「解説」から読む本

『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』訳者あとがき by 竹内 薫

新潮社2014年3月7日
宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか

作者:ロジャー ペンローズ
出版社:新潮社
発売日:2014-01-24
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超天才ロジャー・ペンローズ!

本書は超天才ロジャー・ペンローズ博士の最新刊だ。

え? ペンローズって誰? 

うーん、たしかにペンローズは、玄人ウケするものの、さほど一般科学ファンに浸透しているとはいえないかもしれない。でも、この人、マジでスンゴイ科学者なんです。

ペンローズは、誰でも知っているホーキング博士のお師匠さんなんですね。あの「車椅子のニュートン」と呼ばれる天才物理学者の博士論文を審査して、のちに一緒に共同論文を書いていたりするわけ。

ペンローズの名前は、版画家エッシャーの不思議絵の科学的なヒントを与えた人物として、芸術史にも顔を出す。それもペンローズが、まだ子供の頃にエッシャーに教えたというのがスンゴイところ。

ペンローズは、トイレットペーパー訴訟でも世界的に有名になった。彼が発見した「準結晶」(=完全に規則正しくないけれど、秩序のある、結晶の仲間と考えてください)のパターンを、さる企業がトイレットペーパーの図柄にしたので、裁判沙汰になってしまったんですね。ペンローズはイギリスの「ナイト」(騎士)の称号をもっているので、弁護士が「大英帝国ナイトが発見した図柄で毎日、人々がお尻を拭くのは、いかがなものか」と企業の行為を責めたともいわれている。

あるいは、『皇帝の新しい心』という世界的ベストセラーを書いて、「人間の心は計算で真似することは不可能だ」と主張し、数学者・論理学者と丁々発止の議論をしたことも記憶に新しい。

でも、そんな天才ペンローズの本当の専門は「一般相対性理論」なのだ。アインシュタインが発見し、ブラックホールや銀河や宇宙の計算に使われている物理理論である。

ペンローズは、一般相対性理論を駆使した論文をたくさん書いているが、彼の最新の理論は、「革命的な宇宙論」であり、その内容の過激さゆえに、物理学者たちを震撼させている。

この本のベースになった論文は「Proceedings of EPAC」に2006年に発表されたもので、論文の題名は「ビッグバンの前:ばからしいほど新しい観点と、その素粒子物理学への影響」だ。ほぼ、4ページの短い論文の中身が、今回、そのまま一般向けに336ページの本に化けたのだと考えられる。

ペンローズは自説を「CCC」(Conformally Cyclic Cosmology=共形・循環・宇宙論)と名づけている。この頭文字をとった略称は、いかにも学者らしい(共形とか循環の意味は本書で懇切丁寧に解説されている)。

本書では何が語られているのか

さて、すでに本書を一読された読者が多いと思うが、ここで本の中身を振り返っておこう。

まず、1章と2章では「エントロピー増大の法則」と「現代宇宙論」が詳しく説明される。これまで、エントロピーや宇宙論に無縁だった読者でも、概要がつかめるよう配慮されている。次に、この2つの章で指摘された矛盾点が、第3章のペンローズ説(CCC)でいかに解消できるかが示される。

矛盾とはどういうことか。

ビッグバンの頃、宇宙は熱くて小さかった。本来、熱くて小さい物体のエントロピーは大きいはずだ(エントロピーの比喩を用いた解説は一章に登場する。おおまかに、整頓された状態はエントロピーが小さく、不規則でばらばらな状態はエントロピーが大きい)。

エントロピー増大の法則が正しいのであれば、そもそも宇宙の始まりのエントロピーは小さかったはずだ(最初は小さくないと、その後、どんどん大きくなることはできない)。

ようするに、覆水が盆に返らないためには、最初、水がお盆の中に収まった状態でなくてはならないのだ。

ところが、宇宙の始まりを計算してみると、熱くて小さいので、とてもじゃないが、整頓された状態とは程遠い。つまり、宇宙の始まりのエントロピーは大きかったことになる。

うーん、いったいどっちなのだ? 宇宙の始まりは秩序だっていた(=エントロピーが小さい)のか、それとも、混沌としていた(=エントロピーが大きい)のか? はっきりしろ!

