おすすめ本レビュー

『インフォメーション: 情報技術の人類史』 すべては情報から生まれる

村上 浩2013年2月2日
インフォメーション: 情報技術の人類史

作者:ジェイムズ グリック
出版社:新潮社
発売日:2013-01-25
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1845年元日の早朝、ロンドンに向かう列車の中に息を押し殺す男がいた。その男の名は、ジョン・タウェル。列車に飛び乗る直前、彼は愛人のセアラ・ハートを毒殺していた。今ごろ警察が殺人に気がついたとしても、大都会ロンドンの雑踏に身を潜めれば逃げ切れる、この殺人犯はそう考えていた。しかし、彼はあっけないほど簡単に捕まってしまう。ロンドンの警官たちが、駅でタウェルの到着を待ち構えていたからだ。

 

19世紀中ごろ、列車は人にとっても情報にとっても最速の移動手段であった。ではなぜ、ロンドンの警官はタウェルが殺人犯であることを彼の到着より早く知っていたのか。それは、この事件の前年に設置された電信線によって、殺害現場からロンドン警察へ犯人の特徴を伝える連絡が入っていたためだ。後から追いかけてきた情報が列車のタウェルを追い越し、彼は世界で初めて電信によって処刑された男となったのである。

 

情報の伝達速度がヒト(もしくは馬などの動物)の移動速度に制限されていた時代に、この事件は電信の威力を多くの人に知らしめるものとなった。電信以前にも、かがり火や手旗信号、腕木通信などの手段はあったが、この技術は新たな時代の幕開けを感じさせた。果たして、電信技術は世界中へ広まっていき、タウェルだけでなく、多くの人々の人生を変えた。その後も情報技術は加速度的に発展を続け、もはやインターネットやテレビを通しての大量の情報に触れない生活は想像すら難しい。人類は、目に見えず、手に触れることもできない情報とどのように関わってきたのか、本書は500頁を超えるボリュームでその歴史を描き出す。

 

多くの賞を受賞し、英エコノミスト誌のBook of the Yearにも選ばれた本書の範囲は、副題の「情報技術の人類史」だけには収まりきらない。技術の背景にある理論やそれを生み出した科学者たちの人生にも多くの頁が割かれており、アラン・チューリング、ジョン・フォン・ノイマンら科学史に輝くスーパースターが次々と登場する科学史としても楽しめる。

 

著者が紡ぎだす物語に身を任せれば、「ミーム」「マクスウェルの悪魔」などの概念がどのような議論から生み出されたのか、どのように世界を変えたのかがよくわかる。新たな理論に基づく新たな技術が訪れるたび、古い技術に慣れきった人々が拒絶反応を示す、という構造はいつの時代も変わらない。現在のマスメディアがインターネットを警戒するように、ソクラテスは文字を批判し、新聞は電信を恐れていた。

 

並み居る知の巨人たちを抑えて本書の主役に据えられたのは、クロード・シャノンである。著者は、シャノンが情報に与えた影響は、ニュートンが物理学に与えた影響に匹敵すると言う。

 

 

物理学の新たな研究分野が拓かれたのは、アイザック・ニュートンが、手あかのついた曖昧な単語に ―”力””質量””運動”、そして”時間”にまで― 新たな意味を与えたおかげだった

(略)”情報”にも同じことが言える。意味の純度を高める必要があった。(略)シャノンの情報理論によって、情報と不確実性のあいだに橋が架けられた。情報とエントロピーのあいだ、情報とカオスのあいだにも……

 

 

 

シャノンは、曖昧な情報が確率的に定義できることを示し、それを量る単位をビットで定義した。これ以外にも彼は、情報を飼い馴らすための多くの武器を人類に与えた。「彼の情報理論がなければ」と考えれば、シャノンが本書の中心に座している理由は明確だ。情報理論のない世界には、コンパクトディスク、コンピュータやサイバースペースも存在しなかったはずなのである。

 

情報が洪水のように襲い掛かる現代を生きる我々は、情報とどのように付き合えばよいのか。「情報は、存在物の根幹をなすものだ」「宇宙全体を1つのコンピュータ、情報処理装置と見なすこともできる」と言われても、その意味を直感的に理解することは難しい。

 

このとらえどころのない”情報”を解きほぐすために著者は、文字すらなかったアフリカでの長距離通信手段を解説するところから本書をスタートさせる。そこでは、電信技術が発明されるずっと前から、複雑な情報が数マイル先まで音の速さで届けられていた。18世紀に彼らが使っていた手段に遭遇したヨーロッパ人は驚き、通信に使われる道具をトーキング・ドラムと名づけた。トーキング・ドラムは文字通り、詩を読むように感情まで伝えることができたのだ。

 

 

 

われらに力みなぎり、ひとりの女が森より出でて、広々とした村にいる。さしあたり、これ以上望むものなし

 

 

これは、ある村で女の子が誕生したときに発信されたメッセージである。この情報は、1時間以内に数百マイル先にまで届けられたという。電信以前の西洋には、これほどの情報を短時間で遠方に届ける方法など存在しなかった。本書の第一章では、なぜトーキング・ドラムはこんなに複雑な情報を届けることができたのか、そもそもなぜ彼らはこんなに情緒的なメッセージを送ろうとしたのかが明らかにされる。

 

言葉、文字、階差機関など、原始の時代から蓄積されてきた情報技術はシャノンの手によって精緻な理論へと昇華され、科学の対象となった。そして、あらゆる科学分野で情報の重要性が見直された。シャノン以前の生化学者は、「細胞機能において、物質とエネルギーがどのように移動しているか」ばかりに注目して、「生物間でどのように情報が伝達されるか」には注意を払っていなかったという。もちろん情報の全てが解き明かされたわけではなく、シャノン後も人類と情報の格闘は続いている。ウィキペディアは21世紀のバベルの塔になるのか、グーグルは本当に世の中全てを検索できるようにしてしまうのか、情報化時代を生きる我々は過剰な情報によって退化してしまうのか。情報の乗り物としての人類が、情報について考えずにいられないのは、必然なのかもしれない。

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英国メディア史 (中公選書)

作者:小林 恭子
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