おすすめ本レビュー

『デカルトの骨』

高村 和久2011年2月2日

デカルトの骨 死後の伝記
『デカルトの骨 死後の伝記』

ラッセル・ショート(著) 松田和也(訳)

青土社 (2010/10/23)

デカルトが生まれたのは1596年、関ヶ原の戦いの4年前、江姫23歳の時だ。 ヨーロッパは宗教改革、日本ではルイス・フロイスが布教している。自分の理性を重んじよう、と言ったのはそのような時期であった。本人は敬虔なカトリックであったが、世間では異端扱いである。本は禁書目録入りした。

なにしろ、世の中では本気で魔女や悪魔の存在を信じていた。教会のミサにおけるパンと葡萄酒には「真に、現実に、実態的に」キリストが含まれることになっていた。疑ってみてもいいですか?と言いたくなる気持ちもわかる。サンタクロースみたいなもんだ。その後、名誉棄損で訴えられたり、性的変態と中傷されたり、正式にデカルト哲学を禁じる市が出たりしたが、観察に基づく知識への支持は止まらない。むしろ、デカルトが死んだ時には知識人に大いに驚かれた。その知性で人間の寿命を劇的に延ばすのではないかと思われていたのである。「五百年は生きるだろうと信じていたのに」。その彼が最後に渋々行った治療が瀉血であったのは皮肉であった。当時は血液には二種類あり、心臓と肝臓で造られていると考えられていた。なので、不浄な血液を出すと健康になるのだ。心臓が循環器であるという大胆な提案がされたのは1628年、デカルトが生きた時期にはまだ新しい考えだった。

その後、彼の骨は数奇な運命をたどる。本書は、その骨をめぐる報告書である。スウェーデンにおける気まずい埋葬から、聖遺物としてのフランスへの帰還(これも皮肉である)、フランス革命では理性のシンボルとして移送された。そして、いつのまにやら頭部が無くなっていることが判る。失われた頭部らしきものは、借金のカタにビール屋に行ったり、競売にかけられたりしつつ、最後は優秀な化学者に偶然発見された。数奇である。その後、頭蓋骨候補があと3つ出てくるのも数奇である。鑑定は「ブローカ野」を発見したブローカらによってなされた。

デカルトの二元論は今となっては古臭いようにも思われる。しかし、心はどこにあるのかという「心身問題」は未だ最前線の分野だ。物質と精神をつなぐものは「パッション(情念)」だという晩年の考え、なんともフランスっぽくて粋ではないか。改めて骨のDNA鑑定をしたい、という要望を「墓がセメントで封印されているから」と言って断ったパリ市と警視庁も、やっぱり粋なのであった。