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【連載】『家めしこそ、最高のごちそうである。』
 第6回:美食でもなく、ファスト食でもなく

佐々木 俊尚2014年2月25日

稀代のジャーナリストが語る、家庭料理の極意。「家めし」の美味しさを追求していったら、答えはシンプルなものへと辿り着いた。第6回は、私達の自己表現から食のあり方を考えます。

珍しくて高い食材を使い、お金がかかり、ブランド志向な「美食」ではなく。 

お金はかからないけど、不健康で太ってしまうスーパーの総菜や半調理品、コンビニ食のような「ファスト食」ではなく。

さらにいえば、健康的かもしれないけれど、意外とお金はかかるし、つくるのに手間がかかって面倒そうな「自然食」でもなく。

そうじゃない中間のあたりに、もっと健康的でもっと美味しくて、お金もかからず、そしてかんたんで「シンプル食」があるということを提案したいのです。

『家めしこそ、最高のごちそうである』(マガジンハウス)は2月27日発売

そもそも今の日本人の食って、美食とコンビニ食の両極端にかたよりすぎだとわたしは思っています。日常的には「不健康食」ばかりを食べている人が多いですよね。

コンビニやスーパーで売ってるお弁当やお総菜、「料理の素」などの半調理品には、うま味調味料がどっさり入っています。

わたしはオーガニック信者ではないので、うま味調味料そのものが身体に悪いとは思っていません。それ自体が毒だということはないのです。

ただうま味調味料は、たいへん味が濃くてきつい。だからうま味調味料の入った食事を摂っていると、素材の味がわからなくなってしまいます。素材の味を楽しむんじゃなく、調味料の味を楽しむようなことに舌が慣れてしまう。自然と味が濃いものを求めるようになりますから、塩分や脂分をとりすぎることになります。

さらにうま味調味料の味って、やみつきになりやすい。塩だけで調味した野菜料理はそんなにたくさんは食べられませんが、うま味調味料を振ったスナック菓子は果てしなく食べ続けてしまいますよね。うま味調味料には、そういう魔力があるのです。だから食べ過ぎて、結局はカロリー過多への道をまっしぐらです。

そしてこういう塩分や脂分の多いものを食べると、食後に甘いものが食べたくなります。ラーメン屋や焼き肉行ったあとに、突然アイスクリームを食べたくなりますよね。

だからこういう食生活を続けていると、太るし、血圧も上がるし、成人病にかかりやすくなる。とても不健康です。「不健康食」のきわみです。

なのにハレの日には、ホテルやレストランに出かけて「九条ネギを添えた但馬牛のグリル」とか「有機野菜のサラダ 白トリュフとともに」といった豪華な美食を楽しむ。

もちろん、どんな食生活を送ろうがその人の勝手ですから、文句を言われる理由はありません。日常はコンビニとかの不健康食なんだから、たまの週末の夜ぐらいは美食したいんだよ、と反論されそうです。

いや、もちろんそれはそれで構わないと思います。わたしが批判する大義なんて、なにひとつありません……でも、ひとつだけ違和感があります。それは、ホテルやレストランの誤表記問題。

2013年の秋に、ホテルの誤表示・偽装表示がつぎつぎとテレビや新聞に報道されて、問題になったことがありました。バナメイエビを芝エビと表示していたとか、ブラックタイガーを車エビとか、牛脂を注入した加工肉をビーフステーキとか、中国産の栗が入ったモンブランケーキをフランス産の栗とか、そういう誤表示・偽装がいたるところで暴かれてしまったのです。

たしかにけしからん話です。でもね、誤表示に怒るんだったら、その前に日常的に食べてるコンビニ弁当やスーパーのお総菜、半調理品をやめたほうがやっぱりいいんじゃないかと思うんですよね。ハレの日は美食と、日常のファスト食しかないのはやっぱりいびつすぎるし、そのあいだを埋めていくことのほうが大切じゃないかと思うのです。

少し広く構えて、料理から離れてみましょう。

ファッションの話です。最近、みんなの着てる服が変わってきたと思いませんか?

