から雰囲気は変わってない。途中から参加した内藤も昔からいるかのように自然ととけ込んでいる。そのため、私も成毛や東がつくりだしたこの心地よい空気に甘え、ウルトラマン状態で土屋や山本にからみ続け、毎月、怪獣に変身し同じ道をたどりつつけるのである。「今日は大丈夫。ウコンを飲んだ。今回こそは違う」と思いながらいつかきた道をたどるのである。これこそがアインシュタインのいう狂気ではないか。

めげないといえばめげないが、普通に考えれば全く学習能力がない。いや、単なる迷惑でしかないのである。私はかつて、山が見えるような知らない駅で目覚めることは日常茶飯事だったし、ゴミ捨て場から友人に救出されたこともある。お金や眼鏡だけでなく人間の尊厳を失った気がする。少しフツーの酔っ払いとは違うのかもしれないと恐ろしさを感じたため、自らの狂気を数年前から封印していたのだ。その封印を解かれるなんて、それもこれも全てHONZ夜会が楽しすぎるのが悪いのである。和みすぎるのである。

「和みすぎる」、「楽しすぎる」と説明になっていないので恐縮だ。だが、記憶が曖昧な点を差し引いてもそうとしか言いようがない。かつて詩人の寺山修司が競馬をなぜ好きなのかと問われ「カレーライスに好きなのに理由はないのと一緒」と生前インタビューに答えていたが、その通りである。カレーも夜会も後付ではいくらでも理由は挙げられるのだが、本当に好きなものというのは突き詰めていくと好きだから好きだし、楽しいから楽しいのだ。何か出来損ないの恋愛マンガみたいになってきたが、私は本はもちろんだが、HONZという活動が単に好きなだけなのだろう。おそらくメンバーもそうだろう。それがあの不思議な空気感を生み出しているのだ。「説明になってねーよ」と突っ込みを受けそうだが、本エントリー執筆時の今はシラフである。

3 夜会は続くよ、いつまでも

夜会という名の単なる飲み会は毎回午後11ー12時頃まで続く。流動的だが、その後が続くことも多い。夜会が始まった当初、皆、日付が変わる頃に帰ってしまい、成毛と二人で夜の町を漂流した時は「飛べない豚はただの豚。二次会がない飲み会はただの飲み会だ」と戯れ言を吐いていた気がするがあれはなんだったのだろうか。結局、ただの飲み会だし。そして、最近は皆、私の比にならないほど前のめりで必ず大挙して二次会に行っているのではなかろうか。

何ヶ月か前には、気づいたら、カラオケボックスに井上と二人でいた。歌を歌った記憶はない。何時なのかもわからない。起きたら井上が本を読んでいた。

視線を本に向けたまま「おはようございます」というのでどうやら朝方らしい。飲んだ次の朝も本かよ。すごいよ井上君。痛む頭を抑えながら、おお、そうだ、一次会の後、成毛と村上と学生メンバーの刀根と何とも心地よい店に一緒にいたのだったと思い出す。店をふらふらと出ると、全く覚えていないが、六本木にいたらしい。朝も夜も六本木である。「気がつけば六本木なんて、自画自賛だが我らはHONZの鏡だね、井上君」と語りかけたが彼は全く聞いていなかった。月に1度の祭の後はつらい。気持ちも悪いし、体も重い。だが、来月がまた楽しみだなと思えてくる。この瞬間が素晴らしいのである。

4 それでも夜会に興味があるあなたへ

成毛に「夜HONZを書きなよ」とありがたき言葉をいただき、取り掛かったものの、私の頭の中の薄れゆくというよりも、元々かすかな記憶と文章力ではHONZ夜会の熱さはなかなか伝わらなかったかもしれない。雰囲気をわずかでも汲み取って貰えれば幸いである。要はガヤガヤと本の話を入り口にしながら、あーだ、こーだと気づけば本と関係ない話を肴に酒や茶を飲んでいる怪しい集団と思って貰って結構である。怪しい本読隊なのか単なる酔っ払いなのかの線引きはかなり難しいが。

「酔っ払いでもいい。それでも、興味がある。夜会を覗いてみたい。いじられてる鈴木さんに会いたい」と熱望する方には朗報がある。近々、成毛からHONZファンに向けて夜会に関わる大発表があるかもしれないので気になる方は要注目である。

それにしても、井上君。聞くのを忘れていたが、結局、あの時、何の本を読んでいたのさ?

 

*本エントリーは完全に執筆者個人の思い込みと飲酒時の記憶に基づいて構成されています。