各レビュアーが選ぶ今年の一冊。やっと出揃いました。
今年も見事なまでにバラバラです。
なるほど、頷くものも多々ある一方、栗下直也とか意味分かんないですし(怒)、最後に登場する成毛眞など、相変わらずあまりに自由すぎて呆然とするほかないです。
でもそれもHONZならではの多様性、ということでお許しを。レビュアーが増えたぶん、ちょっと長いですが、ぜひとも最後までお読みください。あなたが読むべき1冊は、このなかから見つかります! たぶん……。
村井理子という翻訳家を知ったのは、もうずいぶん前のことになる。時のアメリカ大統領はジョージ・ブッシュだった。この人は妄言失言甚だしく、村井さんはそれをいちいち取り上げてブログに乗せていた。後年それは『ブッシュ妄言録』として出版される。ネット上で友人となり、その後もユニークな本を翻訳し続ける村井さんが、奇妙奇天烈な本を訳していると聞いたのは、今年の夏前だったか。一人の青年が鉄鉱石からトースターを作った!?これはもう、私の獲物である。発売日にHONZにレビューを上げようと、業界ネットワークを駆使しゲラも手に入れた。
発売日直前、恒例のHONZ朝会が開かれた。私はプロだし、年長だし、メンバーのフォロアーを自認しているので、基本的にはメンバーが紹介した本はいくら面白い本であっても譲ることにしている。しかしその回で『ゼロからトースターを作ってみた』を紹介したのは、なんと学生メンバーの刀根明日香!
この本だけは渡すわけにはいかない…普段は欠片もない非情さを振り絞って、レビューを上げた。ごめんね、刀根ちゃん。
しかし、Facebookで村井さんとのやり取りを読んでいた土屋敦は、著者が来日することを嗅ぎ付け、知らぬ間にインタビューを申し込んでいたのだ。私はまだまだ脇が甘い……。
ご存知の通り、HONZでは月一回朝会と称し、今月読む本を紹介しあっている。ここで対処に困るのが、カブり必至な本をどう扱うかということだ。カブりを避けて手堅くいくのか、「あ〜、はいはい」というリアクションを覚悟で出しにいくのか。ドラフト会議さながらの緻密な戦略が求められる。
ある日、ふと思いついた。カブり必至な本は、朝会直前にレビューを書いてアップしてしまえば良いのではないか。名付けて、秘技”アサカイツブシ”。これを初めて繰り出したのが、忘れもしない本書『ピダハン』においてである。
数がない、計算もしない。「すべての」「それぞれの」など、数量詞も存在しない。それどころか左右の概念もない、色を表す単語もない、神もいない。そんな、ないない尽くしのブラジル先住民・ピダハン族の話。
レビューをアップした後は、この行為に身内からの非難が殺到。「アサカイツブシ」のネーミングは全く浸透せず、朝会で話しかけてくれる人も一人減り、二人減り。気付けば僕自身が、ないない尽くしの状況に… こういうことは二度とすまいと、固く心に誓ったのであった。ちなみに次点は『ハキリアリ』。
レビューしたらよかったやないの、と言われるかもしれないが、HONZデビュー前だったので、この「今年いちばん知的興奮を感じた一冊」はレビューできなかった。残念ながら、『パンドラの種』というタイトルがわかりにくいせいか、売れ行きは芳しくないらしい。そういう意味では、「今年いちばん残念な本」でもある。
この本、梅棹忠夫の『文明の生態史観』の向こうをはって、『文明のバイオ史観』とでも呼ぶべき本だ。その面白さも両者がっぷり四つ。単に文明のみでなく、ゲノムや病気に対して、農耕がどのような影響、とくに負の影響を与えたのか、が、考察されていく。
ごく最近のNature誌に、ヒトゲノムの多様性は、農耕文明が生じた後に爆発的に拡大したという論文が出た。おそらく、それ以前には生き残ることがむずかしかった人、ドーキンス流により正確にいうと生き残ることができなかったはずの遺伝子、が、農耕によって生き残ることができるようになったということなのだ。
その多様性拡大が新たな病気を引き起こしたことも間違いない。農耕は、生き残るための種だけでなく、厄災をもたらす『パンドラの種』ももたらしたのだ。『バイオ史観』は、最後に“多くを望まない”ことが、これからの人類に必要であることを教えてくれる。「今年いちばん考えさせてくれた一冊」でもある。
内藤順のレビューはこちら
