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『海賊旗を掲げて』海洋ノマドとしての海賊

鰐部 祥平2013年12月18日
海賊旗を掲げて: 黄金期海賊の歴史と遺産

作者:ガブリエル クーン
出版社:夜光社
発売日:2013-11-07
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黒地に髑髏とクロスボーンをあしらった海賊旗(ジョリー・ロジャー)を高らかに掲げ、木造帆船を駆使して大海原を闊歩する海賊。最近では漫画『ONE PIECE』や映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』が世界的なヒットを飛ばしている。体制に反抗しながら、お宝を追い求める男たちの物語に多くの人々が何かしかのロマンを感じているのだろう。その一方ソマリアなどで繰り返される海賊行為に世界経済は大きな打撃を受け、かつその残虐な手口に怒りを覚える人々も大勢いるのではないだろうか。

海賊は欧米などではアナーキストやラディカルな思想を持つ政治運動家や学者などの人々から支持を集める存在であるようだ。本書は海賊という現象の歴史と革命性をラディカルな思想的立場から見た内容である。ただし、行き過ぎた海賊讃歌にならないよう非常に公平に海賊を捉えようとしている。

私個人としては性格的な問題だろうか。どちらかというと保守に近い性質を持っていると思う。そういう意味で本書の著者の意見に全て賛成というわけではない。しかし、公平に海賊を捉えるよう努力しながらも、社会改革のエッセンスを搾り取ろうとする著者の姿勢には共感する面がある。

海賊の中にラディカルな思想性を探るという観点から、本書の中で扱われる海賊は1690年代後半から1670年代前半の欧米系の海賊に焦点を当てている。いわゆる「海賊黄金期」の海賊たちだ。彼らは陸に基本的な生活基盤を持たないという点で、現代ソマリアの海賊とも1690年代中盤に活躍した私掠船とも一線を画す。

海賊の起源というものがあるのであれば、それはバカニーアと呼ばれる人々だ。カリブ海の島々が植民地化されていく中で、強制労働、年季奉公などの労働力として送り込まれた白人の労働者たちだ。彼らは過酷な労働から逃亡し、イスパニョーラ島などを拠点に、狩猟を中心として自給生活を営んでいた。

鞣していない皮を着込み、常に屠殺した動物の血で汚れていたという。ヨーロッパ社会に居場所を見つけられず、過酷な迫害と肉体的苦痛を受け続けたはみ出し者たちが、新世界という文明の緑辺で次第に海の略奪者として台頭してくることは必然であろう。

こうしたバカニーアたちを激しく弾圧したのは、当時カリブ海を支配していたスペイン当局であり、スペインに対する憎しみから、彼らはイギリスやフランスなどの私掠船として活動するようになっていく。だが、ヨーロッパ諸国の合意で私掠船が禁止されていくと、彼らの中に純粋な海賊業を営む者たちが現れた。陸に一切の生活基盤を持たない、海洋ノマド、海賊達の誕生だ。

バカニーア文化を色濃く継いだ海賊社会は驚くほどに民主的な社会だ。物事の決定権が全ての構成員に与えられている。船長の選任と罷免も乗組員の一人一人に投票権があった。たとえば伝説的大海賊のバーソロミュー・ロバーツは自身の乗る商船が海賊に襲われた際に自ら海賊の仲間に加えて欲しいと名乗り出た。それからわずか2、3週間後にはその力量がみとめられ船長へと昇格している。その他にも司令官が数ヶ月で13人も入れ替わった海賊船もある。

船長の権力はその能力によってのみ支えられ、権力は共同体によって厳しく管理されていた。例えば操舵手は平船員たちの権利の代弁者として、彼らの中から選出される。立場としてはローマの護民官のような存在であり、たとえ船長と云えども彼の意見を無視することができなかったという。

分け前も非常に平等だ。一般の船員の取り分を1とした場合、船長が2、航海長が1・5、船医、航海士、砲手、甲板長が1・25ほどであったようだ。富の一部は共同の財産として厳しく管理された。これは当時の社会情勢を考えれば驚くべき公平な制度と言えよう。商船の水夫にとっては、奴隷のような環境から抜け出す一番の近道は海賊になることであった。平均年齢が27歳という、死が常に口をあけて待ち受けているような過酷な海賊生活ではあるが、それを望む水夫は後を絶たなかったようだ。

戦闘、略奪、航海と危険がつきものの海賊生活ではいつ四肢を失う障がいを負うかわからない。そんな時は共同の財産から補償金が支払われたようだ。右手を失ったものはピースオブエイト銀貨600枚、もしくは奴隷6人。左手は銀貨500ないし、奴隷5人。右足は銀貨400ないし奴隷64人、など他にも目や指一本にいたるまで細かく決められていたようだ。また障がいを負ったとしても本人が望む限り、仲間として留まる事が許された。

国民国家と産業化が急速に進みつつある当時の世界で国家と資本主義の搾取から逃れ、きわめて民主的で平等な社会を形成していった海賊にラディカルな思想を持つ人々が惹きつけられるのも理解できる。しかし、時にそれは実像よりも虚像の方が大きくなっていることに著者は苦言も呈している。彼らの活動はあくまでも仲間内の物であり、世界の人々にまでその社会構造を広げようという運動をしていない。この点を考えれば、彼らの社会には革命的萌芽を内包しつつも、決して政治運動でも階級闘争でもない。

強いて言えばエリック・ホブズボームが提唱した社会盗賊に該当するものが海賊であるのではないかと思考を進めていく。ただし社会盗賊との大きな違いは民衆に支持基盤を持たないことだ。また彼らの経済は全てにおいて略奪に頼っていた。彼らは、彼ら自身が憎み背を向けた社会システムに大きく依存している点でその経済システムに大きな矛盾と弱点を内包していた。

工業化が進むことにより我々の生と労働は分離された。そしてその過程でそのような社会に適応できなかった男たちが海賊として、大きく変化する社会にアンチテーゼを突きつけた。しかし、いくつかの構造的弱点と、肥大化していく帝国主義の物量の前についには敗れ去る。彼らの社会実験は失敗した。

しかし、著者はそれでも海賊の中には見るべき歴史的遺産が存在するのではないかと説く。ノマドライフ、オキュパイ運動、里山経済、行動経済。このような運動の中に、かつて国家に背を向けた海賊たちが夢見、ついに果たせなかった、ユートピアの残り火が燻り続けているのではないだろうか。


:ジョリー・ロジャー 出典 Wikipedia