おすすめ本レビュー

『世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ』奇跡の教育モデル

久保 洋介2013年9月25日
世界でいちばん貧しくて美しいオーケストラ: エル・システマの奇跡

作者:トリシア タンストール
出版社:東洋経済新報社
発売日:2013-08-30
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

南米ベネズエラといえば、反米主義のウゴ・チャベス元大統領、石油、野球などが思いつく程度で、あまり日本人には馴染みのない国だろう。もしかするとミスユニバースを何人も輩出する美女大国として知っている人の方が多いかもしれない。

 

そんなベネズエラでは、ここ数年『エル・システマ』という音楽育成プログラム発祥地として世界中の注目を浴びている。注目を浴びるきっかけとなったのは、「100年に1人の天才」「クラシック界のスーパースター」などと形容されるベネズエラ出身の指揮者、グスターボ・ドゥダメルの活躍である。20代前半にして、世界屈指のオーケストラから客演指揮者として招待され、26歳からスウェーデン国立管弦楽団エーテボリ響の主席指揮者、28歳からはロサンゼルス・フィルの音楽監督に就任し、現在まだたったの32歳である。エル・システマが生んだ天才として知られている人物だ。

 

エル・システマは、1975年に始まった教育プログラムで、子供たちに無料で楽器を貸し、本格的なオーケストラでの演奏活動を通じて他人との協調性や社会の規律を学ばせる手法だ。対象となる子供たちの70〜90%は貧困層の出身であり、エル・システマを取り入れた地域では、麻薬や犯罪に手を染める子供が激減。その効果は大きな話題を呼び、現在では日本を含め30以上の国と地域で導入されている。本書は、このベネズエラの奇跡と言われるエル・システマを紹介している。

 

1960年代のベネズエラでは、石油ブームの効果によって経済は潤い、文化や芸術が盛んになり、各地でオーケストラなどが創設されつつあった。ただ文化芸術はエリートや富裕層を対象としたもので、ベネズエラ人に対して音楽家への門戸は閉ざされたままだった。そんな自国の状況を憂いた音楽家で経済学者でもあるホセ・アントニオ・アブレウ博士は、若者を集め、ベネズエラ人で構成されるユース・オーケストラを創設する。練習場所として選んだのは、使われていないガレージ、これがエル・システマ誕生秘話である。偶然にも、スティーブ・ジョブスが家のガレージでAppleを作るのとほぼ同時期だ。

 

1976年、アブレウは、この新しく創設されたユース・オーケストラを結成から1年も経たない中で国際音楽祭へと参加させ、誰も想像しなかった快挙を成し遂げた。欧米・日本などの実力が確立されているオーケストラをさしおき、コンサートマスター含めほとんどのポジションでベネズエラ人が最優秀奏者として選出されたのだ。この快挙は世界中の注目と尊敬を集め、当時ベネズエラ大統領はアブレウの活動に予算を分配することを決定する。アブレフはその国家予算を使い、1980年代前半までに50を超える音楽教室を全国各地に誕生させ、音楽家への道が閉ざされていたベネズエラの若者に無料でオーケストラを体験させる活動をしていくのである。まさしくその恩恵を受けたのが、前述の1981年生まれの天才指揮者グスターボ・ドゥダメルである。

 

エル・システマの成功例であるドゥダメルはを現在ロサンゼルスで子供たちを指導している。他にもニューヨークやリオなど各地でエル・システマの教育法が広まりつつあり、日本では震災の被害を受けた相馬市でオーケストラの設立を目指している。アブレウのようなカリスマ抜きで同じ手法が根付くのか、世界中が見守っている状況だ。ちなみにエル・システマでは日本発の音楽教育法スズキ・メソードが取り入れられているという。もしかすると日本こそが次なる歴史の主役になれる土壌ある国なのかもしれない。

 

ーーーー

ドゥダメルが指揮するシモン・ボリバル響の映像。卓越した演奏技術に加え、ラテンのリズムに乗って楽団員たちが踊るアンコールは、クラシック界の常識を覆したと言われている。しかも楽団員たちは皆30歳以下だ。

 

旬なオーケストラといえば、サンフランシスコ交響楽団を外すことはできない。『オーケストラは未来をつくる』の書評はこちら