おすすめ本レビュー

『選択の科学』

成毛 眞2010年11月29日
選択の科学

作者:シーナ・アイエンガー
出版社:文藝春秋
発売日:2010-11-12
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著者は盲目のシーク教徒である。彼女は1997年にスタンフォード大学から社会心理学の分野で博士号を取得している。翌年「Choice and its Discontents」(選択と不満)という論文発表し、実験社会学会からベスト論文賞を獲得した。この論文こそが彼女の出世作であり、多くの企業が利用する理論となった。

この通称「ジャム研究」を誤解を恐れずに1行でまとめると「選択枝が多すぎると、人々は選択できなくなる」というものだ。すなわち「品揃えが豊富すぎると、売り上げが下がる」という研究だ。本書でも226ページからロングテール現象とともに紹介されている。

この有名な研究にたいする日本企業の対応はじつに不思議だった。大和証券がテレビ・コマーシャルで使ったのだ。2008年に放送されたこのテレビコマーシャルにはプリンストン大学のシャフィール博士という人物があらわれ、ベビーカーを買いに来た夫婦の様子を観察する。4種類しかない売り場では即決できるが、多数のベビーカーの前では逡巡して素通りしてしまう。それを「決定回避の法則」として説明するのだ。広告主が何を言いたいのかはまったく判らなかった。大和証券の商品開発力の弱さを自嘲してみせたのかと思ったほどだ。

いっぽうで、ペンタックスの120色から選べる一眼レフデジカメや、24色から選べるソフトバンクのパントーン携帯などは、こんなに選択肢を増やして大丈夫なのだろうかと思ってしまう。気を取り直して本書に戻ろう。

本書は膨大な実験心理学の研究を惜しげもなく書き連ねた本である。研究は「選択」というキーワードで選ばれており、8章に分類されて紹介される。第1章「選択は本能である」では動物園で飼われている動物の寿命は野生のそれにくらべて短いことを見出し、それは自己決定権を失ったからだとする。つづいて「社長は長生きする」という見出しで、イギリスの研究が紹介される。公務員を対象に行われた研究で、より上位の公務員のほうが健康状態が良かったというのだ。その理由は職業階層の高さと仕事に対する自己決定権の度合いが、相関していたからだというのだ。

良い意味でも悪い意味でも、心理学を「科学の匂いのする文学」だと思っているボクにとっては、この2例だけで疑問が湧いてくる。動物が自己決定権を失ったということと、拘禁反応と、閉所恐怖症とはどこがどう違うのであろう。イギリスは日本人が考えるより遥かに厳しい階級社会だ。階級と健康の相関度と職業階層と健康の相関度はじつは相似なのではないか。

心理学には、たとえば物理学における相対性原理や、分子生物学におけるセントラグドグマなどに代表されるような数学的な原理がない。そのため実験を解釈する人の力量が問われるわけであり、文学的だと思う所以なのだ。実際、多くの大学で心理学は文学部に属する。

とはいえ、この第1章だけでも「ラットの溺れ対応実験」「老人ホームでの自己決定権実験」「乳がん患者の意識」など、いわば使えそうな事例がどんどん提出されるのだ。この場合の「使えそうな」とは人生論、経営、マーケティング実務、飲み会での薀蓄披露、などあらゆる側面を意味する。本書はこの豊富な実験心理学の事例だけでも所有する価値はある。

本書の価値は事例の多様性にもある。たとえば、アジア系とアングロ系の子供を比較し、アジア系の子供は自分よりも母親が選択した問題を解かせたほうが成績が良かったという。さらに著者はシティコープのジョン・リードの了解を得て、各国の行員を調査している。そして、アジア系では日常業務が上司によって決められるほうが、意欲・満足度・実績のスコアが高いことを発見する。アメリカ人の真逆なのだ。

ある章では、脳の「自動システム」と「熟慮システム」という概念を使い、複数の実験が紹介される。子供の前にお菓子を置いておき「もし、おじさん(実験者)が部屋に戻ってくるまで食べないで待っていたら、もう一個あげる」という実験をする。「熟慮システム」を働かせて、実験者を待っていた子供はお菓子を2倍もらえるというわけだ。彼らを追跡調査した結果、SAT(大学進学適性検査)で210点も平均点が高かったという。

この2つの事例の背後にある心理学的解釈はともかく、そのまま経営に応用できる可能性がある。まさに国別のマネージメント設計や採用試験などである。このように心理学に数学的な原理がなかったとしても、その応用は実効性がある。それは物理学において一般相対性理論を知らなくとも、高校で習うニュートン力学を知ってさえいれば弾道計算が可能であることに似ている。

まさにその点において著者はコロンビア大学のビジネススクールの教授なのだ。心理学者を文学部においておくことなく、ビジネススクールに招聘することこそ、我々が本当に学ぶべきことなのかもしれない。