大学を卒業してから2年ほど、まともに仕事もせずにぶらぶらしていたことがある。学生時代に探検部で活動していたせいで、卒業してからも探検家になるという夢を捨てきれなかった私は、過ぎ去っていく青春にしがみつくように貧相な暮らしを続けていた。半年間ほどのニューギニア島の旅から帰国した後、登山仲間から土方のアルバイト先を紹介してもらい、工事現場に何週間も寝泊まりして、昼間はスコップを振るい、夜は作業員の食事を作り、酒をかっくらって疲れ果てて眠る。そして時折、休みをもらって山を登りに行く。そういう生活だった。
物書きになりたいという欲求は、当時はさほど強くなかったと思う。でも文章を書くことは嫌いではなかったので、登山記録を何度か「岳人」という名前の山岳雑誌に投稿したことがある。「岳人」には「登山クロニクル」という登山記録を紹介する短信欄があり、ちょっと目立ったものであればそこに載せてくれたのだ。
その時に「登山クロニクル」欄を担当していたのが服部さんだった。私が書いたのは冬期の北アルプス黒部川横断山行や、単独で屋久島の宮之浦川を遡行して小楊枝川を下降した時の記録などで、いずれも別に初登というわけでもなく、若者がけっこう頑張ったという以外には特段見るべきもののないものだったが、服部さんはいずれも掲載してくれた。
クロニクル欄を通じて「岳人」とつながりができた私は、26歳の時に学生時代から絶対にいつかはやると決めていたチベットの峡谷地帯の単独探検を実行することを決意し、何の断りもなく計画書を服部さんに送りつけたことがある。その探検は概ね満足いく結果に終わり、報告文をどこかに発表したかった私は、帰国してすぐ直談判のため「岳人」編集部に足を運んだ。服部さんと会ったのはその時が初めてだったが、そのワイルドな相貌にいささか面食らったことを覚えている。目がギラギラしていて、都心にある内幸町のオフィス街にイノシシが一頭紛れ込んだような感じの人だった。
服部さんは私の顔を見て、やあ、と旧知の間柄であるかのように手をあげ、「計画書を見た時は、こいつ死ぬんじゃないかってみんなと話していたけど、よく生きて帰ってきたね」と、人の生死に関しておそろしく恬淡としたことを言った。そして私の探検報告をざっと聞いた後、「面白いじゃん」とひと言感想を述べ、私は記事を書かせてもらえることになった。
この時の記事は「最後の空白地帯へ」と題して「岳人」誌上に11ページぶち抜きで掲載された。今から考えるとこの記事が、私が商業誌に読み物として書いた初めての原稿となった。だから服部さんは私にとっては初めての編集者だったわけだ。
そのような経緯があったせいか、私は今でも本を書く時、服部さんの目をどこかで意識している。服部さんがこれを読んだら面白いと感じるだろうか、自分の探検行為は彼の合格点に達しているだろうか。そういう思いが常に頭の片隅にあるのだ。
もちろん服部さんの目を意識するのは、最初の編集者だったからという以外にも別の理由がある。どうやら彼は登山の秘密、冒険の謎について、かなりのことを知っているようなのである。
人はなぜ山に登るのか。これは山に登る多くの人が答えるのを避け、そして山に登らないほとんどの人が首をひねる難問だ。服部さんはこの解答困難な謎にあえて正面切って挑み、その答えにかなり肉薄している数少ない登山家であり、そして文章家だ。
登山とは本来、人間と山との1対1の対峙にすぎない、きわめて個人的な営為である。難しいのは、山頂に登れればそれでいいというわけではないところだ。それは何度も山に登っていれば誰にでも何となくわかってくる。登山には手応えのある登山と、手応えのない登山がある。登頂だけに価値をおくなら手応えがあろうとなかろうと、どちらでもいいはずだが、手応えのある登山のほうが「いい登山」として長く記憶に残る。この手応えはいったい何によりもたらされるのだろう。そこにたぶん人が山に登る秘密が隠されているのではないか。
抽象的な言いかたをすれば、これは人間が山に関わる領域の大小の問題だといえるだろう。自分の能力を高めて山に関わる領域を広くすればするほど、登山の手応えは大きくなり、山から得るものも多くなる。
ところがテクノロジーが進歩し、時代はそれと逆の方向に進んだ。道路が整備され、自家用車が登場し、歩いてアプローチする距離が短くなって、山が家からどんどん近くなった。石油化学の進展により装備の性能が格段によくなり、軽いテント、快適な寝袋、ゴアテックスの雨具、すぐに乾く下着などが開発されて、登山者は知らないうちに雨が降ることがさほど怖くなくなった。それに天気予報が発達して、自分の都合のいい時に山に行けるようになり、装備の軽量化とあいまって、軽装登山で好きな日に駆け上がるように頂上まで登ることが可能にもなった。挙句の果てにはGPSの登場により、人は自分がどこにいるのかさえ確認しなくてよくなっている。
