おすすめ本レビュー

挑め!世紀の難問『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』

仲野 徹2014年2月24日

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義

作者:大阪大学ショセキカプロジェクト
出版社:大阪大学出版会
発売日:2014-02-14
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学問においていちばん大事なのは、問題をどう解くかではない。どのような問題を設定するかである【アルキメデス】。

アルキメデスが言ったというのはウソだけど、どういう問いかけをするかが重要というのはホントである。この本が問いかけるのは、ドーナツを穴だけ残して食べることができるか、という哲学的命題だ。この、まったくどうでもいい問題を聞いておもしろがれるかどうか、で、人類を二分することができる。

この人類にとっての超難問に対して、大阪大学の教員たちが堂々と名乗りをあげた。13名それぞれが専門を武器に立ち向かう真の学際的アプローチだ。なかには、その論考のどこがこの問題に関係しとんねん、と言いたくなるのもないわけではないが、そういった牽強付会というのも学者につきものの性癖なので、がまんしてあげましょう。

そこは気にせず、いくつかのすぐれた論考を紹介しよう。まずは数学者。数学者の思考はやはり違う。 

“そもそも問題の『穴』とはなんぞや?“
”そもそも『穴を残す』とはなんぞや?”
“『残す』というのはどのような動作なのだろうか?” 

という根源的な問いを投げかける。そして、数学者らしく、問題の本質をさぐる。そして、解決に向けた定式化をおこなうため『ドーナツの穴』の定義をこころみる。『我々が穴をきちんと認識するには、穴に指を通して輪を作って、指とドーナツを外すことができないことをちゃんと認識する必要がある』と看破し、ドーナツの穴に親指と人差し指をつっこんだ輪っかをつくり、

『ドーナツの穴』とはドーナツと指を離れないようにする仕草

と、定義する。                                    

は?、What do you mean? とつっこんではいけない。数学者とはそういうものなのである。

しかし、ここからは数学者の面目躍如。疾風怒濤のごとく、3次元と4次元の説明が快刀乱麻のごとくおこなわれ、次元トポロジー(というらしい)を駆使して、すくなくとも、この定義の元では、穴だけ残してドーナツを食べることが可能であることを証明する。ただ、さすがにちょっと恥ずかしいのか、いろいろと言い訳が書かれていることは申し添えておこう。

文学部(美学)になると、もっとすごい。自然科学のように定式化などという低次元な試みはしない。問いの立て方が違う。 

そもそも、ドーナツを食べるとドーナツの穴が無くなる、という前提自体を疑ってかかる必要があるのではないか

は?? What the hell do you mean?? などと言ってはいけない。哲学的な考察っちゅうのはこういうものなのであるから。

考察は続く。諸君、ひれ伏したまえ。プラトンの『国家』、マルチン・ハイデッガーの『芸術作品の根源』、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』、を駆使しながらたどりつく結論は、『ドーナツは家である』というものである。は、ははっ??? いや、驚くのはまだ早い。

食べられたドーナツの穴は、消えて無くなるどころか、本来はドーナツのなかったところにもどんどん増殖していくのだ

ま、気にせず、つぎ、いきましょう、つぎ。

数学や文学とはちがって、法学はさすがに実学である。ちゃんと判例に基づいてドーナツが定義されている。それは、西川産業が『ドーナツ』のロゴタイプの商標権をめぐってテンピュール・ジャパンを訴えた、世に言う『寝具業界ドーナツ訴訟』(誰も言わないけど)である。

その裁判経過をたどり、緻密な法律的解釈が展開され、法律的には『新たな地平が開け』、ドーナツの穴だけを残して食べることができる、と主張する。詳しくは読んでもらうしかないが、さすが、論理的には筋が通っている。しかし、どう考えても、結論が正しいとは思えない。

さすがは、私と同じく、含羞に満ちた大阪大学の教授である。やっぱり恥ずかしいのであろう。『このような屁理屈・詭弁が賞賛される場合もある』と、あの『ヴェニスの商人』をあげて言い訳をし、さらに自省する。

こんなことを言うから、『法律家は悪しき隣人』、『三百代言』、『法匪』だとか、『法律家は黒を白と言いくるめる』とか言われて、非難されるのだろう。

そして、他人事のように言う。

屁理屈や詭弁という批判が加えられることを予想して、法が詭弁や擬制(fiction)や嘘を用いて発展してきたことを示そうとする。いやはや、呆れた人だ。このような法律家の隣には住みたくないものだ。

御意、わたしもそう思います。

そこへ行くと、工学者はわかりやすい。取り組みが愚直ともいえるくらい真摯で直截的である。いわゆるドーナツ型、まんなかに穴のあいたリング状、を残して、どれくらいまでドーナツを削り込んでいけそうかを考察する。

手や口を使うことからはじまり、はさみやナイフ、はては、旋盤加工からレーザー加工というハイテクまで検討される。そして、その究極の結論として、

“ドーナツ内部のスポンジ形状の構成次第で穴を保てなくなるが、数十㎛程度は行けるのでは?”

とまでたどりつく。でも、先生、それって削ってるだけで食べてませんからっ!工学部ヒラノ教授が言うとおり、エンジニアというは問題が与えられると、解答を求めてとことんまで、ときにはあらぬ方向へいってしまうのである。

総力を結集してこの本を作り上げた我らが大阪大学出版会は、売れ筋を模索する名古屋大学出版会東京大学出版会などを相手にしない奥ゆかしくも由緒正しい地味な大学出版会である。どれくらい地味かというと、これまでにいちばん売れた本が『日本国憲法を考える』というくらい地味である。そんなことを言っていいのかと思われるかもしれないが、大阪大学出版会の委員をつとめる私がいうのだから間違いない。

 その状況を打破しよう、そして、そこに学生の教育もつっこんでしまおう、と、あつかましくも一石二鳥を狙ったのが『大阪大学ショセキカプロジェクト』である。一年生、二年生向けの基礎セミナー『本をつくる』において学生たちが作り上げた案、そこに教員たちの協力を得て本にしようという大阪大学出版会の命運をかけたビッグプロジェクトなのだ。そして、この本はその第一弾。何が言いたいかというと、今後のこともあるから、売れてほしいのである。

『ドーナツを穴だけ残して食べる』というのは、じつに訳のわからない問題だが、それだけに、誰もが適当なことを堂々と語ることが許される問題でもある。この本の論考を参考にして、飲みながらでもわいわい話しあってほしい。そして、できるだけたくさんの人に、こちら側、こういう問題をおもしろがれる側、にやってきてほしい。