青木薫のサイエンス通信

ミート・パラドックス――肉食の心理学

青木 薫2013年12月2日
The New Yorker [US] November 4 2013 (単号)

作者:
出版社:Conde Nast Publications
発売日:2013-11-08

信頼できる筋によれば、現在HONZ内部で、なんと、昆虫食プロジェクトが進行中とのことです! このところ何かと話題の昆虫食に、新機軸を打ち出そうという意欲的なプロジェクトだとか。

昆虫食は、深い問題にわたしたちをいざないます。わたしたちは何を食べ、何を食べないのか--。

食をめぐる状況には、実にたくさんの要素が複雑に絡み合っていて、考えれば考えるほど、問題は果てしなく広がっていくような気がします。が、今回の「サイエンス通信」では、『ニューヨーカー』誌の11月4日号(食物特集号)に掲載されたダナ・グッドイヤーさんの BEASTLY APPETITES(獣欲:抑え切れない欲望) The animals we love too much to eat (可愛すぎて食べられない動物たち)という記事から、行動心理学の分野で最近生まれた「ミート・パラドックス(肉の逆理)」という言葉にフォーカスして、動物を食べるということについて少し考えてみたいと思います。この記事のタイトルと副題からして、食べたいのか食べたくないのか、すでに矛盾に満ちていますね(^^ゞ

「ミート・パラドックス」とは、「わたしたち人間は動物を愛する一方で、動物を食べたいと思う」という矛盾のことです。従来、このパラドックスを解消するためにわれわれ人間が取る行動は、主に二種類だと考えられていたそうです。 

ひとつは、肉食をやめてベジタリアンになるというもの。大変わかりやすい行動とも言えますが、しかしこれはマジョリティのものにはなっていません。もうひとつは、少なくとも食卓についているあいだは、目の前の皿に乗っている肉と、生きた動物とを結びつけないようにするというものです。つまり、beefがcowの肉だとは考えない、porkがpigの肉だとは考えない、chickenだってchickenだとは考えない……という次第です。この、「考えないようにする」という行動を多くの人が取っている、と従来は考えられていたとのこと。 

ところが近年、行動心理学の研究から、それとは別の行動パターンが大きく浮かび上がってきたらしいのです。それは、自分が食べたい動物は、わたしたちが愛する動物よりも「知的に劣っている」のであると、かなりご都合主義的に線引きしちゃうというものです。

「知的に劣っている」から、「痛みや苦しみを感じる能力も劣っている」。したがって「殺して食べても、われわれは良心の呵責をそれほど感じる必要はない」という理屈です。

(実は「動物が知的に劣っている」という判断基準は、そのまま人間にも地続きの重い問題をはらんでいます。なにしろわれわれ人間には、「知的に劣っている」というよくわからない理由により、特定の人種を使役したり、殺してもよいとみなしてきた歴史を持っているのですから。)

逆に、「知的に優れている」動物は、殺して食べたりしたらいかん、ということになります。

アメリカで「知的に優れているから食べたらいかん!」とされる動物集団の典型に、海洋哺乳類があります。そう、あの、クジラやイルカです。(クジラ問題には深入りしませんので、どちらさまも肩の力を抜いて、これから先もリラックスして読んで下さいね~(^^ゞ) 

アメリカでは、クジラは長いあいだ「海に浮かぶオイルタンク」として捕獲されまくっていました。捕鯨の機械化が進むと、いくつかのクジラ種は絶滅の危機に瀕する事態にもなりました。その一方で、クジラ肉については、不味くて食べられないという見方が根強かったようです。二十世紀になって、二つの大戦期の食料不足の時期には、アメリカ政府はクジラの肉を食用として普及させようとしたようですが、アメリカ国民のあいだに定着はしませんでした。そして第二次世界大戦後になって、クジラ像は「海に浮かぶオイルタンク」から、「ノーブルでインテリジェントな生き物」へと大きく変貌します。象徴的だったのが1970年に刊行されたロジャー・ペインの『ザトウクジラの歌Songs of Humpback Whale』(邦題『クジラたちの歌』)でした。 

そして1972年、海洋哺乳類保護法が成立します。

最近、この法律がどういったものかを広く知らしめる事件が起こりました。さかのぼって2009年のこと、カリフォルニア州サンタモニカ(環境保護運動が盛んな土地柄です)で営業していた高級寿司店「ハンプHump」が、クジラ肉と馬肉(こちらもカリフォルニアではすでに10年以上、客に出すことは違法となっていました)の刺身の盛り合わせをお客さんに出したのです。

ことの起こりは、環境保護団体がキャッチした噂でした。それによれば、どうも「ハンプ」では、それとわかる方法でうまく注文すれば、メニューにはないクジラ肉が出されるらしいというのです。そこでこの団体は、二人の若い女性を客として潜入させます。彼女たちは首尾よくクジラ肉の刺身の注文に成功し、こっそりとジップロックに入れて持ち帰りました。その肉をDNA検査に回したところ、確かにクジラ肉であること、それも、70年代以来絶滅危惧種にリストされていたイワシクジラであることが判明したのです。 

