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『医師は最善を尽くしているか』何が改善に繋がるのか

久保 洋介2013年9月5日
医師は最善を尽くしているか―― 医療現場の常識を変えた11のエピソード

作者:アトゥール・ガワンデ
出版社:みすず書房
発売日:2013-07-20
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アフガニスタン・イラク戦争。治安は未だ改善せず相変わらず散々たる状況であるが、医療の面では歴史的とも言える偉業が成し遂げられている。戦闘で負傷した兵士の死亡率が、これまでの実例と比べて大幅に改善しているのだ。第二次世界大戦が30%、朝鮮戦争は25%、ベトナム戦争は24%、湾岸戦争は24%の兵士が死亡しているなか、今回はたったの10%である。

朝鮮戦争以降、半世紀もの間ほとんど進歩がなかったこの分野において、今回米軍医療部隊はどのようにしてこの快挙を成し遂げたのか。前回の湾岸戦争と比べ、医療機器や医療技術の革新はほぼないし、今回の戦争では医療スタッフの確保に苦労していたくらいなので、新しいテクノロジーや軍医の才能が大幅な改善を生み出したとは言えない。では一体、何が偉業達成の鍵だったのか。

この快挙の秘密に迫るのは、現役の外科医、ハーバード医科大学教授、クリントン元米国大統領の上級アドバイザー、「ニューヨーカー」紙のライターと数々の肩書きを持つアトゥール・ガワンデ氏。2010年にTIME誌が選ぶ「世界でもっとも影響力のある100人」の一人でもある。オバマ現大統領を唸らせるような記事を今でも「ニューヨーカー」で書き続けている彼の洞察力は凄いが、それと同時に脱帽するのは、訳者があとがきで指摘する通り、読者を惹きつける文章のリズム感や臨場感である。一度読み始めると先が気になってページをめくる手が止まらなくなってしまう。

話が少しずれたので、米国医療チームの偉業に戻そう。医療チームが戦場で負傷した兵士の90%を救命するという驚くべき数字を残せた理由は、負傷兵士に対するシステマティックな対応だったそうである。今回の戦争では、兵士は負傷するとレベルに応じて四段階の効率的な治療を受けている。まずは衛生兵が応急手当。次に野戦病院での手当。その後、第三段階としてインフラの整った戦闘サポート病院へ搬送され、本格的な手術が行われる。3日以上入院が必要な重傷患者は、第四段階として、空軍の輸送機でドイツのラントシュトゥールにある病院へ輸送され治療されるのである。受傷からラントシュトゥールへの搬送にかかる時間はわずか36時間である。

本システムの特徴は、最前線の病院で患者を引き受け過ぎないで、余裕のある後方病院へできるだけ早く効率的に輸送することである。陳腐で当たり前のシステムに聞こえるが、これまでの戦争では、各レベルでの外科医が自分の手で自分の患者を再建させようとしがちであり、患者を手放したがらなかった。事実、アフガニスタン戦争の当初はラントシュトゥールへの搬送に平均192時間もかかっており、この時間を1/5以下に短縮させた効率的なシステムこそが、目を見張る成果に繋がったのである。

著者はこれを「パフォーマンスの科学」という。医療の進歩は新薬や新技術、医療機器の開発や普及に依っていると私たちは考えがちであるが、実は、今ある臨床のパフォーマンスを改善させた方がより多くの命を救うことにつながる。アフガニスタン・イラク戦争では、医療チームは新技術の発見を待つことはせず、戦傷者治療の方法論を改善させていったのである。本書では、科学技術の進歩を待つだけでなく、与えられた現場で最善を尽くすことで医療を変革しているエピソードを上述の例の他に10紹介している。

各エピソードを読むにつれ、本書で紹介されているのは、医療・医学の分野だけでなく、あらゆる業界に通用する汎用性のある話ばかりであることに読者は気付くだろう。本書の第三部では、素晴らしい知識と技術を備えた医師であっても二流の結果しか出せていない事例を紹介しているが、あなたの周りでも見覚えのある事例なはずだ。医師に限らず、私たちも日々、組織・金銭コスト・システム・同僚・家族など、さまざまな要素が混在する中で最善の結果を残したいと考えている。本書にはそのためのヒントがいっぱい詰まっているのである。

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著者のTED talkでの講演はこちら

もう一人のハーバード大教授で「ニューヨーカー」紙ライターと言えば、ジェローム グループマン氏。『医者は現場でどう考えるか』のレビューはこちら、『決められない患者たち』のレビューはこちら、「ニューヨーカ」の記事はこちら

医者は現場でどう考えるか

作者:ジェローム グループマン
出版社:石風社
発売日:2011-10
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決められない患者たち

作者:Jerome Groopman MD
出版社:医学書院
発売日:2013-04-05
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