おすすめ本レビュー

『おっぱいの科学』にクラクラっ…

仲野 徹2013年10月4日
おっぱいの科学

作者:フローレンス ウィリアムズ
出版社:東洋書林
発売日:2013-08
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HONZメルマガが熱い。編集長が月替わりから栗下直也専任になって、面白さが激増である。その栗下に『「今月読む本」に『おっぱいの科学』、直近のレビューが『生理用品の社会史』です。「どこに行くんだ!大先生」って感じです。』と誉められた。けど、どっこも行きません。毎日、ちゃんと大学に来て仕事してますから。

 

『いずれの本も密かに私が狙っていたからです。ディスプレイ越しに絶叫し、リアルに地団太を踏みました。』というほど栗下的に面白いのが『おっぱいの科学』である。原題は『BREASTS』、ずばり、『乳房』である。いやぁ、栗下や私を強烈にひきつけた『おっぱいの科学』とうタイトルはすばらしすぎる。

 

かくいう私、ものごころがつく前、おっぱいが大好きで、親戚のおねえちゃんに『おっぱい魔』と呼ばれていたらしい。記憶にないころの話なのであるが、さすがに、そんなに小さな頃から好きなだけあって、いまはもう興味がなくなった。中島敦の『名人伝』でいうと、おっぱいなどというのは何のことかわからないくらいの名人級なのだ。ということにしておきたい。おっぱいの名人ってなんのこっちゃねん?という質問は却下。

 

わ、思ってたとおり、やらしいおっさんやわ、と思うなかれ。女性の写真を見せた時、どこに視線が行くか、という研究がいきなり紹介されている。ほとんどの男性は、胸を特に注視するという。もちろん最初に視線が行くのも胸。それも、写真を見て平均0.2秒で胸にズームイン。あぁ、自分だけではなかったと、栗下や私といっしょに胸をなで下ろす男の人も多いはずだ。

 

それどころではない。脳の機能検査では、胸の写真を見せると、『胸に注意を向けるあまり通常の心的な認知プロセスがおろそか』になってしまうことが示されている。映画やマンガでよくあるように、胸をみてくらくらっとなる、というのは、決して比喩や誇張ではないのだ。久米の仙人は洗濯する若い女性の白い脛(はぎ)にくらっときて神通力を失って墜落したとされているが、きっと特殊な脛フェチだったのだろう。男なら胸に幻惑されんければならんのである。

 

では、おっぱいは大きいほど好まれるかというと、けっしてそうではない。これも、学術的な研究により、大きいのを好む人と中ぐらいのを好む人は相半ばし、なかには小さいのを好む人がいることがわかっている。文化的な違いもあって、中央アフリカでは長く垂れ下がった乳房が好まれることなどもわかっている。はやい話が、男は、なんせ乳房を見るという行為が好きなのだ。

 

哺乳類と名付けたのは、分類学の開祖、あのリンネの卓見であった。その名が示すように、授乳によって子供を育てる動物を指すのであるが、脂肪にあふれた豊満な乳房を持つ動物は他になく、ヒトでだけ、特殊な進化を遂げたのだ。残念ながら、どうしてそのような進化をとげたのかには定説はない。しかし、いずれにせよ、おっぱいを好きという男性の嗜好と共進化してきたことは間違いない。男を繰るとは、あなどれんぞ、おっぱい。

 

乳房の第一義的な存在意義はもちろん授乳にある。しかし、現在では、その期間はあまり長くない。それ以外の期間の有効利用という訳ではないが、あさましい男を欺くかのように、豊胸術というものが開発されてきた。その歴史は、十九世紀にまでさかのぼることができ、ガラス玉、木くず、ピーナッツオイル、雄牛の軟骨、パラフィンなどが思いつくままに豊胸材として用いられてきた。おそろしいことだ。

 

そして登場したのがシリコンだ。シリコンという素材が大々的に使用されるようになったのは、第二次世界大戦中、飛行機エンジンの断熱材や機械の潤滑剤に適していることがわかってからである。戦後、シリコンによって巨大企業になったダウ・コーニング社は、さまざまな用途を模索し続ける。しかし、最初からその中に豊胸が入っていたわけではなかった。

 

世界ではじめてシリコンが豊胸に使われたのは、なんと、日本においてであった。横浜港の埠頭から盗まれたドラム缶数本分のシリコンが、駐留軍の兵士をひきつけるため、日本人娼婦の胸に注入された。ひどい話である。しかし、それが世界中に広まっていった。ただ、しこりを作ったり感染症を引き起こすことから、直接注入は次第におこなわれなくなっていく。

 

いまも使われるシリコンバッグを豊胸に思いついたのは、一人の形成外科医、ヒューストンのトマス・クローニンであった。シリコンバッグ、見たことのある方がほとんどであろう。いや見たことないなぁ、という人も、輸血バッグがそうです、と言われたら、あぁ、あるある、となるはずだ。1959年、そのころ使い始められたばかりの、生温かい血液のはいったシリコンバッグを手にして、『ああ、これは手ざわりがいい。まるで乳房みたいだ。』と、クローニンが思った時、歴史は動いた。しかし、このおっちゃん、仕事中に何を考えとったんや…

 

動物実験を経て、1962年に手術をうけた最初の女性にはじまり、おびただしい数のシリコンバッグ豊胸術がおこなわれた。安全性に問題があることから一時使用停止になっていたが、2006年に新世代の製品が使われるようになってから、件数はうなぎのぼり。全世界で年間8億ドルを超える市場規模となり、500~1000万人もの女性の胸にシリコンバッグがはいっている。

 

いかん…。そんなつもりはなかったのに、おっぱいの外形的問題だけで字数がほとんど尽きてしまった…。栗下の呪いかもしれん…。しかし、もちろん、これは、この真面目なおっぱい学の本のごく一部でしかない。乳腺の発生、授乳のメカニズム、母乳にふくまれている常在細菌の重要性、いわゆる環境ホルモンの影響、そして、乳がんの発症と治療、というような医学的に重要な内容が正確に語られている。おとこも好きなるおっぱいではあるが、女性にこそこの本は読んでもらいたい。

 

≪補遺≫

栗下直也は、この本のレビューをとられたのがよほど悔しいらしく、10月2日付けのメルマガでも再度言及し、『本の中身より仲野が「おっぱい」の四文字をレビュー中に何回書くかに個人的には注目です。』と楽しみにしてくれている。数えてみたら15回も。喜ばせるに十分たる回数であろう。