(なお、このイワシクジラの入手経路は追跡することができて、日本の調査捕鯨で捕獲されたイワシクジラだったようです。日本の鯨市場は非常に小さく、調査捕鯨で獲ったクジラもたいていは、冷凍されてどんどんたまっているという状況のようです。)

かくして「ハンプ」の寿司職人と、経営している「タイフーン」という事業体が告訴されたのですが、まもなくその訴えは取り下げられます。そのときいったいどういう判断が働いたのかはわかりません。さらにわからないことに、今年、2013年になってから、突如として、寿司職人と「タイフーン」が、あらためて海洋哺乳類保護法違反として告訴されたのです。

海洋哺乳類保護法によれば、寿司職人のKiyoshiro Yamamoto さんは67年以下の懲役刑となるらしいです。タイプミスでもありませんよ、67です。同じく寿司職人のSusumu Uedaさんは懲役10年以下。そして「タイフーン」は120万ドル(1億2000万円ぐらい)以下の罰金ということです。懲役67年って……。 

ここでのポイントは、イワシクジラでなくても罪の重さは同じだということです。絶滅の心配のない種類であっても、この法律は同じように適用ます。つまり問題は、環境保護や持続可能性ではなく、人としてやってはいけないことをした、ということなんですね。ある人物は「ハンプ」事件についてこう語ったそうです。「人肉を食べさせたというのを別にすれば、クジラ肉を客に出すのは最低最悪の行為」である、と。 

しかし、何が「愛護すべき動物」で、何がそうでないのかを定める基準は、どうしても恣意的なものにならざるをえません。たとえば、日本でいう愛護動物は(動物愛護管理法によれば)、人に飼われている「哺乳類、鳥類、爬虫類に属する動物」および、飼い主の有無に関わらないすべての「牛、馬、豚、綿羊、山羊、犬、猫、イエウサギ、鶏、イエバト、アヒル」のことだそうです。えいやっと、妥当そうなところで線引きをした、ということですよね。実際これ以上範囲を広げても、それはそれで社会生活に支障をきたすことになりましょう。(ちなみに日本の場合、これらの愛護動物をみだりに殺した場合、懲役2年以下、または200万以下の罰金となります。) 

ともあれ、アメリカではこのように、海洋哺乳類には特別に法律が設けられ、保護されるべき地位を与えられているわけです。実はアメリカには、陸上でもそれに類する、ちょっと特別なステータスの動物がいます――――それは馬です。先ほど、レストランで馬肉を出すのはカリフォルニアでは違法だと書きましたが、アメリカではまず馬肉は食べません。

馬肉を食べることについては、ヨーロッパには長くて複雑な歴史があります。今日でも、イギリスやアイルランドなど、馬肉を食べることをタブー視する地域もあります。フランスなど食べる地域でも、その消費量はさほど大きなものではありません。

わたしは少し乗馬をやるので、馬肉を食べないというのは、何となくわかる気がするんですよね。馬は古代ギリシャのクセノポンの時代から、いやもっと昔から、人間の友だったのだと思います。スカンジナビアにはオーディン信仰と結びついた馬肉食の習慣があったらしいのですが、キリスト教が広がっていく過程でカトリック教会は異教の習慣をやめさせようと、馬を食べることを禁じました。そのためほとんどの土地で、フォーマルには馬を食べることはなくなりました。ただアイスランドだけは、馬肉を食べ続けるという条件のもとで、キリスト教を受け入れるという交渉をし、馬を食べるという習慣を維持したのだそうです。 

こうして「馬肉食=禁忌」の地域は広がったわけですが、いつの時代も、基本的には食べ物が足りなかったのですよね。庶民はたいていひもじく、栄養状態も良くなかったことでしょう。そのため、馬肉をただ捨ててしまうことに疑問を感じ、馬肉食を推奨しようとしてきた人たちもいたようです。 

しかし結局アメリカでは、(たくさんのエスニックグループがありますから食べる人もいるんですけれど)基本的には、馬肉は食べないままです。 

じっさいカウボーイたちにとって、馬は同僚だったんだと思います。馬と一緒に、牛を飼うんだと思います。牛は食べるものであり、馬は仲間である。それに加え、20世紀の半ばになって「愛護動物は食べたらいかん」というムーブメントが盛り上がると、コンパニオンアニマルである馬を食べたらいかん!ということになるのは当然の成り行きだったことでしょう。

21世紀の初めの今現在、アメリカには諸々の事情から、馬の屠殺施設がまったくなくなっており、馬たちはカナダかメキシコにまで、過酷な長距離移送をされて屠殺されています。その過酷な状況に対しては、動物愛護団体からも批判が上がっているようです。(さらに言えば、メキシコでの屠殺のむごさも批判の的になっています。ウェブでその屠殺方法の映像も見ることができるのですが、グロいものも比較的見られるわたしも、始まってすぐに、バッとそのサイトを離れてしまいました……。そしてしばらく落ち込んでしまいました……。) 

さて、こうした歴史があるため、とくにアメリカ、イギリス、アイルランドあたりでは馬肉は食べないことになっているのですが、馬肉を他の肉として偽装する人たちは昔から後をたちませんでした。特に今年、2013年には、大規模な馬肉混入スキャンダルが持ち上がります。 