ノンフィクション・ライターという絶滅危惧種がいる。なにしろ儲からない。ノンフィクションは取材にカネがかかる。そのうえ多くの場合、売れない。だから書き上げても出したがる出版社は少ない。取次もあまり配本してくれない。書店はすぐ返本する。大きな賞を取ったり、ベストセラーを出したりした有名ノンフィクション・ライターがいつの間にか「◯◯大学教授」などの「月給取り」になっていると、なんだか悲しくなる。「月給取りが書いた文章など信用できない」というのは誰の言葉だったか(私じゃありません)。
というわけで、そんな「絶滅危惧種」が、地味でありながらも素晴らしい著作を出したとしたら、真っ先に取り上げて皆に自慢すると同時に、微力であっても援護射撃をするべきなのだが、私はこの本『北の無人駅から』の存在を見逃していた。発売は昨年11月、恥ずかしながらその存在に気づいたのは今年の夏で、完全に紹介する時期を逸してしまっていたのだ。しかし、この分厚い傑作ノンフィクションは、本そのものの力で第12回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞と第34回サントリー学芸賞を受賞した。
(希望的観測だが)きっとじわじわ売れているに違いない。しかし、もっと売れ、もっと読まれるべき作品だ。もし読んでいない方がいたら、年末年始はこの本で決まりです。絶対読みましょう。
会社の同僚が真っ先に読んでいた本、きれいだった本を、すぐに借りて、付箋とボールペンでぐちゃぐちゃにしてしまった。そのまま返さずに他の人に貸すという醜態まで。とにかく、(主に仕事がらみで)会う人会う人に興奮気味に話して、購入をお勧めしまくった。
そして、きれいな状態で改めて読みたくて、つい先日、自分用に購入した。
発展途上国の貧乏人についての意外な事実が、ここぞ!とばかり登場してくること、イデオロギーや直感に左右されたものではなく、科学的な手法で現場をベースに実証されていることだ。貧困の本質を深く洞察した一冊で、人々の貧困下における選択が科学されている。
多くの人は、途上国の貧困問題とその援助について、なにがしかの思い込みを持っている。その思い込みを覆される一例として、穀物による食糧援助は、実はそれほど成果をもたらさないかもしれない。その理由は本書で! CMや駅吊り広告などで、一度は頭を悩ませたことがある人すべてにお勧めしたい。
HONZで継続してレビューを書き続けるためには、それなりの数の新刊本を同時並行で読み進める必要がある。面白いと思って読み進めている本も、読み終えてみるとレビューが書き難かったり、他のメンバーに先にレビューを書かれていたり、ということがよくあるからだ。
そんな特殊な読書環境において本書は、他の本に目もくれず集中して読み進めたにも関わらず、読了までに一週間以上を要した。500ページ超二段組のボリュームはもとより、その密度が凄まじく濃かったからである。とにかく、読書中にいろんなことを考えさせる本であった。著者の過酷な体験に何度もページをめくる手を止めながら、やっとの思いで読み終えたことをよく覚えている。
読み進めるのに苦労した本のレビューを書くのが容易なはずもなく、締め切り前ギリギリまで書き直し続けることとなった。2012年読んだ本の中で、読了までに、そして、レビューを完成させるのに最も時間のかかった一冊である。
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良い意味で今年最も第一印象を裏切られた1冊。書名からありがちなレアメタル産業論がメインテーマかと読み進めれば、「第二章 からだと重金属」で展開されるのは濃厚な生命科学論。「体内になぜ重金属が存在するのか」の問いを解き明かすべく、宇宙史から地球科学を枕に生命誕生のカラクリ、動植物の生体メカニズムまでが50頁足らずに一挙濃縮されており、読み応え満点だ。
一転、後半では水銀、カドミウム、鉛、ヒ素、といった重金属や毒性元素による汚染の黒歴史が綴られていく。今度は生体メカニズムの巧妙さが仇となり、必須元素と誤解されて摂取した重金属により人体が蝕まれていく様は切なく、また、国家や企業という巨大権力に被害民が抵抗できないという公害事件で繰り返される構図はやるせない。
しかし毒をもって毒を制するではないが、重金属には技術革新の大いなる可能性も残されている。酸素をはじめ猛毒物質を重金属で解毒する術を編み出した生命の英知にあやかり未来を切り開いていこう、との趣旨の力強い結語には希望が持てる。中公新書らしいさすがの一冊。
