おすすめ本レビュー

『ノアの洪水』

成毛 眞2008年12月10日
ノアの洪水

作者:ウォルター・ピットマン
出版社:集英社
発売日:2003-08-26
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『チェンジング・ブルー』の書評で黒海の汽水湖化とノアの洪水伝説に触れたが、本書がそれである。著者はコロンビア大学の海洋地質学の二人の教授だ。結論をいうと、紀元前5600年前後にノアの洪水は実際に起こったというものである。

今から11000年ほど前まで地球はヤンガードリアス期という亜氷期にあった。北半球は氷床で閉ざされ、その重みで現在のバルト海や黒海は窪みとなったほどである。ちなみにヤンガードリアス亜氷期は深層水ベルトコンベアの停止が原因と考えられている。現在の温暖化が進行して深層水の形成に影響を与えると、今度は劇的に氷期に突入するという論拠である。

ところで、ヤンガードリアス期に巨大な窪みとなった黒海は、亜氷期の終了で氷が解けて巨大な淡水湖となった。モンゴロイドを除く北半球に住む人類は、この時期の前後に農耕をはじめ、多くは黒海沿岸に暮らしていたと考えられているいる。しかし、どこからも黒海には川がなくどこからも水が供給されないため、湖水は蒸発し続け海水面より120メートルほど低くなったと著者は推定する。

そしてある日突然、紀元前5600年に地中海と黒海がボルボラス海峡で繋がることになった。海水は時速80キロの速度で流れ込み、一日あたり15センチづつ上昇した。単純な割り算をすると240日間絶え間なく水位が上昇したことになる。もちろん、黒海は氷床でできた窪みだから、岸辺は平坦であり1.6キロあたり60センチの傾斜率しかなかった。そのため、黒海沿岸に暮らしていた人々は一日に400メートルづつ絶え間なく移動し続ける必要があった。これを洪水と言わずしてなんというのだろう。

本書は海洋地質学者が書いた本だが、黒海から逃げ延びた人びとのその後についても取り扱っている。黒海の南西に住んでいた人々はエジプトへ、南東の人々はメソポタミアへ、北西の人々はヨーロッパへ、北東はウラルへ移動したと考えられている。移動先に全ての地域で洪水伝説がある。不思議な4大文明同時発生の理由がここにあるのかもしれない。

著者たちはこの仮説を作り上げるにあたり、「グローマー・チャレンジ号」で地中海から黒海にかけて地中探査を繰り返し、炭素同位体法をつかって当時の生態系などを調べ上げた。『チェンジング・ブルー』を絶賛した理由はこのあたりの理論を丁寧に説明してくれたからだ。

ところで、地中海も太古には汽水湖であったという仮説がある。その地中海がある日突然に大西洋とジブラルタル海峡で繋がったとしたら、地球のジオメトリにも影響を与える事象だったに違いない。