とまあ、ここまでが、現代の物理学者を悩ませている難問というか矛盾なわけです。

で、この矛盾は、ペンローズの新しい宇宙論で氷解する。なんと、ペンローズは、宇宙の始まりと終わりが「同じ」だと主張するのだ! つまり、この宇宙がどんどん膨張して、薄まっていって宇宙が終わったら、それは実は、宇宙の始まりのビッグバンだというのである。

うーん、これはちょうど時間が「円」みたいになっているわけですな。あるいは東京の山手線みたいに線路に始点と終点がなくて、ぐるぐる回っているようなイメージ。

宇宙の始まりと終わりが「同じ」だなんて、神話に登場するウロボロスの蛇みたいですなぁ。たしかにペンローズが自説を「ばからしいほど新しい」と形容するわけだ。

だが、そこは超天才ペンローズのこと、きちんと納得できる理論的な裏付けが存在する。単なる思いつきなんかではない。

そもそも、アインシュタインの相対性理論では、速く動く物体の時計はゆっくり進む。物理的な最高速度は光速(マッハ90万)である。光速で移動する物体(=光子や重力子)は重さがゼロだ。逆に重さがゼロだと常に光速で移動する。そして、光速で移動する物体の時計は「静止」する。

いいかえると、重さがゼロで光速で動き回る物体にとっては、時間が経つこともない。彼らは「永遠」の世界に棲んでいる。

ペンローズは、数学的、物理的な理由から、宇宙の始まりと終わりでは、重さゼロの粒子しか存在しないと論じ、そこでは長さや時間が意味をもたなくなり、物理的に重要なのは「角度」だけになると主張する。

ここら辺は、相当にぶっとんているので、意味不明に近い主張に聞こえるが、長さや時間よりも角度のほうが基本的な意味をもつであろうことは、数学や物理学を勉強していくと、自然と納得できる主張なのだ(この角度の重要性が「共形」という専門用語であらわされる)。

そして、その数学的な同等性を根拠に、ペンローズは、「宇宙の始まりと終わりは同じだ」という驚愕の結論に達する。また、その過程で、宇宙の始まりのエントロピーが小さかったと結論づけるのである。

つまり、ペンローズが正しければ、われわれは、永遠に循環する「サイクリック宇宙」に棲んでいることになる。

なぜ難解な本書を読むべきなのか

よく「学校を出てから1度も微分積分を使ったことがない。なんで、あんな小難しいことを勉強しなくてはいけなかったのか!」と文句をいう人にお目にかかる。微分積分どころか、「2次方程式なんていらないんじゃね」とか「円周率πは3.14だと面倒くさいから3でいいわよ」というような主張が真面目に教育審議会などで議論されることもある。

私は、こういった見解に対しては、「日常生活で使わないから要らないというのであれば、文学も芸術も要りませんよね?」とクールに切り返すことにしている。いやあ、科学に対する無知は国を滅ぼしますよ、ホント。もちろん、文学や芸術のない国も滅びるわけですが……。文化って、人類の「宝」なわけで、自分が得意でないから要らないという議論は破綻している。

いや、そもそも、「日常生活で使わない」という部分だって間違っている。ふだん多くの人がお世話になっているカーナビや携帯のGPSでは、アインシュタインの相対性理論の「遅れる時計」の効果が補正されていたりする。地上とGPS衛星の時計の進み方に差が出るからだ。この補正をしないと、GPSに1日で最大10キロメートルもの誤差が生じてしまい、社会は大混乱に陥ってしまう。つまり、数学や科学の難解な理論は、日常生活と深くかかわっているのだ。

なんでこんなことを書いているかといえば、まさに本書こそ、科学嫌いの連中に白い目で見られる代表格だと思うからだ。

ペンローズの新しい宇宙論は、人類の宇宙に対する考えに革命をもたらす可能性がある。それはちょうど、コペルニクスやガリレオが地動説を唱え、人類の宇宙観を変えた状況に似ている。

いまのところ、ペンローズの主張が正しいのかどうか、誰にも判断がつかない。だが、コペルニクスやガリレオと同時代の人々も、地球が動いているのか、天が動いているのか、判断がつかなかったのだ。

われわれはみな、宇宙の住人だ。この宇宙の過去と未来についての革命的な主張を知ることは、われわれの住処(すみか)を知ることにほかならない。

ペンローズは、数理物理学者なのだから、本来は4ページの論文を書いて、それっきりでもいいはずだ。ペンローズが、難しい数式は全て附録に「押し込め」、あえてこの本を書いた理由は、専門家だけでなく、一般の人々にも自らの革命的な宇宙論について知ってもらいたいと願ったからであろう。

コペルニクスもガリレオも一般の人々が読むことのできる本を書いた。そして、何百年もかけて、本が人類に理解され、受け入れられたとき、彼らの「科学革命」は成就した。

そう、ペンローズが始めつつある科学革命を完成させるのは、この本を読んでいる「あなた」なのだ。

2014年 初春 竹内薫  

1896年(明治29年)創業の出版社です。文芸からノンフィクション、写真集からコミックまで、幅広い刊行物を出版しています。ここでは、書籍の解説文などを中心に、耳寄り情報を掲載していきます。新潮社のサイトはこちら