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2009年に他界した日本画家、平山郁夫の真相にせまる一冊。日本国内において最も知名度があり、絵の値段が高く、画壇ヒエラルキーの頂点にいた平山は、画家でありながらも年間収入が10億を超えるなど、それまで常識だった「芸術家は貧乏」という通説を覆す美術界のモンスターだった。
だがしかし、これまで批評家やジャーナリズムの多くは称賛に偏ったものばかりで、大家の素顔に触れようとはしていなかった。著者は「芸術家はえてして貧乏だと思っていた。それが、どうして裕福になれたのか。なぜ、政治家や財界人と親しく付き合っているのか。ところが多くの謎を解いてくれる人物評論は見当たらない。それならば自分で解き明かそう」と切り込んでいく。
本書は資料収集や平山郁夫美術館の関係者への取材を重ねた著者による20年のライフワークを経て発行された。さまざまな証拠を通じ平山という人物が描かれているが、この肖像画は見応え充分。アート好き必読。
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HONZには三ヶ月以内の新刊をレビューするというルールが存在する。気の向くまま乱獲した本たちだが、いざ読む段階になると、時間の制約やレビュー向きでないなど、様々な要素を勘案し優先位をつけることになる。本書もそんな理由でページを開くタイミングを逃し続けた。
本書の優先順位が下がった理由としては1.新刊とはいえ新装版であり、すでに多くの人に読まれている。2.石原莞爾は毀誉褒貶が烈しい人物でレビューしにくい。などがある。しかし、本書を読み始めたとたん、著者が語る石原莞爾の人物像にすっかり魅了されてしまった。
日本軍の悪しき慣例である体罰の根絶に邁進。玉砕をしようとする指揮官を諭したりするなど、兵や下士官を大切にする姿。権力者や実力者であっても信念に反することや、道理に合わない事にはズケズケと意見する姿勢などは、読んでいて爽快だ。また、気に食わないことや、権威主義的で不合理な儀式などを勝手に中止したり、省略したりとやりたい放題。実はかなり「大人げない大人」なのである。「大人げない大人」が代表を務める組織に属するものとして、こんな面白い人物のレビューを書くチャンスを逃したのは痛恨の極みである。いつの日かレビューを書くチャンスがめぐってこないか、と淡い期待を持ちながら静かにページを閉じた次第。
朝会では常々メンバーの本の発表方法を学んでいる。朝会で「どれだけメンバーに買わせるか」は「どれだけメンバーをぎゃふんと言わせたか」に直結する。
今年1番メンバーをぎゃふんと言わせたベストパフォーマンス賞は、足立真穂が紹介した本書である。名著の文庫落ちという他の本と比べてハンデがあるが、紹介した瞬間、何人かのメンバーが即ポチり始めた。在庫がもともと少なかった分、メンバーだけでその場で品切れになったとか。もちろん私も家に帰って同日中にポチった。
本書のレビューは、こちら。知識不足の私でも順を追って読みやすく、何度も読み返している。
「HONZメンバーが即ポチった」なんて、1番ずるい宣伝文句ではないだろうか。読者の中にも、即ポチってしまう人もいるに違いない。来年は、私の文章で読者の方々にポチってもらえるよう、日々精進である。
マニアックな知識を仕入れるのが大好きだ。他の人がふつう知りもしないことを知ったときの高揚感がたまらない。胡散臭さや怪しさがあるとさらによい。理屈で語れるものではなく、もはや本能といったほうがいいかもしれない。そんな僕のマニア魂を今年一番くすぐってくれたのがハマザキカク編集の本書である。『消滅した国々』、まずタイトルだけで即購入を決定。そしていざページを開いてみると傀儡や独裁といった香ばしい単語に加え、「こんなのあり?」と言いたくなる建国理由がどんどん出てくる。
もちろんマニアックなだけではない。大国のエゴや富・資源の分配、民族・宗教の対立といった人類普遍のテーマが登場するたびに人の業に深さについて考えさせられたし、思わぬところで歴史の点と点を繋いですっきりした気分にもさせてくれもした。一冊でいろいろな楽しみ方ができ、今年一番お買い得な一冊でもあった気がする。
