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『「科学者の楽園」をつくった男 大河内正敏と理化学研究所』 殿様がつくった夢舞台

村上 浩2014年6月12日
「科学者の楽園」をつくった男:大河内正敏と理化学研究所 (河出文庫)

作者:宮田親平
出版社:河出書房新社
発売日:2014-05-08
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いつまでもヨーロッパの模倣をするということは、甚だ面白からぬことであろうと思いますし、またいかにして日本固有の……少なくとも東洋固有の材料もしくは事業を研究し、発明して起こさなかったならば、本邦の産物を世界に広く売り広めて世界の富を本邦に吸収することは覚束ないと思われるのであります。それゆえに何か新たに有益なる発明研究をしなければならぬと思います。

1913年、100人を超える政治家や財界人たちを前に「国民科学研究所設立について」と題された大演説を行ったのは、酵素研究やアドレナリンの発見などで知られる化学者、高峰譲吉。イギリス、アメリカに留学し、日本と欧米との研究能力の差をよく知っていた高峰は、「国民科学研究所設立」の必要性を切実に感じていた。しかし、高峰がこの演説で要求した2,000万円という金額はあまりに大きく、“日本資本主義の父”渋沢栄一の呼びかにもかかわらず、財界人からの反応は芳しいものではなかった。

ところが、世界情勢の不穏な変化が、高峰の構想への追い風となる。第一次世界大戦の混乱でヨーロッパからの医薬品、工業原料の輸入が制限されたことで、多くの日本人が自国の産業構造の脆さを思い知らされたのだ。また、この大戦では毒ガスや航空機などの最新化学兵器が多く投入され、20世紀の戦争で科学の果たす役割が国家存亡に関わるレベルにまで達したことは明らかだった。日本の先行きに危機感を覚えた産業界からの働きかけに応じた政府は「理化学ヲ研究スル公益法人二対シ国庫補助ヲ為スノ法律案」を帝国議会に提出し、1917年ついに理化学研究所が設立された。

本書は、「科学者の楽園」とまで呼ばれた理化学研究所の誕生から、理研コンツェルンの発展、そして戦後のGHQによる解体までを追いかける。そのため本書には、ノーベル賞受賞の湯川秀樹朝永振一郎はもとより、ビタミンの鈴木梅太郎、味の素の池田菊苗、随筆家としても知られる寺田寅彦など、理研と深い関わりを持つ日本科学界のスーパースター達がこれでもかと登場する。彼らの研究人生、だけでも十分な読み応えだが、科学者以外の登場人物、夏目漱石や田中角栄などにもスポットをあてることで、理研を取り巻く空気がよりいきいきと伝わってくる。

「学問の力によって産業の発達を図り、国運の発展を」目的とした理研が存在しなければ、日本の科学技術の発展は数十年遅れていたに違いないと思えるほど、理研は多くの人材を輩出している。理研は、どのようにしてこれほど多くの世界的科学者を生み出したのか。国からの援助に頼る必要がない程にまで科学をお金に変えることができたのか。「プラトンの学院以来のもっともすぐれた研究センター」という夢のような場所を現実のものとしたのか。著者はこれらの問いに、三代目所長の大河内正敏を中心に据えて答えていく。

所長就任時に43歳だった大河内の祖先は松平伊豆守信綱であり、科学者でありながらも「殿様」のように狩猟や絵画、陶磁器鑑賞などを嗜んだという。そんな大河内が所長に就任してまず着手したのは、研究者を縛るあらゆるものを取り除くことだった。大河内以前の理研では、その不安定な財政基盤を巡って、化学部と物理部の間で確執が発生していた。そこで大河内は、化学部、物理部という部署とそれに紐づく部長職を廃止してしまった。その代わりに主任研究員に大きな権限を与え、研究内容や予算、人事の全てを一任した、つまり好きにさせたのである。

大河内自身が「一日一生懸命勉強したら、一日遊んでもよいのだ」と言って回っていただけあり、ビタミンや合成酒を生み出した鈴木梅太郎は、こんな言葉を残している。

この研究室には研究員が三十人ほどいる。各人が三十年に一回の割合で基礎であれ応用であれ社会に認められる仕事をしてくれれば、研究室は安泰である。

短期的な成果への要求や細かな雑務から解放された自由闊達な雰囲気と一流の設備は一流の研究者を引き寄せ、入所希望者はひきもきらなかった。

もちろん、ただ好き勝手に研究だけを続けていけるものではなく、大河内は発明に関連する事業を次々と立ち上げる「芋蔓式経営」を掛け声に、科学発明を次の研究資金へと変換していく。理研コンツェルンからは、ピストンリング製造のリケン、食品製造の理研ビタミン、さらには事務機器・光学機器のリコー(旧理研光学)などの企業が生まれている。この一大コンツェルンも、第二次世界大戦の大きなうねりに逆らうことはできず、ばらばらになっていく。

本書は、1983年に文藝春秋から『科学者たちの自由な楽園』として刊行され、2001年に日経ビジネス人文庫で文庫化された同タイトルの再文庫化である。30年以上も前に出版されたものではあるが、その内容は驚くほどに現代的な課題を取り扱っている。日本の科学技術政策を総括する著者の言葉は、30年前ではなく、現代の日本に投げかけられているようにすら感じられる。

ふりかえってみれば、明治以来の歴史の中で科学技術の振興が叫ばれた時期は、つねに目先の必要性だけが契機になったものであり、一貫した政策はついになかったのである。

国家の科学技術政策はどうあるべきか、研究者にはどのような舞台を用意すべきか、科学とビジネスはどのように関連付けるべきか。大河内正敏が示したものは、明日へのヒントになるのではないだろうか。

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

作者:ジョン・ガートナー
出版社:文藝春秋
発売日:2013-06-28
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こちらはアメリカで次々と驚異の発明を生み出し続けたベル研究所の本質に迫る一冊。トランジスタ、光ファイバーなど、ベル研究所がなければ現代的な生活は全く成り立たない。成毛眞による解説はこちら。 

ジェネンテック―遺伝子工学企業の先駆者

作者:サリー・スミス ヒューズ
出版社:一灯舎
発売日:2013-08
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 1970年代に巻き起こったバイオテクノロジーブームの先駆けとなったジェネンテックの誕生、拡大の裏側に迫る。サイエンスがビジネスと直結した事例である。レビューはこちら

大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀

作者:トーマス・ヘイガー
出版社:みすず書房
発売日:2010-05-21
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 人類の夢であった窒素固定を実現し、ドイツが化学工業大国となる一助ともなった、ハーバー‐ボッシュ法が生まれた背景に迫る。仲野徹がレビューした『サルファ剤、忘れられた軌跡』の著者による一冊である。