これらの変化は漸進的にゆっくりと進むため、いつどこでその変化が起きたのかその時々では分かりにくいが、気がつくと登山のあり方はすっかり変わっている。今では昔とちがって雨が降って焚き火が熾せないことに苦労することもないし、乾かない衣服に不快な思いをすることも少なくなっている。吹雪の日は天気予報をみて外せばいいだけだ。山のいい面、こわい面、機嫌のいい山、悪い山、そういう山のすべてを受け入れたうえで最後にあるのが本当の山の頂だったはずなのに、今の登山は自分の都合のいい日を選んで、車でパーッとアプローチして、軽量速攻で軽やかに登ることができる。ところがそれではどこか手応えが感じられない。それはおそらくテクノロジーの進歩で効率的になったせいで、登山者が自分の能力を駆使して山に働きかける領域がせまくなったからだろう。親密だった人と山との関係は次第に疎遠になり、今では本当の山の素顔を見ることなく手早く登山を終わらせることができるようになってしまったのである。
そう考えると現代登山は結婚しないことを選択している男にどこか似ている。たまに彼女と会うのは楽しいけど、生活をともにするのは面倒くさいし、大変だ。向こうの機嫌が悪い時も一緒にいなきゃいけないし、家庭をおろそかにしていると文句を言われるかもしれない。口論も起きるだろう。こっちは都合のいい時にセックスできればいいだけだ。それなら適当な日に会って、目的だけ達成して、面倒くさい話になる前に分かれる。絶対そっちの方が楽に決まっている——。
結婚しない男の言い分はたぶんそんなところだろう。その言い分には男の論理としては一理あるが、それにより1人の人間と向かい合って生きる経験を失ってもいる。
服部さんは、山に登っているようで山に登れていないこうした矛盾を見過ごすことができず、現代登山で当たり前として受け入れられているやり方を放棄することにした。つまり現代登山の枠組みの外に飛び出すことを選択したのだ。それが服部さんの実践しているサバイバル登山だと私は理解している。
余計な装備を持ち込まず、釣りや猟などで食料を自給し、頂を目指す。つまり自分と山とを隔てていたテクノロジーをひとつひとつ取りはずし、なるべく素っ裸になって、いちから登山を作り上げる。簡単にいうとそれがサバイバル登山だ。だからサバイバル登山を、装備を軽くしてスピーディーに山に登ろうとする現代登山のコンテキストの延長線上で理解しようとすると、その本質を見誤ることになる。自分が山に関わる領域を広げることで、今まで気づかなかった山の真の素顔を見ようとするところに、その意図はあるのである。
この手応えのある登山をした時に得られる感覚を、自由という概念で捉えることもできるだろう。
現代では山に登っても自由の感覚を得ることが難しくなった。時代が進むにつれて登山の大衆化が進み、人口が増えて、行為の定型化が進んだからだ。その結果、単なる山に登るという行為は、登山というひとつのジャンルとして社会的に確立され、なんとなくモラルやルールらしきものができあがっている。それと同時にマニュアル化が進んで、これを持っていかなければならないとか、あれをしなければならないという、目に見えない束縛が登山者のまわりを包みこむようになった。他にも、例えば有名なガイドが書いた登山案内やルート図が普及したことで、山に登るまでの戦略も今ではすっかり他人任せになっている。実際、大抵の登山者はどこかに登りたいと思った時、グーグルでルート名を検索しているはずだ。つまり決まったやり方をなぞっているだけなのだ。
しかしサバイバル登山によってその枠組みから外に出た瞬間、こうした束縛はすべてなくなる。枠組みの外にある行為は前人未到でジャンル化が進んでいないので、マニュアルが存在しない。「サバイバル登山」とグーグルで検索しても、せいぜい服部文祥の動画が出てくるぐらいで、やり方が決まっていないので、自らの試行錯誤で山に登らなければならない。つまり枠組みから外に出た瞬間、既知のフィールドは未知のフィールドに変わり、完璧な自由が目の前に現れるのだ。
このような自由な登山を続けてきた服部さんが、昔の登山家の足跡に関心を抱くのは、ある意味で当然のことだったといえる。なぜなら明らかに昔の人のほうが今よりも自由度の高い登山をしていたからだ。テクノロジーによる自分と山との間に垣根はなかったし、登山自体が枠組み化されていなかったので、登山者として深く山に関わることができたのだ。
冒頭に書かれた次の文章が、服部さんのこの思いを凝縮している。
自分の力で登ってみれば、正しい山登りの手応えが返ってくる。手応えとは達成感や充実感、自分が深まった、もしくは高まったという感覚、痛みや苦しみである時もあれば、死という形になることもある。どんな手応えにせよそれが自分の力で対象にフェアに向き合った結果ならば、祝福できるのではないだろうか。生まれたままの姿で振る舞うとき、登山者は自分の力を発揮し、それゆえ自由にもなれる。言いかたを変えれば、われわれの生きる時代は、現代文明を拒否して山に入るぐらいのことをしないと、生き物本来の自由を疑似体験することすらできない時代といっていいのかもしれない。
本書はこうした本当の登山を続けた先人たちに対するオマージュであり、同時に登山を通じて現代社会の表裏をあぶり出す、きわめてすぐれた文明批評でもある。
(2013年10月、作家・探検家)
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