〆切をすっかり忘れていて、通勤電車の中でスマホを使いこの原稿を書いている。私は通勤電車の中で本を読むことが多いのだが、そこで今年一番恥ずかしい思いをさせられた1冊を紹介する。朝井リョウのエッセイ『学生時代にやらなくてもいい20のこと』である。小説を読んで涙しながら通勤することなど日常茶飯事なのだが、満員電車の中で吹き出し、周りから白い目で見られた記憶は消したくても、そう簡単には消せるものではない。
朝井リョウといえば『桐島、部活やめるってよ』が映画化され、(今年観た映画でベスト)『もう一度生まれる』が直木賞の候補になるなど、今年の活躍は目を見張るものがあった。個人的にも『彼女は卒業しない』の中にでてくる「エンドロールが始まる」は今年読んだ小説の中でベストだった。
そんな素晴らしい小説を書く作家のエッセイが、こんなにおバカでくだらないとは思ってもみなかった。(どちらも褒め言葉ですよ?)小説の文章の美しさからは想像がつかないほどのお下劣ぶりで、OPP(お腹の弱い)の話や、自転車で東京から京都に行く話などはおバカすぎて涙なしには読めないだろう。(感動ではなく、笑いすぎてである。)人前で読むと、私と同じ目に合う可能性大なので、人のいないところで読むことをオススメする。
あくまで私見だが、ほどほどに面白い本はレビューを書くのは難しくない。むしろ書きやすい。興味を惹かれる箇所も限られるので、冷静に読めるし、「ここが読みどころ」と客観的に伝えられる。
レビューが難しいのは、熱中して一気読みしてしまう本だ。私の技術が未熟と言ってしまえばそれまでだが、興奮をどう伝えて良いのかわからない。正直、「つべこべ言わずに読んでください」と15字だけ記したいのだが、編集長の土屋敦が怖いので、そのような大それた行為はできるわけがない。いつも締め切りギリギリまでレビュー執筆に着手しないためか、あとで読み返すと恥ずかしかったりもする。言葉が上滑りしたり、本文が異様に長かったり。
今年一番の「つべこべ言わずに読んで下さい」は『チャイナ・ジャッジ』。妻の殺人疑惑を端緒に失脚した共産党幹部の薄熙来の生き様を描いた一冊だ。薄の意に沿わない人間は次から次に死ぬし、莫大な金がピンポン球のように飛び交う。ハリウッド映画もびっくりの展開だ。まさに事実は小説より奇なり。「ノンフィクションはだから面白い」と叫びたくなる一冊だが私の書評でどれだけ伝わったことやら。作者への敬意を込めて、「編集長、レビュー書き直してもいいですか?」。
2012年の年始も箱根駅伝は大いに盛り上がった。早稲田大学 大迫傑の快走、出岐雄大による青山学院大学 史上初の区間賞、「山の神」東洋大学 柏原竜二と設楽悠太による区間新記録樹立、東京農業大学 津野浩大の腹痛を堪えながらの完走、駒澤大学の復路追い上げ、倒れながらも襷を渡す神奈川大学の鈴木駿、そして東洋大学の往路・復路完全優勝と新記録樹立。きっと2013年箱根駅伝も手に汗握りながらそして時々涙を拭いながら観戦する人は多いだろう。
そんな箱根駅伝好きには本書がオススメである。本書はレースの背後にある監督の戦略を分析しており、戦略・戦術好きにはたまらない内容に仕上がっている。
例えば選手の区間配置。往路に主力級を並べる「先行投資型」なのか、主力を復路に並べて追い上げを狙う「後半投資型」なのか、はたまた安定感ある上級生を並べる「経験重視型」なのか、選手の区間は配置を読み解けば各大学のカラーや監督の考え方が分かるようになる。
本書を読むと、自分が早稲田大学の監督ならどうするか、シード権争いをする國學院大學の監督ならどこに主力選手を起用するか等、考え出すと止まらなくなる。2013年の年初、この一冊手元にあれば、きっと駅伝の楽しみ方も変わってくるだろう。
本書は、国産OS「TRON」の開発者として有名な坂村健が、仕事で世界中を飛び回りながら、各
国の料理と酒を存分に味わい尽くした顛末を綴ったグルメ旅行記だ。目次を拾っていくだけでも、上海蟹や小籠包に始まって、ホーチミンのプリン、金浦空港のナポリスパゲティ、フィンランドの黒い食べ物、スペインのヤキソバ、ロンドンの枝豆、シドニーの懐石料理、パリの蕎麦屋と本当に幅広い。お酒の方も、最高級の白酒から赤のマルゴー、野生のビールと来て、ラストは金魚鉢のマティーニとロンドンのサヴォイ・タンゴ。どれも本当に美味しそうで、読んでいるだけで心躍るものがある。カラー写真も非常に多くて、視覚的にも「おいしい」1冊だ。
