おすすめ本レビュー

『日本兵を殺した父』血と泥と戦後

鰐部 祥平2013年7月18日
日本兵を殺した父: ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦と元兵士たち

作者:デール マハリッジ
出版社:原書房
発売日:2013-06-24
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スティーブ・マハリッジは良き父親であろうと努力を重ねていた。しかし彼の心の中には常に二人の男が存在した。良き父になろうとする平凡ではあるが愛情深い男と、心の奥に潜む野獣のように凶暴な男。父が見せる怒りの発作に著者の家族はたびたび苦しめられた。家庭の中には常に張りつめた空気が存在した。戦争に行く前の彼はこうではなかったとスティーブの姉は語る。戦争が彼を変えてしまったのだと。著者は父が戦場で何を目撃し経験したのかを探る旅に出る。

 

アメリカでは第二次世界大戦を「良い戦争」と表現することがある。しかし、本書で戦場経験を語る海兵隊第六師団L中隊(ラブ中隊)の旧兵士たちの話はそのような幻想を吹き飛ばす。

 

太平洋戦争を通して、日本軍の捕虜は驚くほど少ない。日本兵は戦陣訓の教えを叩き込まれ、玉砕か自決を選んだように言われているが、どうもそれだけではないようだ。多くの元兵士の証言を読んでいくと、アメリカ軍が捕虜を管理するシステムをしっかりと構築していなかったのではないか、という疑問がわく。実際に前線の兵士たちには捕虜をとらないようにと、それとなくほのめかされていたという。

 

沖縄戦でラブ中隊の中隊長を務めたハイグラーは部下に二人の捕虜の後送を命じたが、兵士は彼らを銃殺した。彼はその兵士をとがめる事をしなかった。気分の悪い出来事だが私に何ができる。そう呟きながら、彼は後味の悪さを抱えながら戦後を生きることになる。パルマザールという兵士も捕虜を殺している。アメリカの大学を卒業し、アメリカ人より英語が堪能な日本人将校の喉を銃剣で突き刺して殺した。また上官の命令により「石打の刑」でなぶり殺された日本兵もいる。捕虜を捕えて上官のもとに行くと、そのジャップの面倒をお前たちが見ればいい。と突き返されることもある。兵士たちにできることは捕虜を撃ち殺すことだけだ。自由のための戦いである太平洋戦争は、良い戦争という美辞麗句の裏には、日米双方の差別や偏見に根差した殲滅戦の姿が見え隠れする。

 

沖縄戦で兵士たちには動くものはみんな撃て、との命令が出されていた。このため民間人を殺した兵士もたくさんいた。ランチョッティーという兵士は壕の掃討戦の経験を語る。壕の掃討にはまず、白燐手榴弾を投げ込む。体に白燐がついて燃え出すとワセリンを使わないと消えないという。

 

 

 

“燐の炎は衣服を燃やし、肉を焼いて骨に達した。その苦しみようはすさまじく、とくに子どもは見ていられない。二人の海兵隊員が大声で笑っていた。極限の恐怖に耐えきれず、残忍さをむきだしにしている。母親が赤ん坊を抱きかかえ、服についた燐をとろうと必死なっていた。兵士たちは感覚が完全に麻痺し、人間性を置きざりにしていた。こいつらが同胞なのか?自分だって大差ないのではないか?”

 

 

 

ランチョッティーの調べでは第二次世界大戦で戦争神経症の治療を受けた兵士は140万人。地上部隊の37%が精神医学的理由で除隊になったという。著者の父や本書に出てくる兵士たちもPTSDや激しい砲撃による外傷性脳損傷や脳震盪の影響を受けている。

 

そして何より、銃後の家族との間に決して埋めることのできない大きな溝ができてしまった。彼らは家族に戦争の経験を語ろうとはしない。自らの胸にしまいこみ、その恐怖と怒り、そして自らの内に存在する残忍さを見つめながら、戦後を生き続けたのだ。その苦しみや孤独はどれほどものであったろうか。

 

ちなみに4月1日に沖縄に上陸したラブ中隊の人数は240名。六月末までに、ほぼ全兵士が入れ替わっている。戦死傷率100%以上。沖縄戦の凄まじさがうかがわれる。特に沖縄戦で最大の激戦、シュガーローフの戦いの記述は凄惨だ。取材に応じたラブ中隊の兵士たちも、この戦いの前後に次々に負傷し戦線を離脱している。

 

本書にはレビューで書くのに躊躇してしまう残酷な話も収録されている。ページのそこかしこに血と泥濘と死臭が支配する世界が現れる。そして彼らの戦後に訪れた孤独が灰色のベールのように作品全体を包んでいる。

 

アメリカでは高い評価のあるニミッツ提督だが、本書ではある疑問が呈されている。いちいち日本軍が陣取る島々をしらみつぶしにする必要があったのかという点だ。同じように沖縄戦の司令官だったバックナー中将の戦略などにも疑問を投げかけている。ただ戦略論や戦史が目的の本ではないので理論的な話に展開しているわけではない。

 

この点は著者の主張が妥当かどうか私の知識では判断しかねる。だが、そのような疑問がラブ中隊の兵士たちの間にも存在することはとても興味深い。関心ある方はクラウゼヴィッツの『戦争論』やリデル=ハートの『戦略論』などを片手に『戦史叢書』などで調べてみるのも面白いかもしれない。ただし、娑婆に戻れなくなる危険性をお忘れなく。

 

私は決して空想的な平和主義者ではない。いつの日か日本は憲法第9条を改正することになると思う。それは日本が独立国ならば当然のことだとも思う。長い歴史を考えれば、日本が再び戦争を経験することもあるだろう。

 

しかし、戦争という選択をする前に為政者たちには真剣に考えて欲しいと思う。戦争とは、多くの若者の命を消耗品として使う行為だということを。たとえ生き延びたとしても、彼ら若い兵士たちが出征前に持っていた、屈託のない弾力に富んだ精神は失われてしまっているということを。その影響は家庭を通じて次世代を担う子供たちにも及ぶことを。人は国家を背負ったとき、人を殺すことに正義を見出す。そして戦いの中で、死と恐怖に支配されながら、どこまでも残忍になるということを。為政者はそのことから絶対に目を背けてはならない。また絶対に軽視してはならない。絶対に…

 

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成毛眞による『”太平洋の試練』のレビューはこちら

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