高級ファッションで着飾るという文化が最近はだんだんと衰えて、みんなのファッションがカジュアルになってきています。2000年代半ばぐらいから、高級ブランドは売れゆきが落ちてきていると言われています。たしかに東京でも、街を歩いていてルイ・ヴィトンやシャネルのバッグを持っている女性は、以前ほどには見かけなくなりましたよね。

男性でも、最近のネット企業やベンチャー企業では、スーツを着ている人はあまり見ません。特にプログラマーやカスタマーサポートなどの内勤の職場だと、ほとんどの人がカジュアルなファッションです。

これにはいろんな要因があるでしょう。不況が長引いて、そもそも高級ブランドを買う余裕がないということ。そもそも高級ブランドに価値を感じない若い人が増えているということ。ユニクロやギャップのようなファストファッションの質がとても良くなって、わざわざ高い服を買わないでもよくなってきたこと。

でもたぶん、そうした理由だけではないと思います。わたしが子供だった1960年代終わりから70年代はじめは日本はまだそれほど豊かではありませんでしたが、お父さんたちは通勤のときだけじゃなく、休日にデパートや遊びにに出かけるときもきちんとスーツを着ていました。お母さんも外出の時はきちんとした和装に着替えていたのです。仕事をする時だけでなく、公共の場所に出かけるような「ハレ」のときにも着飾るというのが、ごく当たり前の習慣だったんです。

そしてきちんとしたスーツや着物を着ていることが、「この人はちゃんとした立派な社会人なんだ」と認められるための条件になっていました。カジュアルなかっこうをしていると、それだけで社会のはぐれもの扱いされてしまう時代だったんですね。

しかしいま、「着飾る」は消えてなくなろうとしています。

どうしてか。

たとえば、初対面のだれかと約束して会うことを考えてみてください。相手が高そうなスーツを着て、立派な会社の名刺を持っているとする。昭和の昔だったら「うわーこの人は立派な人だ」「ちゃんとした人だ」と、外見で判断していたでしょう。

でもいまの時代だと、初対面の人でもフェイスブックなどで人柄や交友関係をすぐに調べられるようになりました。会う前に予習のために調べたり、会ってから「この人どんな人なんだろう?」と気になって調べたり。

そうなると、相手の日常がすべて見えちゃうんですよね。既婚か未婚かとか、どこに勤めているのかといったことだけじゃなく、もっと日常的なことです。日ごろ、どんなところに出入りしているのか。どんなことばを語っているのか。どんな人たちと仲良くしているのか。

 

日常が、すべて相手にわかっちゃうんです。それは悪いことじゃなくて、日常で素敵なことを考えて話していれば、「この前初めて会ったときはふだん着であんまり印象なかっ たけど、こんな素敵なことを考えて楽しく生活してる人だったんだ!」と認めてもらえるっていうメリットもあるってことです。

逆にいくら高いスーツや高級ブランドのバッグで着飾っても、中身がともなっていない と、すぐに相手に見破られてしまう。そういう時代になってきているということなんですよ。

 

じゃあ、どうすればいいのか。
かんたんです。着飾らなくてもいいから、日常を大切にすること。日常がだれに見られてもいいように、きちんと生活すること。

 

お客さんにも喜ばれる料理、絶品キノコ鍋。

 

そして、食生活も同じなんです。

初めてのデートで見栄を張って高級レストランに彼女を連れていったって、フェイスブックでふつうの日はカップラーメンとコンビニ弁当ばかりの不健康な生活だってことが彼女にばれちゃうと、「なんだ、きちんとした生活を送っていない人なんだな」と見破られてしまう。

だったら高級レストランなんか行かなくてもいいから、日常の食生活をきちんとしましょう、ということなんですよ。

これからは、晴れの日の見栄じゃゃなくて、日常を大事にして、日常を他人に認めてもらう時代。

高いファッションじゃゃなくて、ふだん着。

高級レストランの美食じゃなくて、ふだんの家庭料理。

私たちの自己表現は、これからはそういうふうになっていくんです。

それを支えるのが、美食でもなく、ファスト食でもなく、でもお金もかからないし、手間もかからない、簡素でもとても美味しい料理。

それを提案し、実際に実行できるまでの一部を教えて差し上げようというのが、 この連載の目的なのです。
 

佐々木俊尚  作家・ジャーナリスト。 1961年兵庫県生まれ。早稲田大政経学部政治学科中退。毎日新聞社などを経て、フリージャーナリストとしてIT、メディア分野を中心に執筆している。忙しい日々の活動のかたわら、自宅の食事はすべて自分でつくっている。妻はイラストレーター松尾たいこ。「レイヤー化する世界」(NHK出版新書)、「『当事者』の時代」(光文社新書)、「キュレーションの時代」(ちくま新書)など著書多数。

簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。

作者:佐々木 俊尚
出版社:マガジンハウス
発売日:2014-02-27
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