おすすめ本レビュー

素晴らしき人体実験野郎たちに乾杯!  『世にも奇妙な人体実験の歴史』

仲野 徹2012年7月11日
世にも奇妙な人体実験の歴史

作者:トレヴァー・ノートン
出版社:文藝春秋
発売日:2012-07-06
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「あれ?同じ本が立て続けにHONZに紹介されてる。なにかのミスか、はたまたHONZメンバーの共食いか。」と、思われた方もおられるやもしれませぬ。しかし、じつはどちらでもないのでございます。不肖、巻末に解説を書かせていただいたご縁から、文藝春秋(平成24年8月号)の『本の話』に、この面白本の紹介をさせていただくこととなりました。せっかくのことでもあり、その紹介文をこちらにも転載させていただき、内藤順のレビューといざ尋常に勝負勝負ぅ、ということにあいなった次第にござります。これを書いている時点では、まだ、内藤順のレビューを読んでおりませんのですが、きっと、おもしろさでは負けているような気がいたしております。なんと申しましても、こちらは文藝春秋を背負って(?)の文章であります故、いささか真面目すぎるきらいはいなめないのでございます。ということで、以下、よろしくお願い申し上げ奉ります。

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かつて立花隆は、人間には食欲と性欲にならんで知識欲があると喝破した。しかし残念ながら、大学に勤める毎日であっても、そのように実感することは多くない。だが、この本を読んで認識を新たにした。人間というのはかくも知的好奇心に満ちあふれた生き物であったのかと。

ちょっとしたことで大問題になってしまうほど人権が尊重されるこのごろである。時代が違うとはいえ「全部ほんまに実話なんか?」とびっくりするような面白い人体実験話をよくこれだけ集めてくれたものだと、著者のノートン教授に感謝せずにはいられない。

人体実験の話なんか、なんとなくおどろおどろしそうだからパス、と尻込みされる方もおられるかもしれない。しかし、ノートン教授のセンスあふれるチョイスと軽やかな筆致、そしてこなれた翻訳のおかげで、この本、『人体実験』という言葉が隠喩するような重苦しさはすこしも感じられない。

古来、不老長寿や無病息災が人類の夢であったことを思えば、全編の七割近くが医学関連であることは不思議ではあるまい。その嚆矢は、十八世紀イギリスが産んだマッドサイエンティスト、ジョン・ハンターであった。

ハンターは、外科医として高い名声を誇るだけでなく、とんでもないコレクターでもあった。法の網をかいくぐって解剖用の遺体を集めまくり、「私が解剖したいと思えば、手にはいらない人物はいません」と豪語したというから、とことんマッドである。

梅毒と淋病が同じかどうかを確かめるため、ハンターは、淋病の患者の膿を自分の局所に接種するというすさまじい「とんでも」実験をおこなった。そのオチ、とでもいうべき顛末は本書を読んでのお楽しみといういことに。

しかし、ハンターの実証的な態度を最もよく受け継いだのが弟子の一人、種痘すなわち天然痘ワクチンを開発した「近代免疫学の父」エドワード・ジェンナーなのだからあなどれない。これ以外にも、感染症における人体実験話がたくさん紹介されている。

コレラは細菌感染ではないということを証明しようと、自らコレラ菌を飲んだ衛生学の大家。黄熱病の伝染経路を明らかにするために患者の「黒い吐瀉物」を飲んだ医学生。感染経路を明らかにするために、サナダムシを飲まされた死刑囚。

こんな恐ろしい話ばかりではない。ダニによって媒介される皮膚病である疥癬の感染経路を明らかにするために、「プラトニックにベッドをともにする」というちょっといい感じの実験も紹介されている。うらやましいようなうらやましくないような、やっぱりよく考えると全然うらやましくない実験とは思われませんか?。

麻酔薬の効果をみるために自分で試す、患者のがん細胞を自分に移植してみる、自分の体を使って心臓まで届くカテーテルを開発する、意図的に無理な偏食をしてビタミン欠乏症に陥る、一酸化炭素中毒になってみる。など、命がけでおこなわれた医学的人体実験も実に盛りだくさんである。

命がけとはいうものの、これらの医学的人体実験はあくまでも地味でスペクタクル感に乏しい。見た目にせまりくる迫力となると、やはり「冒険系」の人体実験が圧倒的だ。

生きたサメを研究するために無防備に近づいていく、潜水艦から呼吸具を使わずに浮上する、不発弾などの爆弾を手で処理する、成層圏まで気球であがったはいいが酸欠で気を失う、などなど。冒険系人体実験は、テレビで放映されればかなりの視聴率をとれそうな気もするが、放送コードにひっかかりそうな危険なものばかりである。

この本をさらに面白くしているのは、単に昔のびっくりエピソードを紹介するだけではないところにある。かつての人体実験が今の世の中にどうつながっているかの解説や、関連する比較的最近おこなわれた人体実験についての言及がうまくちりばめられている。

それらのことをふまえて、人体そのものの不思議さや医学の進歩、人体実験の危うさと意義、そして、それらに関する倫理など、いろいろなことを包括的に自分の頭の中で再構築したくなってしまうという、読後の知的立体感が抜群の一冊なのである。

食欲や性欲にも個人差はあるけれど、知識欲の個人差ははるかに大きそうだ。数多くの人体実験野郎たちを駆り立てたいちばんの理由は、なによりもそのすさまじい知識欲であったと思う。

人体実験を通じて数多くの人体の謎が解き明かされただけでなく、多くの新しい治療法・診断法、そして、シートベルトなどの工学的実用品などが開発されてきた。人体実験野郎たちは、単に知識欲・好奇心の権化であっただけでなく、ある意味、人類の恩人なのである。この本を通じ、感謝を込めて、決して有名とはいえないほんとうにたくさんの人体実験野郎たちを偲んでもらいたい。

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解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯

作者:ウェンディ ムーア
出版社:河出書房新社
発売日:2007-04
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マッドサイエンティスト系人体実験野郎といえば、誰がなんと言おうとジョン・ハンターなのである。

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まんが医学の歴史

作者:茨木 保
出版社:医学書院
発売日:2008-02-01
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医学の歴史は人体実験の歴史でもある。マンガで楽しく学べます。

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セレンディピティと近代医学―独創、偶然、発見の100年

作者:モートン マイヤーズ
出版社:中央公論新社
発売日:2010-03-10
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医学系ついでにこの本も。抜群のおもしろさです。