そして、ただ「おいしい」で終わらないのが著者の真骨頂だ。思う存分に逸品を満喫しながらも、その思考は各国料理の裏側にある食文化そのものへと広がっていく。「ヌーベル・キュイジーヌ」(新しいスタイルのフランス料理)の革新であったり、食材と人材の流動性が食のレベルを引き上げた「食卓のEU化」であったり、読み物として非常に面白いのだ。
それにしても、今年8月にHONZに参加して約4ヶ月。非常に多くの刺激を受けて、自分の中で、書店で眺める棚が少しずつ変化してきた。本書はその過程で偶然目に留まった1冊なのだが、昔の自分であれば、本書を目に留めることも、買うことも、読むこともなかったような気がする。(まあ、この4ヶ月というもの、そういう本との出会いばかりなのだけれど……)
ひとめぼれしてジャケ買いする本は数多くある。この本もその一冊だった。帯を兼ねた赤いカバーが包装紙となり、艶やかな松露だんごの写真を包む。これは手を出さずにはいられない。
そこでしか買えない手作りの逸品を中心に、600の中から吟味した70品。うち一品が、南海本線浜寺公園駅そばの「福栄堂」、松露だんごなのである。内容はすでにHONZ副代表の東えりかがレビューしているのでそれを読んで欲しい。文楽鑑賞にかこつけて大阪に出かけ、掲載されている店巡りをしまくっているだけのようにも読める大阪愛に満ちた文章で、最後には著者に会いにまで行く念の入れようだ。なお、HONZ大阪支部代表の仲野徹先生によると、掲載されている何軒かを知っておりいずれもハズレなしとのことである。
と、HONZメンバーを次々に唸らせるこの大阪みやげ本、かなりデキるガイドブックといえそうである。姉妹編の『関西名物 上方みやげ』(表紙は「じゃこ山椒」)も合わせて、今年いちばんお腹の空いてくる本として、あげておきたい。
副代表を見習って、年明けには大阪でのHONZ取材も予定しているので、レポートを乞うご期待。来年も懲りずによろしくお願いします。
本書はあの麻木久仁子が既にレビューしており、初夏の時点で「今年のナンバーワン」と断言した本だが、とても印象に残ったので取り上げさせていただきたいと思う。
何が印象に残ったかというと、しみじみ「どこの人もいっしょだ」と思ったのだ。題名からもわかるように、この本は、台湾出身の著者が、自分の両親の時代の歴史を追ったものだ。きっかけは、息子が学校で「オーラルヒストリー」を学び、自分の家族の歴史を知りたいと連絡してきたこと。激動の時代だ。日本も関係した。でも、本書から見えてくるのは、国家でなく個人の人生だ。
著者は、自分に歴史を語る能力はないと言いながらも、母として「愛の責任」があるからと書き始めた。その間、400日。香港大学は、特別にこの仕事だけに集中する時間を与えてくれた。
15万字の本は、膨大な数のインタビューがベースになっている。よくここまで調べたと感嘆する。「おめおめ生きながらえてきたのはこのためだった」と言った相手もいた。
“私が19歳だったころ、両親なんてほとんど街路樹程度の存在だった。”
ここにあるのは、たくさんの街路樹の話。
ちょっと長い年末年始のお休みに、じっくり観察してみるのはいかがでしょうか。
4年前の暮れの大きなニュースといえば「年越し派遣村」だった。寒空に職も住まいもない人々がこんなにいるのかと。そして「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げた民主党を有権者は選択したが、その初志はどこへやら、というなかで、その日は来てしまった。2011年3月11日、東日本大震災。1年9ヶ月後再び政権交代、自民党は政権を奪い返した。空気は変わる。ときに思いのほか急激に変わる。だが「空気」は何もないところからある日突如として顕れるわけではない。「空気」が醸成されていくには過程があり、その種があるはずなのだ。いまのこの「空気」はどこへ向かうのだろう。
本書『詩歌と戦争』は、明治という「上から“押し付けられた”近代化・国家主義の時代」から、昭和という「民衆の心情が“自発的な”戦争礼賛へと収斂していく時代」に行き着くまでがいかなる道筋であったのかを、叙情詩人であり、戦争を礼賛する愛国詩人でもあった北原白秋の詩歌を軸に、大正期の文化史を紐解くことでたどっていく。
キーワードは「郷愁」である。
