おすすめ本レビュー

『オペラと歌舞伎』 美の道楽

成毛 眞2012年7月26日
新版 オペラと歌舞伎 (アルス選書)

作者:永竹 由幸
出版社:水曜社
発売日:2012-05-26
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いきなり度胆を抜かれる文章から本書ははじまる。すこし引用してみよう。

第二次世界大戦は、オペラと歌舞伎を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった。オペラを持たない鬼畜米英は、ヴァーグナーを軍旗とするドイツ第三帝国とヴェルディ軍旗を掲げるイタリア共和国、並びに東洋においてオペラと同様の文化である歌舞伎を持ち、大東亜共栄圏をめざす大日本帝国に対し、これ以上の文化的格差をつけられることは国民的屈辱であり、全世界における彼らの利益を損なうと判断した。

さらに続けて

「ワルキューレの騎行」という戦死者の行進曲を使って進軍したナチスの軍隊は、ジークフリートのように強かったが、また同時にジークフリートのごとくあっけなく殺された。・・・山鹿流陣太鼓で真珠湾を攻撃した大日本帝国に対しては、その本陣である歌舞伎を炎上させた上に『忠臣蔵』の上演を禁じた。文化的復讐をおそれてのことだった。

もちろん、自嘲的な皮肉を込めたジョークである。しかし、たしかにオペラと歌舞伎をもつ日独伊は、英仏と異なり近代にいたるまで植民地をもたなかった。著者はその理由として

オペラと歌舞伎、それは普通の芸術ではない。人間が考えうる限りの美の道楽の極地なのであり、国民的エネルギーの巨大な消費地なのである。一民族のエネルギーが”美への享楽”に注がれた時に生まれたもの、それがオペラと歌舞伎なのである。

という。たしかにその通りかもしれない。とりわけ日本人は江戸時代の長き平和のなかで芝居や色事にうつつをぬかし、黒船が来るまでは、猿楽町と吉原でリビドーを発散し尽していたようにも見える。本書はその膨大な国民的なエネルギーを費やして成立したオペラと歌舞伎という二卵性双生児の誕生経緯、劇場や仕掛け、女形とカストラート、ドラマ、毀誉褒貶などについて軽やかに解き明かしていく。今年の夏休みに木陰で楽しむ本として、文句なくもっともおススメする本だ。

本書によれば、楽譜が残っている最古のオペラは1600年10月の「エウリディーチェ」であるとする。いっぽうで歌舞伎は1600年7月の後陽成天皇の生母による「お国のかぶき踊り」見物だとする。双方の先行演劇はそれぞれギリシャ悲喜劇、能と狂言。ギリシャ悲劇も能も仮面劇であり舞台装置はない。このあたりでなるほどね、と膝を叩いていてはいけない。本書はこのように事実を単純対比させながら、オペラと歌舞伎の相似性を畳み込むように説明する。

オペラと歌舞伎は昔から一番高い演劇であり、日本とイタリアが入場料では200年以上も前から世界のトップを切っていたと言えるのだ。

ミラノ・スカラ座の初日の切符は2000ユーロを超えるらしいし、御婦人たちはその年の最新ファッションで出かけることになる。さすがに歌舞伎の入場料はそこまでいかないが、それでも今月開演中の猿之助襲名披露公演を昼夜桟敷で見ると42000円になる。

その三代目猿之助(1939~)は客席上にロープを張って飛び回る宙乗りを始めた人物だ。そのためサーカス呼ばわりされたこともある。いっぽうオペラも同時期にローマ歌劇場の支配人だったクレッシ(1931~)という人が活躍している。舞台に象・馬・ロバ・犬・猿を繰り出して動物園かサーカスだと言われていた。オペラと歌舞伎は同時期に大衆化したのである。

いっぽうそれに先立ち9代目團十郎(1838~1903)とアルリーゴ・ボーイト(1842~1918)という2人がいた。

(この二人は)ある面では確かにオペラと歌舞伎の高尚化に成功し、かつての庶民的で卑俗な芸能から、立派な舞台芸術に引き上げたが、その反面、卑俗な中にも非常に確かだった庶民の美意識を無視して、オペラと歌舞伎が衰退してゆく遠因をつくってしまったと言える。

さらにそれに先立ち河竹黙阿弥(1816~1893)とヴェルディ(1813~1901)の2人がいた。

この御両所がオペラ史上、または歌舞伎史上最も人気のある作品、つまり、史上最多上演のオペラないし歌舞伎を創り出すのだ。いわばオペラと歌舞伎の歴史のピークと言ってよい。

さらにそれに先立ち鶴屋南北(1755~1829)とロッシーニ(1792~1868)の2人がいた。南北が晩熟で、ロッシーニが早熟だったためほぼ同時期に活躍したらしい。

2人の作品は共にその在世中は大変な人気を得ていた、だがその後二人の作品はとんと忘れされれてしまう。この二人の作品が忘れられている時代に日本とイタリアは近代国家として生まれ変わり、富国強兵の道を共に歩むのだ。そして南北の場合は大正から昭和初期にかけて人気を盛り返すが、大東亜戦争への軍歌の響きが聞こえ出すと、その人気は火の消えるようになくなっていく。

演劇史の偶然にしては時代も事象も合わせ鏡のように奇妙に重なる。著者はこの日本とイタリアの相似形はオペラと歌舞伎だけでなく、国のありかたにまで及ぶとみているようだ。

世界でも立派な(?)犯罪組織団体をかかえている国も日本とイタリアだけだ。やくざとマフィアは、その手口、やり方、歴史的発展の仕方までまったく同じだ。(中略)戦後の賄賂政治とそれを容認する国民性もぴったりなのだ。先進国で最後までポルノを解禁しなかったのもイタリアだし。他人のことに口うるさいのも同じである。また共にスパゲッティとそばという長いものが好きで長いものに巻かれやすいところもそっくりだ。

だんだん芝居の台詞めいてくるところが、本書の魅力でもある。それもそのはず、本書の目次は

口上・プロローグ オペラと歌舞伎と植民地

大序・第1幕 オペラと歌舞伎の誕生

二段目・第二幕 テアトロと芝居

三段目・第三幕 女形とカストラート

四段目・第四幕 ドラマとしてのオペラと歌舞伎

五段目・第五幕 花咲くオペラと歌舞伎の最盛期

大詰め・フィナーレのストコッタ

打ち出し・カーテンコール

という具合でまさに芝居仕立てなのだ。さらに畳み掛けて

だてやすいきょうで道楽は見につかない。財産の一つや二つつぶさないと本物の道楽人にはなれない。どうせ二本刺しは捨てた(と憲法で言ってるんだから)日本人、町人なら町人らしく、金をためるだけでなく使い方も粋にいきやしょう。パチンコ、カラオケ、銀座のバーじゃあ、もういけません。このへんで日本政府も気前よく・・・(中略)・・・こんな駄文じゃ大芝居・大歌劇とはいかないようなので歌舞伎のくどきはオペラのアリア、アリャアリャサッサッーてなところで景気よく・・・

本日はこれぎり・・・

と〆る。いやはや、本書を読むことそのものが道楽だ。上質なトリビアとアイロニー。これから歌舞伎やオペラを楽しもうと思っている人にとっては必読書だろう。オペラの題名や歌舞伎の演目が大量に出てくるが、いちいち理解する必要はない。そのうち判る。いっぽうでオペラと歌舞伎に薀蓄のある人にとってもカストラートと女形などについては瞠目すること必至であろう。これで1,600円は安い。オペラや歌舞伎に行くよりはるかに安上がりである。だから読書だけは止められない。