まず、アイルランドの大手スーパーチェーンでビーフパテに馬肉が使われていた(最高二十九%に及んだ)ことが判明します。また、イギリスで流通していた冷凍の高級ビーフ・ラザニア(フランス製)は、実はほとんど馬肉であることも明らかになりました。 

馬肉混入問題は、(はじめはアイルランドやイギリスで発覚したこともあり)もっぱら「食のタブー」の観点から問題視されたのですが、その後、食用に育てられわけではない馬肉の場合、さまざまな薬品が用いられているかもしれず(ステロイドや人体に有害な動物用医薬品が使われている可能性がある)「食の安全性」の観点からもヨーロッパ全域をゆるがす問題に発展しました。 

馬肉混入問題の話が長くなりましたが、要は、馬は人間と強い絆で結ばれた長い歴史を持ち、人間にとって愛すべき対象だということです。しかし牛にとってみれば、そんなことは知ったこっちゃないですよね。牛にしてみれば、あまりといえばあんまりな待遇の違いじゃありませんか。

ヒトの必須アミノ酸は、動物性タンパク質によらずとも摂取することは可能です。そして「ミート・パラドックス」は、倫理的に怪しげな判断にわたしたちを追い込みます。それでもなお--避けられる殺生をし、倫理的な暗がりをさまよってもなお--動物の肉を食べたいというのは、突き詰めて言えば、「おいしいから、食べたいから」という、抑え切れない欲望に帰着するのでしょう。(わたしは、だからベジタリアンになろう、などと主張するつもりはないので、どちら様も、リラックスして続きを読んでくださいね~~(^^ゞ) 

これに対しては、「食べる楽しみを追求して何が悪い」という立場もありましょう。さらに言えば、「自然は弱肉強食であり、人間は食物連鎖の頂点に立っている」のである。したがって「動物はわれわれ人間に奉仕するためにあるのだ」、という立場もありえます。しかし、たとえ自然状態が弱肉強食であったとしても、それでもなお、そうした自然状態に対して距離を置くことができるのも、とても人間的なことだといえるとも思うのです。

わたしたちは牛と馬の違いを、自分たち人間の観点からだけでなく、動物の観点から考えてみることも十分に可能であるはずです。そこから、「動物の権利」や「工場畜産が抱える問題」といった、今日的テーマにもつながっていきます。 

「え? 動物の権利? そんなことを考えるのは特殊な一握りの人達だけでしょ?」と思われる人もいるかもしれませんが、実はこれ、人間の権利とも地続きの深いテーマでもあるのですよね。なにしろさきほども述べたように、人間は「劣っているから」という理由で、特定の集団に属する人たちを、使役したり殺したりしてきた歴史を持っているわけで……。

「動物の権利」について、ちょっと考えてみようかな、という方は、コンパクトで基本を抑えたこちらをどうぞ。 

動物の権利 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

作者:デヴィッド・ドゥグラツィア
出版社:岩波書店
発売日:2003-09-06
  • Amazon
  • honto
  • e-hon
  • 紀伊國屋書店
  • 丸善&ジュンク堂

なおこの『動物の権利』には、第二次大戦後に広がり、多くの農家を離農に追い込んだ工場畜産についても、その問題性の概略を知ることができます。さきほどのメキシコにおける馬の屠殺映像同様、読むには勇気のいる部分もありますが……。

もうひとつ、食について考えるときにいやでも視野に入ってくるのが、今後の世界の食糧事情です。現代日本では、食べ物をめぐる問題といえば「ダイエット?」というぐらい食べ物は豊富なのでピンとこないかもしれませんが、今後、世界の人口七十億を支えるだけの食料をどうやって確保するかが、すでに大きな問題となっています。気候変動が食料生産に及ぼす影響も気がかりです……。 

もうね、何を食べるのか、何を食べないのかについても、タブーや従来の食習慣に凝り固まっていられないのかもしれません。食をめぐってはいろいろ複雑な経緯がありますけれど、科学的な観点からの可食性(食べても体に悪くないのか、栄養をあるのか)についても、少し冷静に考えてみる必要があるのかもしれませんねぇ。

たとえば、海に住む節足動物(エビやカニ)は大好きなのに、陸生の節足動物(多いですよ~~。ゴキちゃんだけではありません。なにしろ動物界最大の分類群ですから!)は絶対食べたくなーーい!なんていうのも、どうなんでしょうねぇ~?

その意味で、HONZで進行中の昆虫食プロジェクトは、きっと、わたしたちの凝り固まった心の壁に、さわやかな(?)風穴を開けてくれることでしょう! 昆虫食プロジェクトに、乞うご期待!!

宇宙が始まる前には何があったのか?

作者:ローレンス クラウス
出版社:文藝春秋
発売日:2013-11-29
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わたしの最新の訳書です。発売たちまち大増刷が決まりました! ありがとうございます。ローレンス・クラウスはイケメンではありませんが、でも、かっこいいんです! 多くの人に彼を知っていただきたいです。よろしくお願いいたします。