明治政府は唱歌教育について、〈「郷土を愛するの念」を「国家を愛するの念」と等置して「吹き込む」ために、そのステップとして「郷土を離れたものの愛郷の念を想像させる」訓練をしようと〉位置づけたという。
白秋はそうした国家主義の押し付けに反発する。郷愁は上から押しつけられるものではなく、人間に内在する素因に発するものであり、そうした感情や思考に表現を与えるべきなのであると白秋は考える。
〈いわば下からの自発性を尊重しようという原則に従うものです。この意味で、それは確かにひとつの「自由主義」であると言いうるものなのです。〉
こうした白秋の「子供に還れ」という“童心主義”は大正デモクラシーの気運の中で広く受け入れられた。人口の都市への集中と地方の疲弊や、関東大震災、植民地への移民の促進などに伴ってたち現れた、“ふるさとを失う”という民衆の喪失感や不安感ともマッチしたのだ。
やがて民衆の政治参加や地方自治という大正デモクラシーのひとつの発露として、日本各地にご当地音頭ブーム、校歌・町歌・団歌ブームが訪れる。白秋は積極的にその“国民歌謡運動”に関わっていく。“自由”を“動員”するという奇妙で皮肉な状況が生まれるのだ。
〈民衆の精神領域に立ち入り彼らのアイデンティティを統御し始める〉こうした動きが〈下から始動させていた営み〉だったからこそ、〈やがて組織される国民精神の総動員体制も確かに現実の社会的基盤をもって確立したのだ〉というのが著者の考えである。
大正期、関東大震災後のボランティア精神や、文化運動の自発的なデモクラシー、郷愁を核とするロマンティシズムなどが、国民精神総動員体制を準備した。下からの自発性は上からの制度化に回収されていった。時代の「空気」はやはり突如現れたのではなく、“絆”や“郷愁”を種にして醸成されていったのだ。
白秋作詞の『この道』『ゆりかごのうた』『からたちの花』『ペチカ』…。幼い頃、私の母もよく子守唄がわりに歌ってくれた。いまでもちょっと気分よく酔ったときなどに、懐かしさや甘酸っぱさを感じながら口ずさんでしまう歌である。あの時代、人々は不安や喪失感を癒し、“絆”を自らの力で取り戻そうとするときに、これらの歌を歌ったのだ。それがいかにして全体主義へと絡めとられていったかという本書の考察を読むと、さらにほろ苦さをともなって、ますます忘れられない歌になっていくような気もしてくる。
今の時代が何をゴールにする方向へと向かっているのか、それを考える上でぜひ一読をとお勧めしたい。
2013年、この国が穏やかで寛容な時を過ごしますようにと祈りつつ……。
HONZはノンフィクションの新刊しか扱わないサイトだ。警察小説は完全に掟破りである。あはははは。じつは11月にKindle Paperwhiteの日本語版を買って、最初にダウンロードした本なのだ。
650ページという分厚い単行本だから、持ち歩くにも電車の中で立ち読みするにも不自由だ。文庫化を待ってもよいが、新刊で読むという楽しみがなくなるし、そもそもルーペが必要になる。Kindle Paperwhiteはその2つの悩みを一気に解決してしまったのである。中高年にこそ需要があるかもしれない。
KindleリーダーはiPhoneにもiPadにもインストールしているが、本を読むだけであればPaperwhiteに使われているEinkディスプレーにかなわない。とりわけ日光下での読みやすさは抜群だ。電源スイッチになっているケースは必須。ボクは柿色を選んだ。とても気に入っている。
どの機器で読んでも、読みかけのページ番号がAmazonのサーバーに自動的に記録されるので、たとえKindleを自宅に忘れても、続きはiPhoneで読むことができる。これがまたとても便利だ。まちがいなく書籍の電子化は進むであろう。とりわけ小説は電子化に向いたコンテンツである。しかし、図版やデザインに凝った書籍などはなくなることはないだろう。ノンフィクションの多くはそれゆえに紙で残るに違いない。
ちなみにいまKindleで読むのなら『64(ロクヨン)』よりも『虐殺器官』のほうが遥かにおススメである。現代と近未来を電子ブックを読みながら目の前で融合することができるからだ。しかしそれでは、新刊でもノンフィクションでもなくなってしまう。HONZとしてはせめて新刊という矜持を残したかったので『64(ロクヨン)』とする。いやはや興奮しすぎてしまった。ともあれ、来年もHONZをよろしくおたのみ申します。