今日も、外は雨。でも、私の心の中は晴れています。ネットから書店様の担当に変わったとき、心の中に朝日のような光がありました。それは、ITよりもお客様への敬意を中心にして仕事を進めたい、という希望の光でした。たとえ全体がITを武器に進むとしても、私はそのハンドルの「あそび」として存在していたいと思ったのです。長い間、システムの開発と運営に携わりながら、お客様個々人に本をオススメしてきた私は、山の稜線に立っていました。しかし私が、ITの側に落ちなかったのは、売場に立つ書店員さんから多くのものを学ばせていただいたからでした。そういった方々のお話には、お客様への敬意が常にあるように感じられたのです。データを武器に戦いを挑む人が時として見落としがちな何か、商売には欠かせない何かがそこにはあるように感じられたのです。本とお客様のことをよく知り、敬意をもっておすすめすること。データも横目で見ながら、ひとつひとつ、一日一日。それを続けてまいります。朝日のようにさわやかに。
朝日といえば、私の家のリビングの窓は東向きです。それは「家族」と過ごす朝の時間を大切にしたいと考えたからです。「家族」は人生で初めて人とのつながりが生まれるところ、そして、希望が生まれるところ。6月のこれから売る本、テーマは「家族」です。
家族がテーマで、タイトルに「日」が入っている新刊。この本を紹介するための前フリだったと、気づいていただけたでしょうか。著者のこうの史代さんはベストセラーとなった『夕凪の街桜の国』を読んで以来のファンです。本書は、突然いなくなった妻を探して旅に出た雄鶏が、妻との想い出と震災後の東北の姿を重ねながら、もの思いにふける様を描いた作品集です。
雄鶏のコメントを添えられた1枚モノの絵が、たくさん収録された作品集。読む、という形ではなく、自然とページをめくってしまい、時間を忘れてしまうといった感じでした。震災についてかかれた本を何冊か読んできましたが、こういう表現方法もあるのかと、こうのさんの力をあらためて感じました。ジーン、ジワジワ、ザワザワ、ジーン・・・1枚1枚から、微妙に異なる感懐がわいてきました。雄鶏が食べた「本日の食事メモ」が楽しく、本を閉じる頃には、雄鶏への愛着を感じました。火の鳥ならぬ日の鳥、ニワトリが飛んでいるのも、そこはかとなく趣深かったです。
私は以前から、このスゴい写真絵本のシリーズを、機会があれば紹介したいと思っていました。臨場感あふれる写真と文で「いのちの有限性と継承性」を豊かに描いた、写真絵本『いのちつぐみとりびと』シリーズです。おばあちゃんを看取る小学生、故郷の自宅で最期を迎えたおばあちゃん、在宅医療を支える医師の営み・・・現在、8巻まで刊行中です。ここでは、看取りを「いのちのバトンリレー」と位置づけています。
その第6巻である本書は、震災後に脳腫瘍があることがわかった宮城県の小学生・華蓮ちゃんが、死の直前にディズニーランドへ家族旅行に行ったときの様子が綴られています。救護室にミニーちゃんがきてくれたシーンで胸が熱くなるとともに、家族の絆について考えさせられました。一読者としては、震災直後の病院で「震災のストレス」として扱われ、発見が3ヶ月遅れたのを知って歯がゆさを感じました。しかし、この絵本はその辛さを乗り越えこんな言葉で締めくくられていました。
「ときどき、思い出してくれるといいな。みんなにも、キラキラ生きぬいて欲しい。」
看取りとは、亡くなる人が代々受けつぎ、自身の人生でもたくわえてきた溢れんばかりの生命力と愛情を、私たちが受けとることなのですね。涙で前が見えなくなりました。
私にとってサイバラさんといえば『ゆんぼくん』です。古いなーというブーイングが聴こえてきそうですが、それ以来、なんとなく時計の針がとまっていました。でも、この人生相談本を読んで衝撃を受け、古時計の針が動き出しました。前作の『生きる悪知恵』含めエッセイを中心に読んでみたいな、とワクワクが再点火したのです。私には、この本にあるような家族の苦労話はあんまりないので、副題にあるように「役に立つ」かどうかは微妙ですが、サイバラ節のキレや勢いが絶品で、読んでいてとても気持ちよかったです。
「ダンナがモノノフで困っています。」⇒「子供の手をしっかり握って、ダンナは川に流しましょう」
「夫の海外赴任についていくべき?」⇒「ダンナのことが好きか嫌いかで決めるべし」
まことにその通りだと思います(笑)。サイバラさんと意見が合っても合わなくても、この本、男女問わず家庭もちにはメチャクチャ面白いですよ!でも実は私、読んでいるうちにある心配がわいてきました。「ヒョットして、私に苦労がないということは妻が苦労してるっていうこと!?」背すじがゾゾゾーッ。おかげさまで、本書で少し反省点も見つかりました。また、最後に西原家の母子座談会がついていてオトク感がありました。人生相談の答えと辻褄があっていて、「悪知恵」と言いながら、やっぱり正直こそが最大の美徳だなと感じました。そんなこと言ったら、身もフタもないかもしれませんが。
私がプロレスファンにならなかったのは、父がプロレスを観なかったから。好きなスポーツは、競馬、野球、ボクシング・・・父の影響を、大きく受けています。でも、棚橋弘至という存在を知って、プロレスに興味を持つようになりました。彼は、かつて隆盛を誇った、新日本プロレスのV字回復の立役者なのだそうです。スーツを着ている表紙や、立命館大学出身という高学歴であるということもあって、読む前はレスラーを引退した後に経営者として成功した人なのかと勘違いしました。ところが、違ったのです。この本がビジネス書として面白いところは「プレイヤーとしてV字回復させた経緯」が書かれているところなのです。
V字回復について、世に出ている本の多くは経営者向けの本です。でも結局、サラリーマンって、その名の通り、皆さんプレイヤーじゃないですか。本書を読むと、プレイヤーとして何を変えていけば良いのか具体的なヒントが見えてくるのです。「大都市で大勢の前で演説をしても、みんな翌日には忘れている。でも、離島や過疎地に行って演説すると、その人たちはずっと覚えていてくれる」という政治家の発言に棚橋は反応し、プロレスも同じだと言っています。そして、私の仕事も同じだと思いました。総論で動く(演じる)ことに違和感をいだいている、サラリーマンの皆さんはきっと、同じことを感じるでしょう。プロレスファンに限らず、多くの方に読んで欲しい本です。
おっと。この本が「家族」とどうつながってくるか・・・。棚橋自身は後になって知らされたそうですが、弘至の「至」の字は、アントニオ猪木さんの本名の寛至からとったものなんだそうです。子供の名前には、一言では言い表せない親の思いが込められているといいます。それは、親(自分以外の人)からもらう最初の贈り物。万「博」の年に「光」ある子として生まれた私も、自分の名前を大切に生きていきます。